ウェブ1丁目図書館

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文永の役の勝利は疲弊した蒙古軍を鎌倉武士団が蹴散らしたから

歴史上の事件の中には、考えられないような奇跡的なものがいくつもあります。

偶然なのかもしれませんが、もしかしたら、必然的に起こった事象だったのかもしれません。科学が未発達の時代にあっては、それは奇跡と呼ぶしかなかったり、神仏のご加護があったのだとしか説明できなかったのでしょう。

もしも、現代に同じ事件が起こったとしたら、それは、奇跡でも何でもない当たり前の事象として説明できるのかもしれません。

文永の役で神風は吹かなかった

船の3Dイラストレーションを制作する「Ship 3D Design 播磨屋」を主催し、2019年公開の映画『アルキメデスの大戦』で製図監修を担当した播田安弘さんは、著書の『日本史サイエンス』で、蒙古襲来、羽柴秀吉中国大返し、太平洋戦争の戦艦大和について、科学的な視点で、事件の謎に迫っています。

鎌倉時代に蒙古軍が2度、九州に侵攻してきた元弘は、運良く神風が吹いたことで、蒙古軍が乗ってきた船が沈没し侵略を免れたとされています。

本当に神風だけで蒙古軍は撤退したのかというのは、これまでも疑問視されていました。そもそも神風とは何のか。過去には、台風だとする説もありました。しかし、1回目に蒙古軍が襲来した文永の役は、旧暦の10月20日で、新暦の11月末にあたることを1958年に気象学者の荒川秀俊氏が指摘し、そして、この時期に台風が来ることはないと発表したことから、台風説は否定されました。

そうすると蒙古軍は、神風で大打撃を受けたのではないと考えられます。

当時の高麗の経済力では大型軍船300隻の建造は不可能

蒙古軍は、文永の役で、大型軍船300隻、小型上陸艇300隻、水汲み艇300隻に乗ってやってきたとされています。

これらの船は、元の皇帝フビライ朝鮮半島を支配していた高麗に命じて6ヶ月で造らせたということですが、それは当時の高麗の経済力では非常に難しいことだったようです。

播田さんの計算では、まず、大型軍船1隻を建造するのに約234㎥の木材が必要になるそうです。そして、当時としては、300隻分の木材を集めるのは不可能とのこと。また、船大工も、1隻につき33人/日が必要で、300隻だと約1万人の労働力になります。しかし、1万人の船大工がいたとは考えられないことから、2500人くらいが妥当なところのようです。

さらに作業をするための人夫は船大工の10倍くらい必要とのことですから人夫は2万5000人、これらの人々の宿舎や食事の世話にも2万5000人が必要と仮定すると、総計約6万人/日の労働力を集めなければなりませんでした。

こうやって計算していくと、大型軍船の新造は150隻程度で、残る150隻は三別抄という高麗の軍事組織を鎮圧した時に使用した中型軍船150隻で間に合わせたのではないかとのこと。

蒙古軍は船酔いで疲弊

900隻の船を用意できたところで、蒙古軍がいよいよ九州に向かって船出します。

兵士は2万6000人、その他の作業をするための人員を合わせると約4万4000人の大船団です。

対する鎌倉武士団は、騎馬兵5000騎、歩兵郎党5000人、平坦郎党5000人であり、戦闘に参加できたのは1万人でした。

数の上では、圧倒的に蒙古軍が有利です。

しかし、蒙古軍は、その数を有効に使えなかっただろうと播田さんは指摘します。その理由の一つとして考えられるのは船酔いです。当時の船で航海すると、博多に上陸した時には、3分の1が船酔いで満足に戦えなかった可能性があります。そして、大型軍船300隻を1ヶ所に停泊させるのも非常に難しく、蒙古軍全軍が一斉に上陸することは不可能だったようです。

これらを前提にすると、上陸開始の午前6時から10時の間で、揚陸数はおそらく3往復ほどで、兵士と兵站の3分の1程度しか上陸できていなかったと推測できます。対する鎌倉武士団は、騎馬1000、郎党1000で立ち向かい、集団騎馬突撃により蒙古軍に大打撃を与えたと推定しています。播田さんは、計算にあたってランチェスター戦略を用いており、蒙古軍と鎌倉武士団の被害がどの程度だったのかも算定しています。

鎌倉武士団の猛攻にあった蒙古軍は船に退却。夜中に壱岐に向けて出港しましたが、12月の対馬の海は、最大風速15mの風が吹くことも珍しくなく、多くの蒙古軍の船が沈没しました。


こうして文永の役は、鎌倉武士団の勝利で幕を閉じます。偶然の神風で勝利したのではなく、鎌倉武士団の力で蒙古軍を追い払ったのです。

蒙古軍の敗因は、全軍を一斉に上陸させられず、戦力を逐次投入せざるを得なかったことにあると播田さんは結論付けています。おそらくそうでしょう。鎌倉武士団は、蒙古軍の新兵器に苦戦し、けちょんけちょんに粉砕されたけど、神風のおかげで助かったということではなさそうです。

優位に戦いを進めていた蒙古軍が、なぜ船に退却したのか。それを納得のいくように説明するなら、戦況が不利になったからと考えるのが自然です。

史料に書いていることが事実とは限らない

本書を読むと、史料に書かれていることを鵜呑みにできないなと思わせられます。

どんな情報に対しても、現実問題として、そのようなことが可能なのかという視点を持つことが大事です。羽柴秀吉中国大返しも、現実にそのようなことができるのかという視点で見ると、通説では説明できないことがいくつも出てきます。一級史料だから信用できる、論文に書いてあることがエビデンス(科学的根拠)だとし、権威に対して疑問を持たない姿勢でいることは危険なことです。

本書では、播田さんが、船の専門家ということもあり、蒙古襲来、秀吉の中国大返し戦艦大和のいずれについても、船について詳しく説明されています。中国大返しで船が使われた可能性を指摘する説があり、それについても播田さんの仮説が展開されていて興味深く読むことができました。

歴史の世界に物理の目が入ることで、事実の解明が進んでいきそうですね。