動物のしぐさに思わずかわいいと思うことがあります。そして、そのしぐさには、どういった意味があるのかと疑問に思うことも、しばしばあります。
イヌやネコのようにペットとしてなじみ深い動物は、そのしぐさで、喜んでいるのか、怒っているのか、お腹が空いているのか、わかりやすいですが、野生動物の行動が何を意味しているのかをすぐに理解するのは難しいです。
でも、動物たちの行動については、研究が進み、徐々にその意味がわかるようになってきています。
仲間の利益と個人の利益
動物の行動を理解する学問に動物行動学があります。
動物行動学を専門とするトリストラム・D・ワイアットさんの著書『基礎からわかる動物行動学』は、初学者向きに動物の行動を解説しているので、動物行動学がどんな学問なのかを大雑把に知りたい方は、本書を読むと良いでしょう。
さて、人間社会では、集団の利益と個人の利益が天秤にかけられる場面がよくあります。小学校の運動会、会社の仕事などは、集団の利益のために個人が行動する典型的な場面ですが、動物たちも、同じように種全体の利益のために個体の利益を犠牲にすることがあるのでしょうか。
これについては、リチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』により、個体が種のために行動するという考え方は支持されなくなりました。人間社会でも、個人が集団の利益のために行動するのは、自分自身に見返りがある場合がほとんどです。仲間のため、お客さまのためと言っても、自分に見返りがないことを率先してすることは滅多にありません。
遺伝子と環境
動物の行動に影響を与えるものには、遺伝子と環境があります。どちらか一方が、動物の行動に影響するのではありません。
一部の行動は本能的(生得的)に決まっていますが、生得的に見える行動であっても、環境的な要件が必要になる場合があります。動物が、最初に見たものを親と認識し愛着を持つ行動は刷り込みと言われますが、それも環境が動物の行動に影響を与えている一例です。
学習する動物たち
また、学習することは人間の特権と思われがちですが、他の動物も学習します。
動物は、食べられそうなすべての餌を試す柔軟性を必要としています。例えば、ラットは、馴染みのない餌を少量しか食べず、食後数時間で体調が悪化した場合は、餌と体調不良を関係づけ、そのにおいを持つ餌を拒絶するようになります。これを味覚嫌悪学習と言い、動物界全体で一般的に見られます。
学習と言えば、道具を利用することも、人間以外の動物で見られる場合があります。キツツキフィンチは、サボテンのとげを使って樹皮の下から昆虫を引っ張り出しますし、カニクイザルは石を使ってカキの殻を割ったりむいたりします。
獲物を捕らえる場合、時に動物たちは種を超えた連携を見せることもあります。例えば、ハタはサンゴ礁に潜む魚を見つけると、ウツボにここに獲物が隠れていることを教え、ウツボがサンゴ礁から追い出した魚を食べます。
このような連携は、人間と動物との間でも見られるとのこと。モザンビークでは、ノドグロオミツオシエという鳥が蜂蜜ハンターにミツバチの巣がどこにあるかを教え、人間が蜂蜜を獲るのを助けます。一方のノドグロオミツオシエも、大好物のミツバチの巣を手に入れることができ、双方が利益を得られます。
動物の行動を理解する意義
人間と動物は、時に手を握り協力することもありますが、多くの場合、対立関係にあります。その最大のものは、食物をめぐる競争です。
農作物が野生動物に荒らされる被害は昔からあります。近年では、人がクマに襲われる被害が増加していますが、これも、食物をめぐる人間とクマの対立の一種です。
このような対立は、動物がどのように行動するかを深く理解すれば、ダメージの少ない方法で回避できるとのこと。動物の行動を理解する意義は、こういったところに見られます。
人間社会に舞い込んできた動物たちをその場で殺すことは簡単です。しかし、それで本当に良いのでしょうか。ある種の生物の絶滅は、人間社会に打撃を与える危険があります。他の動物たちの行動を理解していれば、そのような危険を避けられる可能性が高まるはずです。
人間も、地球上に棲む動物の一種であり、他の動物たちと変わりありません。人間が最も優れた生き物だとの価値観は、自らの立場を危うくする危険があるのです。