日本国民の識字率は100%に近く、その高さは世界トップクラスです。
日本人の識字率の高さは、現代の初等教育が優れていることを表していると言えるでしょう。でも、日本人の識字率の高さは、戦後からではなく、戦前も高かったです。それどころか江戸時代でも、世界トップクラスの識字率で、幕末に日本を訪れた外国人を驚かせたという逸話が残っているほどです。
江戸時代に識字率が高かった理由として挙げられるのが、寺子屋の存在です。庶民の子供たちまでが、お寺で読み書きを習っており、当時の識字率は男性で40~60%、女性で15~30%と考えられています。
識字率向上の土台は平家物語
しかし、作家の井沢元彦さんは、「逆説の日本史 16 江戸名君編」で、寺子屋が識字率向上に貢献したことを認めながらも、その土台となったのは平家物語だと述べています。
平家物語は作者不詳となっていますが、吉田兼好は徒然草の中で藤原行長と生仏が作者だと述べています。そして、愚管抄を著した慈円がサポートし、世の中に広まっていったようです。
井沢さんは、非業の死を遂げた平家一門や安徳天皇が怨霊化して悪さをすることを恐れた慈円が、怨霊の鎮魂のために平家物語をプロデュースしたのだと考えています。平安時代に活発となった御霊信仰が鎌倉時代にも生きており、平家の人々の鎮魂をしないと災いがもたらされると考えた慈円は、音曲に乗せて人々に読み聞かせることで彼らの鎮魂を図ったのだと。
目が見えない琵琶法師を起用したのも、怨霊鎮魂のためと考えています。
メロディーに乗せて語られる物語は、頭の中に入ってきやすく、言葉を覚えやすいメリットがあります。怨霊鎮魂を目的とすることから、広く庶民まで平家一門の悲劇を語り聞かせなければなりませんから、文章だけでは不十分です。この時代の庶民は読み書きができませんから、語り聞かせることが重要ですし、さらに覚えやすくするためにメロディーに乗せて語る工夫もしなければなりません。
そのために平家物語は、音曲という形で人々に聞いてもらう形を採用したのです。
言葉を覚えれば読めるようにも書けるようにもなる
メロディーに乗せて語られる平家物語は、暗記しやすく、意味は分からなくても言葉が頭の中に残ります。
この状態になれば、文章を読むのが楽になります。「ぎおんしょうじゃのかねのこえ」と覚えた子供に大人が「祇園精舎の鐘の声」と書いて見せ、これで「ぎおんしょうじゃのかねのこえ」と読むんだよと教えてあげれば、子供はその文字列を記憶しやすくなります。そして、文字が読めるようになれば、やがて書けるようにもなります。
つまり、平家物語を暗記している子供に読み書きを教えることは、何らの物語も暗記していない子どもに読み書きを教えるよりも、はるかに楽になるのです。江戸時代に識字率が向上したのは、人々に平家物語を音曲に乗せて語った琵琶法師の功績が非常に大きいと言えます。
平家物語は庶民を対象として語られました。しかし、武士は戦争を生業としますから怨霊を信じません。そのため、怨霊鎮魂を目的とする平家物語ではなく、戦術面の教育という視点を考慮し、太平記が武士階級の子供たちの教科書になります。
そこで、武士階級に登場したのが「太平記読み」と呼ばれる職業です。太平記読みは、太平記を音読し、解釈を加えて講義を行います。兵法を学ぶという目的から、武士階級では初等教育から高等教育まで太平記読みによって講義が行われていったのです。
江戸時代の寺子屋教育が上手く行ったのは、平家物語によって、すでに庶民の中に読み書きを習うための土台が作られていたからという説には、なかなか説得力があります。運動をしたことがない子供に野球を教えるよりも、ボールを投げて遊んだ経験を持つ子供に野球を教える方が楽だというのと同じですね。
ところが、日本人の識字率の高さは、江戸時代の寺子屋教育によって培われたものだとするのが通説です。このような解釈がなされるのは、史料絶対主義が歴史学界にはびこっているからだと、井沢さんは批判しています。
乃木坂46が人気なのは、その前にAKB48の成功があったからだと言われれば、現代の多くの日本人が納得するでしょう。もっと遡れば、1980年代のおニャン子クラブというアイドルグループの成功が、乃木坂46の土台作りに貢献したと言うこともできます。
もしも、数百年後の日本人が乃木坂46やAKB48の映像を発見したけども、おニャン子クラブの映像を見つけることができなかった場合、2010年代の日本では、「46」や「48」と数字の付いたアイドルグループが突如ブームになったと思うかもしれません。残っている史料だけで歴史を考えれば、それが事実だとされるでしょう。
秋元康さんについて調べる人が出てこないことには、おニャン子クラブが30年後のアイドルグループの土台になったという発想にはならないでしょうね。
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