ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

日本史

薩長同盟は軍事同盟ではない

慶応2年(1866年)1月は、日本が明治維新へ進む重大な出来事があった月です。その重大な出来事とは、薩長同盟が成立したことです。元治元年(1864年)の禁門の変以後、薩摩藩と長州藩は犬猿の仲となり、特に長州藩は薩摩藩をひどく憎んでいました。当時、薩…

歴史上の人物の考え方を作家の視点から見る

歴史上の人物の性格は、ある程度わかっていることもあればわかっていないこともあります。例えば、織田信長は短気、豊臣秀吉は人たらし、徳川家康は気長といった性格であったと、多くの人が言っています。一方で、古い時代の人物だと記録が少ないこともあり…

現実を見る薩摩藩と空想で動く長州藩

幕末の文久3年(1863年)という年は、多くの出来事が起こりました。その中でも、長州藩と薩摩藩が外国と戦争をしたことは、後の日本の歴史に大きな影響を与えます。長州藩も薩摩藩も、外国との戦争で手痛い打撃を受けたのですが、両藩で、その捉え方は全く異…

孝明天皇の真意をごまかした長野主膳が安政の大獄の原因を作った

嘉永6年(1853年)のペリー来航で、これまで国を閉ざしてきた日本は開国を迫られることになりました。諸外国が日本との交易を望んでいるのなら、開国し、条約を締結して友好関係を築けば、国内の生産物を海外に輸出できますし、また、海外から国内にないもの…

劇中の織田信長と信長公記の織田信長の異同を知る

時代劇や歴史小説で描かれる織田信長は、短気で怒りっぽく、新しいものに興味を持ち、古いものは壊していく、革新的な面と破壊的な面を持つ人物です。また、数々の逸話も作中で採り上げられることが多く、中には本当なのかと疑ってしまうものもあります。こ…

現代日本人の体型は江戸時代の日本人とは大きく異なる

現代日本人の体型を欧米人と比較すると、身長は低いものの、さほど体型に差がないように見えます。「同じ人間なのだから、同じような体型をしていて当たり前」と思うかもしれませんが、現代日本人の体型は、過去の日本人の体形とは異なっていたようです。現…

精神力を過大評価するのは日本人の癖

1941年12月8日に始まり、1945年8月15日に終結したアジア・太平洋戦争での日本人の死者は310万人、そのうち軍人・軍属は230万人でした。戦時中の日本の人口が7,200万人前後でしたから、割合にして国民の約4.3%がアジア・太平洋戦争で犠牲になった計算です。軍…

ペリーは50年の猶予期間をおいて浦賀にやって来た

嘉永6年(1853年)に浦賀にペリーが来航したことは有名な歴史的事実です。当時の日本人は、この時初めて西洋諸国と自国との間に大きな技術力の差があることを認識したとされています。ペリーが乗ってきた黒船なんてものは、これまで全く見たことがなく、その…

黒船来航と競争社会の到来

1853年の黒船来航は、明治維新のきっかけを作りました。しかし、明治維新が実現するのは、それから15年後の1868年。黒船を見た当時の日本人は、カルチャーショックを受けたはずなのに国の体制を変えるのに15年もかかったのはなぜなのでしょうか。考えてみれ…

明治維新は薩長中心の正義

歴史の通説は、勝者によって作られるもの。勝者は、どんなに卑怯な方法で勝ったとしても、自分たちが正義なのだと後世に伝えることができます。反対に負けた側は弁明を許されず、場合によっては根絶やしにされることもあります。明治維新も、勝者によって正…

政治が乱れると文化が花開く

歴史の事実は一つですが、ある事件の原因や背景の捉え方は人によって異なります。善悪で歴史の事実を追及する人もいれば、その時代の風習や慣習に焦点を当てて事件がなぜ起こったのかを推理する人もいます。一般人の歴史の楽しみ方は、このような人によって…

日本史に出てくる戦いの噂話は本当か

日本史の中には、まだまだわかっていないことがあります。事実かどうかわからないこと。事実ではあるけどもなぜそのようなことが起こったのか疑問が残ること。日本史の中の謎は、今後、新たな史料の発見でわかることがあるかもしれません。逆に謎は謎のまま…

日本史上三度起こった関ヶ原の戦い

天下分け目の戦い。日本では豊臣秀吉と明智光秀が雌雄を決した天王山の戦いをこのように言うことがあり、スポーツでは、この一戦で優勝が決まるという大事な試合を天王山と表現することがあります。この天下分け目の戦いには、もう一つあります。それは美濃…

明治維新に貢献した薩長土肥の風土

人の性格に影響を与える要素はいくつかあります。住んでいる地域もその一つで、「県民性」という言葉で表されるように各地域に特徴的な文化が根付いています。奈良県には奈良県の県民性、鳥取県には鳥取県の県民性、香川県には香川県の県民性、熊本県には熊…

日本人の識字率の高さは平家物語のおかげ

日本国民の識字率は100%に近く、その高さは世界トップクラスです。日本人の識字率の高さは、現代の初等教育が優れていることを表していると言えるでしょう。でも、日本人の識字率の高さは、戦後からではなく、戦前も高かったです。それどころか江戸時代でも…

徳川吉宗のような名君にも不得意なことはある

江戸時代には、上杉鷹山など名君と呼ばれた殿さまが何人もいました。江戸時代の名君の中で、最も有名なのは徳川吉宗でしょう。時代劇の主人公にもなり、悪人を懲らしめているイメージが先行している部分はありますが、多くの人が徳川吉宗を名君と称えていま…

孝明天皇が暗殺されたとすれば実行犯の目的はなんだったのか

倒幕派が力を付けつつあり、幕府の権威が次第に衰え始めている中、重大事件が起きました。慶応2年(1866年)12月25日に幕府寄りの立場にあった孝明天皇が崩御したのです。幕府にとっても、倒幕派にとっても、自らの主張に大義名分を持たせるためには、天皇の…

古事記の神話も歴史のうち

古事記は、日本最古の歴史書です。歴史書というのですから、そこには事実か事実と考えられる内容が書かれているはずです。しかし、古事記の最初の方は、神代の時代のことが書かれているので、この部分は事実とは異なっているはずです。さすがに古事記に収録…

京都市よりも古都らしさを感じられる宇治市

1994年に「古都京都の文化財」が世界遺産に登録されました。千年以上にわたり日本の首都として栄えた日本文化の中心地であったことが、世界遺産登録の理由です。この時に登録された文化財の多くは京都市内にあるのですが、平等院と宇治上神社だけは宇治市に…

適正価格を表示して販売する商慣習を生んだ三井高利

買い物をしたり、レストランで食事する時、必ずと言っていいほどお店の商品やメニューに値札が貼られています。そして、商品を買ったり料理を食べたりした後は、その値札に記載された金額のお金を支払って取引が終了します。現代日本では当たり前にみられる…

歴史の教科書からは当時の社会を理解できない

1868年の正月の鳥羽伏見の戦いから翌年5月の箱館戦争までの新政府軍と旧幕府軍との戦いは、1868年が戊辰年だったことから戊辰戦争と呼ばれています。それから60年後の戊辰年にあたる昭和3年(1928年)。東京日日新聞社が、正月の読み物として前年の暮れから…

伊庭八郎の士道を貫かせた花魁小稲

その隻腕の剣士が活躍したのは、慶応4年(1868年)の5月下旬。西から攻め来る官軍を箱根で迎え撃つため、旧幕府の遊撃隊が出陣しました。遊撃隊を指揮していたのは、人見勝太郎と心形刀流の使い手伊庭八郎。両軍は箱根三枚橋で激闘を繰り広げます。この時、…

戊辰戦争の勝者と敗者の違いは政見の異同のみ

1発の砲声が正月気分を覚まさせた。暮れから不穏な動きがあったものの、正月くらいは楽しく過ごしたいと思っていた民衆にとって、年明けから戦争が始まるとはいい迷惑だ。慶応4年(1868年)正月3日の夕暮れ時。京都の南の鳥羽で、薩摩藩が幕府軍の隊列に向か…

鎖国の目的を忘れたらテロが起こった

日本は、江戸時代に中国、朝鮮、オランダ以外の国とは交易をしないいわゆる「鎖国」を行っていました。鎖国体制は、幕末のペリー来航によって終わり、日本は諸外国と交易をする開国の道を選びます。当時は開国すべきか鎖国を続けるべきかで世論が真っ二つに…

遷都は旧都に大打撃を与える

千年の都の京都は、平安遷都以降、政治の中心、文化の中心、経済の中心として発達してきました。しかし、京都の発展は順風満帆なものではなく、千年の間に様々な戦乱に巻き込まれ、そのたびに荒廃と再建を繰り返し現在にいたっています。特に京都に打撃を与…

応仁の乱の勝者が誰かわからない

今からちょうど550年前の1467年に応仁の乱が起こりました。応仁の乱は、中世の古い体制が壊され戦国時代へと突入た大乱です。室町幕府8代将軍の足利義政は、自らに子が生まれなかったことから弟の義視(よしみ)を次期将軍に据えることを決定しました。しか…

南北朝時代がややこしいのは観応の擾乱が原因

南北朝時代は、日本史の中でも複雑で理解しにくい時代です。京都を追われた後醍醐天皇が吉野に南朝を築き、室町幕府初代将軍の足利尊氏は光明天皇を即位させて北朝を作りました。この南北の王朝の対立が続いた時代が南北朝時代です。天皇家が2つに分かれて戦…

徳川家康の御三家創設は血統の保険

江戸幕府を開いた徳川家康は、将軍職を代々徳川家が世襲するために徳川の血が絶えないよう様々な工夫をしました。その一つが尾張、紀伊、水戸の御三家の創設です。それぞれの初代藩主は徳川家康の子です。万が一徳川宗家の血が絶えても、御三家から将軍を擁…

会津戦争に見る正義

1868年の戊辰戦争で、最大の激戦地となったのは会津でした。会津藩は幕末に藩主の松平容保が京都守護職を勤めており、不逞浪士の取り締まりを行っていました。取り締まりを受けた多くは長州藩士や土佐藩士。戊辰戦争初戦の鳥羽伏見の戦いで薩摩と長州を中心…

奥羽越列藩同盟の瓦解は仙台藩の失策が大きかった

1868年に起こった戊辰戦争は、1月の鳥羽伏見の戦いから翌年の五稜郭の戦いまで続きました。戊辰戦争は、初戦の鳥羽伏見の戦いで薩長を中心とした新政府軍が旧幕府軍に勝利したことが大きく、その後の戦いも新政府軍の優位は変わらずに函館五稜郭で旧幕府軍が…