歴史修正主義と聞くと、過去の事実を捻じ曲げて自らの主張を正当化することのように思えます。
歴史修正主義に対する批判は、過去に公表された情報こそが正しく、それ以後に公表された情報は、何かの企みがあって公表されたものであり、事実とは異なるとする考え方が根底にあるのではないでしょうか。
しかし、歴史上の事実、こと近現代史に関しては、事件発生直後に正しい情報が伝えられないことはよくあります。だから、事件から数十年経過した後に真実が明らかになることもあり、そのたびにこれまでの歴史の通説を考えなおす必要が出てきます。
戦勝国で第二次世界大戦の見なしが行われている
第二次世界大戦は、ドイツと日本の敗戦国が一方的に悪者だと戦後決めつけられてきました。日本国内でも、当時の日本は侵略戦争をした悪い国家だったとするのが通説です。
確かに当時の日本もドイツも悪いことをしてきましたが、もっと悪い国があったことが、近年明らかにされています。その国はソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)です。
近現代史、外交、安全保障、インテリジェンスなどを主な研究テーマとする江崎道朗さんの著書『日本人が知らない近現代史の虚妄』では、第二次世界大戦のこれまでの通説が変わりつつあることが、各国から公表された機密文書とともに解説されています。
ほとんどの日本人は、各国の機密文書が公開される以前の情報をもとに第二次世界大戦を評価していますが、もはやそれは古い常識です。現代の国際社会では、当時のソ連が行ってきた行為が、第二次世界大戦をより悲劇的なものにしてきたと考えられるようになっています。
ソ連の機密文書「リッツキドニー文書」が公開されたのは1991年。この文書には、戦前戦後にソ連が各国にスパイや工作員を送り込んでいたこと、また、各国要人たちをスパイとするスパイ工作が行われていたことも記されており、当時、ソ連や共産主義に有利となるような世論形成や影響力工作が仕掛けられていたことが明らかになってきています。
ドイツとソ連の密約
1939年8月。ドイツとソ連が、独ソ不可侵条約秘密議定書を結び、第二次世界大戦がはじまります。
秘密議定書の内容は、ポーランドの西はドイツ、東はソ連が領土とすること、また、ソ連がバルト三国やフィンランドなどを支配下に置くことといったものでした。ドイツのユダヤ人虐殺は、頻繁に取り上げられますが、ソ連がポーランドで行った虐殺はあまり取り上げられることはありません。両国とも非人道的な行為をしていたのにソ連に対して表立った批判が聞こえてこなかったのは、悪のドイツを倒した戦勝国の側にいたからです。
戦後に中・東欧諸国がソ連の共産党政権による弾圧を受けてきましたが、こちらも、ソ連が崩壊するまで日本ではあまり取り上げられることはありませんでした。
ところが、ソ連の機密文書が公開されたことで、これまでの近現代史の見方が変わって来ました。中・東欧諸国が第二次世界大戦中と戦後のソ連による侵略・占領を一斉に告発し始めたのです。当時のソ連を率いていたスターリンに対する批判はもちろんのこと、アメリカのルーズヴェルトに対しても戦争責任を追及するようになってきています。
ルーズヴェルトがなぜ戦争責任を追及されるのか。それは、1945年2月のヤルタ会談で、ソ連が国際連合の創設に協力すれば、東欧、満州、千島はソ連の支配下に置いても良いとの密約をルーズヴェルトがスターリンと交わしていたからです。会談には、イギリスのチャーチルもおり、スターリン、ルーズヴェルトとともに戦後の中・東欧に対するソ連の圧政を認め、人々を苦しめる結果となりました。
なお、ルーズヴェルトが結んだヤルタ合意は、2005年5月にジョージ・ブッシュ大統領がラトビアの首都リガで行った演説の中で、「史上最大の過ちの一つ」だと認め、欧州を分断する結果になったことを謝罪しています。
ソ連の世論誘導で日米関係悪化
太平洋戦争は、日本が宣戦布告前に真珠湾を奇襲したことで始まりました。
当時のアメリカ国民は、日本の卑怯な攻撃に怒り、「リメンバー・パールハーバー」が合言葉となります。
この太平洋戦争も、ソ連の工作員により世論が誘導されたことで起こったことがわかってきています。当時のアメリカの庶民は、日本との開戦に否定的で、日本でもアメリカと戦争することは避けるべきだとの意見がありました。しかし、両国の国民は、ソ連の工作により反日、反米感情が刷り込まれていき、太平洋戦争へと繋がっていきます。
当時のソ連は、非常に狡猾で、工作員を使って民主主義国同士が戦争するように仕向けていきました。日本の世論もアメリカの世論も、ソ連の手口にまんまと引っかかってしまったのです。
太平洋戦争前のアメリカは、強い日本と弱い日本で世論が分かれていました。
昨今の日本のアジアでの行為には賛成できない面があるけども、中国やソ連の問題行動に対するには、日本が強くなくてはならないというのが強い日本の主張です。一方、弱い日本は、日本を弱体化することが世界平和に望ましいとする主張です。当時のルーズヴェルト民主党政権は、弱い日本派だったことから、日本を徹底的に叩く道を選択しました。
しかし、1949年の朝鮮戦争の勃発で、弱い日本がまちがいであったとアメリカは気づきます。
東京裁判で、日本の弱体化を図っている最中に中国共産党政府ができ、北朝鮮も誕生し、ソ連や中国共産党がアジアを侵略し始めました。日本の侵略を裁くなどと言っている間に共産主義が世界を侵食し始めたことに目を覚ましたアメリカは、弱い日本から強い日本へと方針転換し、日本をソ連や中国から民主主義を守る国と位置付けます。そして、誕生したのが自衛隊です。憲法9条と自衛隊の矛盾は、こうやって生まれました。
さて、「リメンバー・パールハーバー」という言葉は、現在のアメリカでは「覚えておけよ!日本」といった意味では使われていません。太平洋戦争は、日米両国の国益がぶつかり合って起こった戦争であり、日本を侵略国だとした東京裁判は事実上否定されています。「リメンバー・パールハーバー」は、その歴史を忘れないという意味に変わっているようです。
ある事件が起こった時、その直後に集められた情報の信頼性が高いと思いがちです。
でも、歴史の真実は、事件直後の情報だけでわかるものではありません。情報は、隠されることもあり、歪められることもあります。事件の関係者が生きている間は、特にそのようなことが起こりやすいと考えるべきです。
本書では、近現代史は、ある程度の年月が経過し事実関係が明らかにならないと評価できないと述べられています。その通りでしょう。
近現代史は、修正されるのが当たり前なのです。