ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

日本史

日本史に出てくる戦いの噂話は本当か

日本史の中には、まだまだわかっていないことがあります。事実かどうかわからないこと。事実ではあるけどもなぜそのようなことが起こったのか疑問が残ること。日本史の中の謎は、今後、新たな史料の発見でわかることがあるかもしれません。逆に謎は謎のまま…

日本史上三度起こった関ヶ原の戦い

天下分け目の戦い。日本では豊臣秀吉と明智光秀が雌雄を決した天王山の戦いをこのように言うことがあり、スポーツでは、この一戦で優勝が決まるという大事な試合を天王山と表現することがあります。この天下分け目の戦いには、もう一つあります。それは美濃…

明治維新に貢献した薩長土肥の風土

人の性格に影響を与える要素はいくつかあります。住んでいる地域もその一つで、「県民性」という言葉で表されるように各地域に特徴的な文化が根付いています。奈良県には奈良県の県民性、鳥取県には鳥取県の県民性、香川県には香川県の県民性、熊本県には熊…

日本人の識字率の高さは平家物語のおかげ

日本国民の識字率は100%に近く、その高さは世界トップクラスです。日本人の識字率の高さは、現代の初等教育が優れていることを表していると言えるでしょう。でも、日本人の識字率の高さは、戦後からではなく、戦前も高かったです。それどころか江戸時代でも…

徳川吉宗のような名君にも不得意なことはある

江戸時代には、上杉鷹山など名君と呼ばれた殿さまが何人もいました。江戸時代の名君の中で、最も有名なのは徳川吉宗でしょう。時代劇の主人公にもなり、悪人を懲らしめているイメージが先行している部分はありますが、多くの人が徳川吉宗を名君と称えていま…

孝明天皇が暗殺されたとすれば実行犯の目的はなんだったのか

倒幕派が力を付けつつあり、幕府の権威が次第に衰え始めている中、重大事件が起きました。慶応2年(1866年)12月25日に幕府寄りの立場にあった孝明天皇が崩御したのです。幕府にとっても、倒幕派にとっても、自らの主張に大義名分を持たせるためには、天皇の…

古事記の神話も歴史のうち

古事記は、日本最古の歴史書です。歴史書というのですから、そこには事実か事実と考えられる内容が書かれているはずです。しかし、古事記の最初の方は、神代の時代のことが書かれているので、この部分は事実とは異なっているはずです。さすがに古事記に収録…

京都市よりも古都らしさを感じられる宇治市

1994年に「古都京都の文化財」が世界遺産に登録されました。千年以上にわたり日本の首都として栄えた日本文化の中心地であったことが、世界遺産登録の理由です。この時に登録された文化財の多くは京都市内にあるのですが、平等院と宇治上神社だけは宇治市に…

適正価格を表示して販売する商慣習を生んだ三井高利

買い物をしたり、レストランで食事する時、必ずと言っていいほどお店の商品やメニューに値札が貼られています。そして、商品を買ったり料理を食べたりした後は、その値札に記載された金額のお金を支払って取引が終了します。現代日本では当たり前にみられる…

歴史の教科書からは当時の社会を理解できない

1868年の正月の鳥羽伏見の戦いから翌年5月の箱館戦争までの新政府軍と旧幕府軍との戦いは、1868年が戊辰年だったことから戊辰戦争と呼ばれています。それから60年後の戊辰年にあたる昭和3年(1928年)。東京日日新聞社が、正月の読み物として前年の暮れから…

伊庭八郎の士道を貫かせた花魁小稲

その隻腕の剣士が活躍したのは、慶応4年(1868年)の5月下旬。西から攻め来る官軍を箱根で迎え撃つため、旧幕府の遊撃隊が出陣しました。遊撃隊を指揮していたのは、人見勝太郎と心形刀流の使い手伊庭八郎。両軍は箱根三枚橋で激闘を繰り広げます。この時、…

戊辰戦争の勝者と敗者の違いは政見の異同のみ

1発の砲声が正月気分を覚まさせた。暮れから不穏な動きがあったものの、正月くらいは楽しく過ごしたいと思っていた民衆にとって、年明けから戦争が始まるとはいい迷惑だ。慶応4年(1868年)正月3日の夕暮れ時。京都の南の鳥羽で、薩摩藩が幕府軍の隊列に向か…

鎖国の目的を忘れたらテロが起こった

日本は、江戸時代に中国、朝鮮、オランダ以外の国とは交易をしないいわゆる「鎖国」を行っていました。鎖国体制は、幕末のペリー来航によって終わり、日本は諸外国と交易をする開国の道を選びます。当時は開国すべきか鎖国を続けるべきかで世論が真っ二つに…

遷都は旧都に大打撃を与える

千年の都の京都は、平安遷都以降、政治の中心、文化の中心、経済の中心として発達してきました。しかし、京都の発展は順風満帆なものではなく、千年の間に様々な戦乱に巻き込まれ、そのたびに荒廃と再建を繰り返し現在にいたっています。特に京都に打撃を与…

応仁の乱の勝者が誰かわからない

今からちょうど550年前の1467年に応仁の乱が起こりました。応仁の乱は、中世の古い体制が壊され戦国時代へと突入た大乱です。室町幕府8代将軍の足利義政は、自らに子が生まれなかったことから弟の義視(よしみ)を次期将軍に据えることを決定しました。しか…

南北朝時代がややこしいのは観応の擾乱が原因

南北朝時代は、日本史の中でも複雑で理解しにくい時代です。京都を追われた後醍醐天皇が吉野に南朝を築き、室町幕府初代将軍の足利尊氏は光明天皇を即位させて北朝を作りました。この南北の王朝の対立が続いた時代が南北朝時代です。天皇家が2つに分かれて戦…

徳川家康の御三家創設は血統の保険

江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職を代々徳川家が世襲するために徳川の血が絶えないよう様々な工夫をしました。その一つが尾張、紀伊、水戸の御三家の創設です。それぞれの初代藩主は徳川家康の子です。万が一徳川宗家の血が絶えても、御三家から将軍を擁…

会津戦争に見る正義

1868年の戊辰戦争で、最大の激戦地となったのは会津でした。会津藩は幕末に藩主の松平容保が京都守護職を勤めており、不逞浪士の取り締まりを行っていました。取り締まりを受けた多くは長州藩士や土佐藩士。戊辰戦争初戦の鳥羽伏見の戦いで薩摩と長州を中心…

奥羽越列藩同盟の瓦解は仙台藩の失策が大きかった

1868年に起こった戊辰戦争は、1月の鳥羽伏見の戦いから翌年の五稜郭の戦いまで続きました。戊辰戦争は、初戦の鳥羽伏見の戦いで薩長を中心とした新政府軍が旧幕府軍に勝利したことが大きく、その後の戦いも新政府軍の優位は変わらずに函館五稜郭で旧幕府軍が…

織田家から政権を奪い取った豊臣秀吉の謀略

天下分け目の天王山。プロ野球もシーズン終盤の首位攻防戦になると、中継でアナウンサーがよく口にします。ここを勝てば優勝がほぼ決まるといった大事な試合を「天王山」と表現することがありますね。天下分け目の天王山とは、1582年に豊臣秀吉と明智光秀が…

中途半端に結果を残して早世すると後世に高く評価される

偉大な業績を残した歴史上の人物を挙げていくと不思議なことに気付きます。それは、何かを完結させた人よりも志半ばで世を去った人の方が高評価を受けるということです。明治維新を実現した木戸孝允や大久保利通よりも、日本の夜明け前に暗殺された坂本龍馬…

織田信長の経済政策と鉄砲の活用

戦国乱世を統一したのは豊臣秀吉です。また、その後の泰平の世を築き上げたのは徳川家康です。どちらも偉大な業績を残しましたが、2人が活躍できるようにしたのは織田信長です。豊臣秀吉も徳川家康も織田信長が敷いたレールの上を進むことで、スムーズに天下…

見廻組の活動は謎に満ちている

幕末の京都に見廻組という組織がありました。組織の目的は不逞浪士を取り締まること。同じ目的として結成された組織に新選組があります。こちらは浪士を募って結成した組織で、浪士が不逞浪士を取り締まることから「毒を以て毒を制す」と表現されました。一…

織田信長が宗教弾圧者だったら本能寺の変は起こっていない

織田信長の最期の地は京都の本能寺でした。家臣の明智光秀の謀反により、天下一統の目前でこの世を去りました。明智光秀が信長に背いた理由は謎のまま。様々な説がありますが、確証が得られていません。謎と言えば、信長が本能寺で討たれたことも不可解です…

幕末に散った志士は忘れられる

世界のどこかでテロ事件が発生すると、なぜそのようなことをするのかと疑問に思うとともに日本が平和な社会だと感じます。世界中でテロが起こっていることから、これからは日本国内でもテロが起こる危険があると警鐘を鳴らす人たちがいます。日本だけが特別…

いつの世も外交は世論に流される

日本人が洋服を着始めたのは明治時代のこと。それまでは誰もが和服を着ていたのですが、明治時代になって一気に洋服が普及します。現代の衣装は、ファッションという言葉があるようにその時々の流行によって変化していきますが、明治時代の洋服の普及は流行…

歴史の事実は「わき役」の言い分にも耳を傾けなければわからない

歴史の通説を作るのは勝者。敗者の言い分が通説に盛り込まれることは少なく、また、わき役たちが重要な役回りを演じても過小評価されている場合があります。歴史上の敗者やわき役の働きを正当に評価した史料もありますが、その内容が紹介される機会はあまり…

道理か利益か。道鏡を即位させなかった和気清麻呂の嘘。

奈良時代の話。この時代は女性が天皇に即位することが多く、二度天皇になった孝謙天皇(称徳天皇)もまた女性でした。現代も日本には天皇陛下がいらっしゃいます。歴代の天皇は全て男系、つまり、天皇陛下のお父さんのお父さんのお父さんの・・・と、ずっと…

聖武天皇に藤原不比等の血は流れているのか?

奈良の名物ですぐに思いつくものは何か?そう問われた時、多くの人が「大仏」と答えるでしょう。では、その大仏を造立したのは誰かと聞かれた時、「聖武天皇」と答えられる人はどの程度いるでしょうか。おそらく半分もいないと思います。さらに聖武天皇の母…

和と礼

日本の国民性には、どこか曖昧さがあります。言葉を発しなくても、表情で何を言わんとしているのか察するという辺りにも、どことなく曖昧さを感じます。中江兆民は、日本には純粋な哲学が存在しないと嘆きました。日本人特有の曖昧さを哲学として捉えるのは…