ウェブ1丁目図書館

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専門家のように見える素人が政策を決定していた

新型コロナウイルスの騒ぎも、今では過去のものとなり、「そんなことあったっけ?」と言っている人もいることでしょう。

当時を振り返ると、おかしなことをしていたなと思うことがたくさんありましたね。石けんでひたすら手を洗うとか、感染予防に無意味なことをのたまう医師もいました。ワクチンに関するデマもたくさん流れました。

日本は、他国よりも被害が少なく、徹底した感染予防策を取る必要がなかったのですが、ウイルスの素人たちによって決められた政策により、生活が破綻した人が出ました。しかし、当時は、その政策が正しかったと思っていた人が多く、そして、今では、それについての関心を持たなくなっている人が増えているように思います。

少量のウイルスが体内に入ってきても感染は成立しない

コロナ禍では、ウイルスの素人である医師が頻繁にメディアに出演し、おかしなことを言っていましたが、そんな中でも、現在わかっているウイルスの知識をメディアで発信している専門家もいました。

京都大学生物学研究所准教授の宮沢孝幸さんも、その一人です。宮沢さんの著書『ウイルス学者の責任』は、コロナ禍後期の2022年4月に出版されましたが、今読んでみると、宮沢さんが言っていたことの方が、医学界の専門家が言っていたことよりも正しかったのではないかと思います。

コロナ禍以前は、ウイルスが体内に入ってきたことをもって感染したと思っている人が多かったようで、それが、過度な感染予防に走らせた原因の一つでした。ウイルスが体内に入って来ても、悪さをしなければ感染とは言えません。そして、感染が成立するためには、ウイルスが一定以上体内に入って来なければなりません。

宮沢さんは、感染の成立を受精に例えて説明しています。受精においては多数の精子卵子をめがけていき、卵細胞の防護層を酵素で溶かして、タイミングよく到達した精子のみが受精します。1つの精子だけで受精が成功するわけではありません。ウイルス感染もこれと同じで、1つのウイルスが体内に入ってきたくらいでは、体内で破壊活動を行うことはできません。

感染を防ぐということは、体内に一切ウイルスを入れないことではなく、体内に入って来るウイルス量を感染が成立しない程度まで減らすということです。コロナウイルスも同じで、マスクの着用、手洗い、大騒ぎをしないといった程度で体内に入って来るウイルス量を感染が成立しない程度まで抑えることができます。マスクは、繊維の隙間がウイルスよりも大きいので、ウイルスの侵入を完全に防げません。しかし、感染が成立しない程度に体内に入るウイルス量を減らすのであれば、その目的達成に貢献できるでしょう。

ウイルス学の世界では、ウイルスの数が少なければ他人にウイルスを感染させないことは常識なのに医師の間では常識ではなかったようだと、宮沢さんは述べています。緊急時代宣言が、過度な感染予防策だったことは言うまでもありません。

エビデンスが思考停止させる

コロナ禍では、やたらとエビデンス(科学的根拠)という言葉を耳にしました、意味もわからず使っている人が多かったのではないでしょうか。

当時は、新型コロナウイルスに関するエビデンスは蓄積されていませんでした。今もそうかもしれません。コロナ禍は多くの人の生活を破綻させましたが、エビデンスを叫ぶ人たちはエビデンスがなければ思考停止することがわかったことだけは収穫だったと思います。

コロナウイルスは、以前から存在していたウイルスです。だから、ウイルス学の世界では、従来型のコロナウイルスに関する知見はありました。そして、その知見を用いれば、新型コロナウイルスについても、おおむね間違いのない推測ができると宮沢さんは述べています。なぜなら、ウイルスの物理学的性状は、ウイルスの種類で似通っているからです。

コロナウイルスは、典型的な風邪のウイルスです。したがって、新型コロナウイルスの予防も、風邪の予防と同じことをしていれば良かっただけなのです。しかし、新型コロナウイルスに関するエビデンスがないことで思考停止した人たちは、人流を止めるという大規模な感染予防策をとりました。今では、そこまでする必要はなかったと、多くの国民が思っていることでしょう。

ワクチンのせいで感染を助長することもある

コロナワクチンは、コロナ禍を終わらせるのに貢献しましたが、ワクチン接種が始まっても人流を止め続けようと主張する人たちはいました。コロナ禍の初期には、医療崩壊を防ぐことが目的だったのにいつの間にか感染者を出してはいけないといった論調に変わってきていましたね。

さて、そのワクチンですが、これも誤解している人が多いです。ワクチンは、パソコンやスマホファイヤーウォールのようなものだと思っている人がいるかもしれませんが、そうではありません。ワクチンは、病原体を攻撃するまでの時間を短縮するものであり、体内への病原体の侵入を防ぐものではありません。だから、ワクチンを接種しておけば、病原体の体内への侵入を許しても、時に感染を予防できますし、時に感染が成立しても重症化する前に病原体をやっつけることができます。

ワクチンは、感染を防ぐものではなく重症化を防ぐものだと言われることがありますが、厳密にはそういうことではありません。

一方で、ワクチンを打ったら逆に感染を助長することもあります。ADE(抗体依存性増強)と呼ばれるもので、例えば、コロナウイルスのある型に対しては効果があっても、別の型に対してはウイルスの破壊活動を助けてしまう場合があるのです。

なんでもかんでもワクチンを打っておけば良いというものではありません。

ワクチンの安全性など販売前にわからないだろう

新型コロナワクチンについては、しっかりと治験が行われ安全性が確認されてから販売されたに違いないと思っている人が多いでしょう。一方で、しっかりと研究される前に販売されていたのではないかと疑っている人もいると思います。

本書を読んで、販売前にワクチンの安全性を確かめることは、不可能ではないかと思いました。

例として、10万人に1人が死亡し、10人が重篤な副作用が出るワクチンがあった場合、最低でもサルなどの動物を100万頭程度用意しなければならないそうです。実際に100万頭ものサルを用意して、動物実験をすると、どれだけの費用がかかるのか、そして、どれだけの時間がかかるのか想像してみると、まあ、無理だろうなと思いますよね。

毎日1,000頭のサルにワクチンを接種した場合でも、約3年かかります。1頭のサルの接種費用が1万円だったとしても100億円のお金が必要です。

おそらく、このような実験は不可能でしょう。宮沢さんは、ここに科学の限界があると指摘しています。

ワクチンの安全性が事前に確認できない以上、国民全員にワクチンを接種させるのはリスクが大きいです。一方で、ワクチンで救われる命もあります。これを一体どう考えたらよいのでしょうか。

一つの方法として考えられるのは、感染すると重症化しやすい人に限ってワクチン接種を進めることです。新型コロナワクチンであれば、重症化しやすい高齢者や持病のある人に限ってワクチン接種を進めていくべきだったでしょう。そうやって、100万人、200万人と接種した時点である程度のデータが集まります。そのデータを分析して、安全性が確かめられたのなら接種範囲を広げ、重篤な副反応が出る人がいた場合には、接種範囲を限定します。

先にも述べたようにワクチンの安全性を事前に確認できません。できると言っている人は、うさんくさい。

妊婦にコロナワクチンを接種しても安全だとメディアで発言している医師もいましたが、その根拠となる『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に掲載された論文は、多くの批判が集まり、結論に関しては撤回されたそうです。実際にコロナワクチンの接種後に胎児が死亡した報告例が、厚生労働省に寄せられています。ワクチンとの因果関係はわかりませんが、報告があった時点で、いったん妊婦へのワクチン接種を中止するといった対応が必要だったのではないでしょうか。


新型コロナウイルスもコロナワクチンも、その後遺症で苦しんでいる人はたくさんいます。また、コロナ禍で経済的打撃を受けた人もいます。

もしも、同じようなことが起こった時には、ウイルス学のプロを政府の専門家会議のメンバーに加えるべきでしょう。