ウェブ1丁目図書館

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徳川吉宗のような名君にも不得意なことはある

江戸時代には、上杉鷹山など名君と呼ばれた殿さまが何人もいました。

江戸時代の名君の中で、最も有名なのは徳川吉宗でしょう。時代劇の主人公にもなり、悪人を懲らしめているイメージが先行している部分はありますが、多くの人が徳川吉宗を名君と称えています。吉宗が行った享保の改革は、日本史の教科書にも載っており、目安箱、足高の制、サツマイモの普及など多くの功績を残しています。

しかし、どんな名君でも実施した政策の全てが優れていたわけではありません。徳川吉宗も、それは同じで、経済政策は現代人の視点で見るとおかしなものでした。

政治の間違いを認めた目安箱

徳川吉宗の善政の部分については、よく知られていることですが、改めてどの辺がすばらしかったのかを確認しておきましょう。

作家の井沢元彦さんの著書「逆説の日本史 17巻 近世改革編」では、目安箱の設置が当時では画期的であったことが述べられています。現代人の感覚では、政治の間違いを口にしても罰を受けることはないというのが当たり前です。ネット上でも政権批判をよく見かけますが、ただそれだけで逮捕され牢屋に入れられた人は21世紀の日本にはいないはずです。

しかし、江戸時代は庶民が政治に口出しすることはできませんでした。大名の悪政で村人たちの生活が困窮しており、それを見かねて村長が幕府に訴え出たら死罪になるのが江戸時代でした。村長の訴えが正しかった場合は、大名は処罰されますが、訴えの内容とは関係なく訴え出た方は死罪です。

訴え出た者を厳しく罰するのは、徳川将軍が間違いを犯すことはありえないという考えが根底にあったからです。そして、当時は、この考え方が当たり前でした。

ところが、吉宗の目安箱の設置は、広く民衆から政治に対する意見を募るものであり、これは徳川将軍家でも誤りを犯すことを認めていることになります。自らの誤りを認める点は、まさに名君です。しかし、目安箱は家臣から反対されていました。

彼等の反対にも一理ある。それは「将軍家の権威を傷付けることになる」というものだ。確かにそれは正しい。徳川家が日本を治める論理、それは初代将軍家康の論理といってもいいものだが、「徳川家は絶対に正しく誤りのない家」であるから徳川が天下を治め、外様大名は国政に参加させない、というものだ。それだけ権威があるということでもある。
(134ページ)

目安箱の設置は幕府の権威を脅かすことにもなり得る。そうなれば、謀反を企む者が出てくるかもしれません。社会を安定させるためには、徳川家に絶対的な権威がなければならないというのが反対者の考えでした。そして、この考え方こそ、江戸時代の当たり前だったのです。

その当たり前を覆し、「徳川だって間違うことはある。だから、その間違いに気づいた者は将軍に教えてほしい」というのが吉宗の目安箱設置の理由です。

税制改革と飢饉への対応

徳川吉宗享保の改革には、現代で言う税制改革も含まれていました。

江戸時代は、農民だけが年貢を納める税制となっており、治めるものもお金ではなく米でした。

享保の改革前は、現代の所得税のように収穫量に応じて年貢の高を決める検見法(けみほう)と呼ばれる税制でした。しかし、検見法では、不作の時には幕府に入ってくる米が少なくなり財政が悪化します。そこで、吉宗は、豊作でも不作でも財政が安定するように収穫量に関わらず、一定量の米を納める定免法(じょうめんほう)を採用しました。

定免法であれば、確かに幕府の財政は安定します。しかし、農民側にすると、不作の時には手元にわずかな米しか残らないので厳しい税制でした。それでも、豊作の時には余剰ができる利点もあり、また定免法にすることで米の備蓄もしやすくなりました。さらに検見法だと、農民が役人に賄賂を払って収穫量を少なく見せる不正も行われる場合がありますが、定免法では毎期一定量の米を納めることが予め決まっているので、役人が賄賂を要求する汚職を減らす効果もありました。

加えて、青木昆陽に命じてサツマイモを栽培させ、普及させる取り組みを行いました。享保の大飢饉では90万人以上が餓死したと伝えられています。しかし、薩摩藩だけは餓死者を出しませんでした。吉宗は、その理由をサツマイモの栽培だと知り、広く普及させることを思いつきます。サツマイモが全国に広まれば、飢饉に耐えれると考えたからです。

米の増産やサツマイモの普及は、食料の安定供給という視点ではすばらしいことです。しかし、吉宗は米の増産が幕府財政を悪化させることに気づきませんでした。

通貨としての米

井沢さんは、徳川吉宗は「生きた経済をまるでわからない」政治家だったと述べています。

その理由は、吉宗の基本的教養が商行為を悪とみなす儒教にあったからです。仕入れた商品に利益を乗せて売る行為は、世の中に価値を生み出さない賤しい行為だと儒教は考えます。物を作り出す仕事が尊いのだと。

だから、賤しい商行為でお金を稼ぐ商人から税金を取ることは、幕府が賤しい行為に手を貸しているのと同じとなるため、江戸幕府は商人から税を取りませんでした。江戸時代は、商人にとってタックスヘイブンだったのです。

幕府は、農民から米を納めさせ、その米を通貨として利用していました。大名の国力を測る物差しに石高を用いていたことからも、江戸時代は米本位制であったことがわかります。

米を通過として利用することにどのような欠点があるかわかるでしょうか?

簡単に言うと、米は価格変動がある商品だから、価値尺度となるべき貨幣とするに適さないのです。しかも、吉宗が米の増産を奨励すればするほど幕府財政が悪化していくという不都合も起こります。

幕府は米を増産させれば、当然年貢収入も増えるから、財政は豊かになると信じていた。しかし、実際には米は「商品」だから、増産すればするほど価格は下がる。結局、増産すればするほど幕府には金が無くなるという、まさに吉宗が期待したのと逆の現象が起こったのだ。
(176ページ)

吉宗の時代は、「米価安の諸色高」と呼ばれていました。つまり、米は安いけども、その他の商品の価格はやたらと高い状況で、米の収穫量が増えるほどこの傾向が強まっていきました。

では、米が不作になれば米価が上がり、幕府の財政が良くなるかと言うと、そう簡単ではありません。この場合、人道支援のため、幕府は無償で米を放出するので、結局、財政は悪化します。

ここでわかることは、価格変動があるものは通貨として役に立たないということです。最近では、仮想通貨が話題ですが、あれも価格変動があるので本質的には通貨になり得ません。したがって、仮想通貨という言葉は誤りなので、「通貨」を外さなければなりません。すなわち、「仮想」を取引しているだけです。


名君と称えられる徳川吉宗ですが、経済政策は苦手でした。

どんな名君にも、得意分野と不得意分野があるんですね。同様に現代の政治家にも得意分野と不得意分野があるはずです。