ウェブ1丁目図書館

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太平洋戦争は自分で判断できない国民を生み出した

太平洋戦争は、日本に甚大な被害を与えて終戦を迎えました。

最初からアメリカに勝てるはずがないのに開戦に踏み切ったこと。勝敗は決しているのに少しでも有利な条件を引き出すために戦争を長引かせたこと。今から見れば、当時の政府がいかに無能であったかがわかります。

ところで、このような無能な政府が、いったいどうやって誕生したのでしょうか。そして、国民は、政府の無能さをなぜ許し続けたのでしょうか。

泥棒から始まった明治政府

作家の半藤一利さんの著書『歴史と戦争』では、明治政府の誕生から終戦までが、端的にまとめられています。過去の著書や対談を収録した内容となっており、以前に半藤さんの著作をいくつも読んだ人には同じことの繰り返しに思えて退屈でしょうが、それ以外の人にとっては、明治政府の誕生から終戦までの時間の流れをざっくりと知るのに適しています。

また、戦争体験者の言葉であることから、臨場感も伝わってきます。

さて、明治政府は、江戸幕府を倒し、我が国の近代化を推し進め、現代の豊かな社会を構築する土台を作りました。しかし、一方で、その成り立ちには問題があったと言わなければなりません。

幼い頃、新潟県長岡市にいた半藤さんは、おばあさまから、新政府は泥棒だと教えられたそうです。幕府に無理やり戦をしかけた西軍の末裔が、太平洋戦争を開始し、国を亡ぼす寸前にまでし、それを救ったのが東軍の末裔だと。

明治維新での新政府の強引な開戦が、約80年後の太平洋戦争の悲劇へとつながっていったのです。

日露戦争のきわどい勝利を国民に伝えなかった政府

明治時代は、日清日露の2度の戦争を経験しています。

どちらも日本の勝利だったのですが、日露戦争に関しては、勝ったというより負けなかったと言った方が正しいでしょう。しかし、当時の政府は、国民にただ勝ったとだけ言い、その勝利がきわどかったことを全く伝えませんでした。

国民は、ロシアから賠償金を受け取れるはずだと思っていました。しかし、ロシアはこれを拒否。賠償金を受け取れないことに怒った国民は、日比谷焼き討ち事件を起こします。

この時に国民に情報を伝えない政府が誕生したのでしょう。

そして、日露戦争で犠牲にした「二十億の国費、十万の同朋の血」をあがなってロシアを駆逐した満州は、「日本の生命線」だと言われるようになりました。後に昭和の日本は、満州の権益は、二十億の国費と十万の同朋の血で獲得したものであり、絶対に守り抜かなければならない生命線だとして、国民感情を一致させていきました。

軍事大国化への道

昭和初期は常に非常事態でした。

上海事変血盟団事件満州国の強引な建設、五・一五事件、国連脱退による孤立化。

日本は、これより軍事大国化を目指し、国民はそれについていきました。

昭和12年(1937年)7月に日中戦争が勃発。陸軍は、「中国一激論」を唱えますが、完全に読み違え戦争は長期化していきました。この時も、日本は、二十億の国費と十万の同朋の血で手に入れた満州国の国境を守るため、無駄な血を流すことになります。ソ連の圧倒的な火力の前に惨敗した日本軍は、これからはもっと精神力を鍛えて火力に対していくという無謀な方針を打ち立てました。

半藤さんは、ノモンハン事件から学べることは以下の5つだと述べています。

  1. 当時の陸軍のエリートたちが根拠なき自己過信を持っていた
  2. 驕慢なる無知であった
  3. エリート意識と出世欲が横溢していた
  4. 偏差値優等生の困った集団が天下を取っていた
  5. 底知れず無責任であった


この5つは覚えておいた方が良いでしょう。

太平洋戦争は精神論で戦った

太平洋戦争がはじまると、日本軍は、精神論で戦うという傾向がさらに強くなっていったように思えます。

兵士は、捕虜になるより死を選ぶことを強要され、戦争末期になると特攻も強制されるようになりました。

こんな時代でも、陸軍を追い出された石原莞爾は、アメリカの富力と日本の貧しさを比較し、太平洋戦争は負けると言っています。しかし、日本軍は、その差も精神論で乗り切ろうとしたのですから、多くの犠牲者が出るのは当たり前です。

日本とアメリカの国力の差は随所に見られますが、その差を顕著に知ることができるのはフィリピンのレイテ島です。昭和17年に日本がレイテ島を占領して1年ほどの間に成し遂げたことは、数本の田舎道の完成、5つの井戸の完成、多量の天びん棒の作成、大量のロウソクの製作といったみすぼらしいものでした。

それに対して、昭和19年10月にレイテ島を奪還したアメリカは、わずか10日間で、数本のアスファルトの道路の完成、小規模な飛行場の完成、水道設備の完備、自家発電機の製作を成し遂げています。

これだけの技術力の差があることを認められなかった当時の政府は、国民の精神力以外に頼るものがなかったのでしょう。

情報を隠し続けた政府

戦局が悪化しても、日本は勝ち続けているとウソの情報を国民に伝えていたことは有名な話ですが、太平洋戦争の目的すらも国民には隠されていました。

国民は、自存自衛のために対米英戦争を戦っていると信じていましたが、当時の政府は、マレー、スマトラ、ジャワなどを領土とし、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握につとめるとしていました。そして、この方針は国民に伝えられることはありませんでした。

自存自衛やアジア解放どころか、日本がこれらの国々を植民地化するために国民を戦地に送り込んでいたというのですから、ひどいものです。

昭和18年の学徒出陣では、東条英機は、「いっさいを大君の御為に捧げたてまつるは、皇国に生を享けたる諸君の進むべきただ一つの途である」と述べており、この戦争が国民の生活を守るためのものではなかったことがうかがえます。

本土が空襲を受け大きな被害が出ていても戦争を続行したのは、アメリカが頑強に無条件降伏を突き付けてきたことが一つの理由ですが、戦争末期では、国体を守るため国民が最後の一人になるまで戦い続けることが目的になっていたことも理由に思えます。

この頃になると、国民も政府の言うことに従うのが当たり前となっており、政府の指示がなければ自分で判断できない国民になっていたのかもしれません。戦争が終わった後も、空襲を避けるため、電灯や窓に光りが漏れないように付けていた遮蔽幕を取ることをためらっていた国民が大勢おり、昭和天皇が遮蔽幕を取るように言うまでそのままにしていたそうです。

現代でも、新型コロナウイルスが弱毒化し危険性が低くなっていても、政府がマスクをとっても良いと言うまでマスクを取らなかった人が大勢いました。この政府の指示に従う国民性は、太平洋戦争末期から続いているのでしょう。

政府が正しい情報を国民に伝えない傾向もまた、当時から変わっていないようです。