買い物をしたり、レストランで食事する時、必ずと言っていいほどお店の商品やメニューに値札が貼られています。そして、商品を買ったり料理を食べたりした後は、その値札に記載された金額のお金を支払って取引が終了します。
現代日本では当たり前にみられる光景ですが、海外には、これが通用しない国があります。商品の価格がいくらか尋ねると法外な値段を吹っかけてくる商人が当たり前で、客もぼったくられているとわかっているものだから大幅に値切り始めます。
最終的には、適正価格に近い価格で交渉がまとまり売買が成立するのですが、このような面倒なことをするくらいなら、お店が適正価格を表示し客側もその金額を支払えば済む仕組みにしたらいいのにと思いますね。
越後屋が始めた値札を貼る文化
商品を買うたびに価格交渉をするのは時間の無駄です。しかし、時間をかけても客側が値切るのは、商人がぼったくり価格で商品を売っているという決めつけがあるからです。一方の商人も、どうせ値切られるのだから、高めの値段設定にしておいて価格交渉の過程で適正価格まで下げればいいという考えがあります。
この考え方がグローバルスタンダードなのかもしれませんが、では、なぜ日本のお店や飲食店では商品やメニューに値札が貼られるのが当たり前なのでしょうか?
作家の井沢元彦さんは、著書「逆説の日本史 14巻 近世爛熟編」で、値札が貼られる文化を築いたのは江戸時代の商人三井高利と述べています。三井家は、近代の財閥三井の前身で、三井高利は越後屋呉服店の創始者です。
越後屋呉服店ができるまでは、呉服の販売は訪問販売が当たり前でした。商人がお金持ちの屋敷に出向き呉服をすすめ、客側も商人がやって来るのを待つという形式です。商人は、得意先の子供の年齢もしっかりと覚えておき、そろそろお祝いの日の晴れ着が必要だろうと思ったら呉服を売りに行く、そんな商慣習でした。
ここで、商人と客側で毎度価格交渉が行われます。商人側は割高な値段を提示するのが当たり前で、客側は値引きを要求します。そして、商談が成立した後は、その場で代金を支払うのではなくツケとするのも当時の商慣習でした。
商人は騙すという決めつけ
この商慣習をやめたのが、三井高利だったのです。
彼は、それまで土蔵しかもたない呉服屋が主流だったのに店舗を構えて、不特定多数の客に呉服を販売することを思いつきます。その際、価格交渉という無駄な手間を省くために商品すべてに値札を貼り、誰に対してもこの価格で販売するので値下げはしないと明言したのです。この値札を当時は正札(しょうふだ)といいました。また、不特定多数の客に販売するので、ツケではなくその場での現金決済を導入します。
越後屋が始めた商売の仕方は「現金安売掛値なし」の新しいビジネスモデルとして脚光を浴びました。ちなみに掛値とは、ぼったくり価格のことです。つまり、三井高利は、「うちは適正価格で販売しているので、値札はぼったくり価格ではありません」と宣言して商売をしたのです。
江戸時代は、士農工商の身分階級があり、商人が最も下にありました。それは、儒教の影響を受けた江戸幕府が、仕入れた物に利益を上乗せして売ることを悪と考え、商人は人をだましていると決めつけていたからです。他の宗教でも、お金を貸しても利息を取ってはいけないという決まりがあり、利益を上乗せすることを悪とする風潮があります。このような考え方が根底にある国では、買い物のたびに価格交渉が行われるのでしょう。
日本人は商品の価格というものが、基本的には適正に決められていると信じている。そして、「正札」とは商人が一方的に決めるものだから、それを適正だと信じているということは、商人が暴利をむさぼるものではないと信じていることにもなるわけだ。
(中略)
まともな商人(あるいはデパート)は掛値をしないという信頼があるから、日本人はあまり値段を値切ることはしない。(中略)ところが日本を一歩でると、値切るというのは当たり前の「文化」である。というのは、「商人は掛値をするもの」という常識があるからだ。
(317ページ)
先物取引の貢献
織田信長や豊臣秀吉は商業によって力をつけましたが、徳川幕府は身分制度を確立するために儒教を採用したため商業蔑視の方向に向かいます。そのため、田沼意次のような重商主義的政策は否定され、経済発展に貢献できなかった松平定信の方を高く評価します。
経済発展に貢献したと言えば、江戸時代に始まった米相場の先物取引も良い印象を持たれず幕府によって規制されました。
現代の先物取引では、外国為替証拠金取引(FX)が有名です。FXは簡単に言うと、将来の為替相場が上がるのか下がるのかを当てるものです。ギャンブルのように思えますが、このような先物取引が経済発展に貢献することは忘れられがちです。
例えば、豆腐屋さんが大豆を仕入れる時、1kgが500円なら採算が取れるとしましょう。600円や700円だと赤字販売になります。大豆が、その時の収穫量によって取引価格が変動するのであれば、豆腐屋さんの利益は大豆の収穫量に影響を受けます。もちろん、300円や400円で仕入れることができれば、多くの利益を得られますが、常に採算ライン以下の価格で仕入れられる保証はありません。
そこで、豆腐屋さんは利益を安定させるために商品先物を利用します。つまり、まだ収穫前の大豆を1kg500円で買うという約束を農家としておくのです。そうすれば、豆腐屋さんは、大豆の収穫量に関係なく常に1kg500円で仕入れることが可能です。
しかし、農家は、豊作でも不作でも1kg500円で大豆を卸さなければならなくなるので、今度は農家がリスクを負います。農家としては、収穫量に応じて値段を決めれる方がありがたいです。それなら、豆腐屋さんは農家以外の人と1kg500円で仕入れる約束をすれば、農家の利益も守られます。
ここで登場するのが先物取引所です。
世の中には、大豆の加工販売をしないのに大豆の取引に参加して利益を得ようとする人がいます。このような人が、先物市場に参加するからこそ、豆腐屋さんが安定価格で大豆を仕入れることが可能となるのです。
大豆の加工業者は、誰もが安くで大豆を仕入れたいもの。しかし、どうも大豆が不作になりそうだと思ったら、少々高い価格でも妥協して買おうとします。世の中の多くの人が大豆は不作になると予想していれば、先物取引は成立しません。どこかに大豆が豊作になると見込んでいる人がいるからこそ、取引が成立します。
「人の行く裏に道あり花の山」
この格言を残したのは、江戸時代の天才相場師本間宗久と伝えられています。人とは逆のことをするから大儲けができると考える相場師がいるからこそ、大豆の加工業者は安定した価格で大豆を仕入れることができるのです。仮に大豆の加工業者の予想が外れて、大豆が豊作になれば投機筋が儲かります。
では、大豆加工業者は予想が外れたから損するのでしょうか?
そんなことはありません。先に例示した豆腐屋さんの場合、1kgを500円で仕入れているのなら採算が取れるので損はしません。
先物取引で楽して大儲けする人を妬ましく思う気持ちはよくわかります。しかし、彼らがいるからこそ、豆腐屋さんは安定的に仕事ができるのです。投機家を排除することよりも、投機家が破産せずに相場に入り続けてくれる方が経済にとっては良いことです。
「でも、何となく先物取引で儲けている人は胡散臭い」
そう思ってしまう人は、心のどこかで仕入れた商品に利益を上乗せして販売することを良く思っていないのかもしれませんね。商品が売れなければ商人は損をします。リスクを背負って仕入れているのですから、それなりの見返りを求めるのは当然です。同様に投機で大儲けしようとしている人も、大きなリスクを背負って、経済の潤滑油になっている部分があるのです。
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