嘉永6年(1853年)のペリー来航で、これまで国を閉ざしてきた日本は開国を迫られることになりました。
諸外国が日本との交易を望んでいるのなら、開国し、条約を締結して友好関係を築けば、国内の生産物を海外に輸出できますし、また、海外から国内にないものを輸入できるので、日本にとっても大きなメリットがあります。
しかし、江戸幕府が開国をしようとしても、それを許さない人物がいました。それは、孝明天皇です。
孝明天皇は外国人嫌い?
孝明天皇が開国を拒んだのは、大の外国人嫌いだったからと言われています。
ただ外国人が嫌いというだけで開国を認めない孝明天皇は、日本国民のことを全く考えていないじゃないかと思ってしまいますが、そうではありません。孝明天皇は日本国民のことを考えて開国を拒否したのです。
作家の井沢元彦さんの著書「逆説の日本史 19巻 幕末年代史編Ⅱ」では、日米修好通商条約の調印から桜田門外の変までの複雑な政治情勢がわかりやすく解説されています。
孝明天皇が開国を拒否したのは、外国人が嫌いだったからという単純なものではありません。孝明天皇は、神を祀り祈りを捧げることで、国家の平和と安寧を保っていると信じていましたし、周囲もそれを認めていました。
確かにペリー来航までは、それなりに国内の情勢は安定していました。だから、孝明天皇は日々の神への祈りで国内が平和を保っていると思ったことでしょう。ところが、外国人が日本を歩き回るようになって、大地震は起こるし、コレラは流行するしで、日本国内では多くの死者が出ました。
このような未曾有の国難は、外国人がケガレを持ち込んだ結果だと考えた孝明天皇は、これまで政治を幕府に委任していましたが、さすがに開国だけは認められないと政治に口を挟むことにします。
孝明天皇は、過去に幕府から条約調印を許して欲しいと嘆願されたのを拒否しています。それなのに幕府は孝明天皇の意思に反して条約を結びました。だからそのことについて御三家もしくは大老が上洛して説明するように命じたのですが、これも無視されました。
怒った孝明天皇は、「この難局を乗り切るためには、幕府内部でもめている場合ではないから、大老、老中、御三家、誤算京、家門あるいは大名が力を合わせなさい」という勅命を幕府に下すとともに水戸藩にも下しました。これを戊午の密勅といいます。
勤王攘夷の総本山である水戸藩に密勅が下されたことは厄介でした。開国しないと諸外国から攻撃されることを恐れて開国したのに水戸藩が暴れ出したら、幕府は諸外国と国内世論の板挟みになり厳しい立場に立たされてしまいます。
長野主膳のごまかし
日米修好通商条約に調印する前、水戸斉昭や松平慶永が無断で登城し、大老井伊直弼に対して条約調印を待つように説得しようとしました。しかし、井伊直弼は、それを受け付けず、無断で登城したことを理由に水戸斉昭らを謹慎させました。
戊午の密勅は、この処分を取り消せと幕府に迫っているものであり、それが水戸藩にも下されたのですから井伊直弼にとっては一大事です。
井伊直弼には腹心の長野主膳が京都にいました。その長野主膳が戊午の密勅が下される前になぜ手を打たなかったのか。井伊直弼は怒ります。
これに対して長野主膳は、その場を取り繕うために嘘の情報を井伊直弼に送ります。その情報は、戊午の密勅は、裏で水戸斉昭が動いて下されたものだというものでした。
直弼はこの情報で、とうとう重大な決意を固めた。
水戸斉昭一派、いや自分に対する反対はすべては、口では天皇の御意思こそ絶対であると主張しながら、実はその御意思をねじ曲げ、幕府を窮地に追い込もうとしている、極悪非道の者供だと考えたのである。
極悪非道の者供に対する政治家としての責任とは何か?
言うまでもない、すべて検挙し処罰・処刑することである。(118ページ)
この長野主膳のごまかしがきっかけで、安政の大獄、桜田門外の変へと続いて行きました。
その後、戊午の密勅はどうなったのでしょうか。
井伊直弼は、京都に派遣していた間部詮勝に対して、水戸藩に下した戊午の密勅を返納する勅命を孝明天皇に出してもらうように説得しろと命じます。
そして、間部詮勝は、孝明天皇を口説き落とすことに成功します。ところが、その後に孝明天皇が幕府に出した勅書には、「間部詮勝の説明に納得した。幕府は将来攘夷を実行するために一時的に開国する策を取っているのだな。それなら、水戸に出した勅は返納させて良い」という内容が書かれていました。
幕府には、将来、攘夷を実行する意図はありません。間部詮勝は、孝明天皇にしてやられたのです。井沢さんは、孝明天皇がこのようなことを思いつくはずはないとし、その背後に岩倉具視がいたのではないかと推測しています。
日米修好通商条約の調印から桜田門外の変までの政治の流れは、とても複雑です。条約に調印するかどうかの他にも、将軍継嗣問題が絡み、長州の吉田松陰まで巻き込まれていくので、糸がもつれたように何が何だかわからなくなります。井沢さんの「逆説の日本史 19巻 幕末年代史編Ⅱ」は、他の本と比較すると、この辺りの政治の流れが非常にわかりやすく解説されています。
開国するだけで、なぜあんなに揉めたのか不思議に思っている方は、本書を一読することをおすすめします。
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