平安時代。
現代人が想像するこの時代は、平和的で雅な社会といったところでしょうか。戦争も末期になるまでそれほど起こりませんでしたし、処刑制度もなかった時代ですからね。
この平安時代は、現代の日本社会と非常に似ている部分があります。それは法的な軍隊を持っていなかったということです。だから、現代日本も軍隊なんかなくても平和を維持できるんだという人が出てきそうですが、それは短絡的な考え方と言わなければなりません。
自衛隊も武士も令外の官
平安時代には武士がいたのだから、軍隊が存在したという指摘がありそうですが、それは令外(りょうげ)の官と呼ばれるものであり、国家が正式に持った軍隊とは異なります。
平安時代は、律令制が採用されていました。律は刑罰を定めたもの、令は政治経済など一般行政を定めたものです。簡単に言うと、律令とは現代の憲法のようなものです。その律令において軍隊に関する規定がなかったので、平安時代は、国家が正式に軍隊を持っていなかった時代なのです。
素晴らしい時代じゃないかと思う方もいるでしょうが、作家の井沢元彦さんは、「逆説の日本史4巻中世鳴動編」で、その考え方が愚かなことだと述べています。
近代国家とは主権在民(主人は国民)であり、日本国憲法にもある通り「健康で文化的な最低限度の生活(生存権)」を保障する責任がある。「最低限度の生活」を守るためには福祉ももちろん大切だが、そもそも福祉というのは生きていてこそのものである。生存自体が脅かされるような状態では、福祉以上に大切なものがある。
それが防衛なのだ。(290ページ)
憲法9条で軍隊を保持することを禁止するのは、国民の生命財産を守る義務を国が放棄していることに他なりません。しかし、そのようなことを国家ができるわけないですよね。だから、憲法の外で自衛隊という防衛目的の組織を持っているのが、現代の日本なのです。
これと同じことが平安時代にも行われていました。律令の中では、軍隊に関する規定がなかったので国家としては軍隊を有していなかったものの、律令の外では検非違使(けびいし)などの役職を設けて軍隊に似た組織を有していました。だから、こういった役職は律令の外で決められたものだったので、令外の官と呼ばれていたのです。
現代の自衛隊もまさに令外の官なんですね。
なぜ軍隊を正式に持たないのか?
ところで、平安時代の国家はなぜ軍隊を持たなかったのでしょうか?
これは、なぜ武士が誕生したのかと深い関係があります。
平安貴族政治が危機管理にまったく欠ける体質を持っていたため世の中が乱れ、その結果「自分の生命・財産は自分で守る」という意識を持った階層が出現し成長した(280ページ)
というのが、経済学的・社会学的な理由ですが、井沢さんは他にも宗教的理由があると主張しています。
日本人の心の中には、今も昔も「軍隊・兵士・武装」といったものを忌み嫌う「宗教的信念」があります。
自衛隊を持っていることを嫌っている人はたくさんいますよね。また、軍隊を持つべきかどうかという議論をすることさえタブー視する人もいます。こういった考え方を持っている人を論理的に解釈しようとしても非常に困難です。なぜなら、そこには日本古来から受け継がれてきた「軍隊・兵士・武装」といったものを忌み嫌う「宗教的信念」が存在するからです。
例え、歴史的に見て軍隊を持たなかった国家がどれだけ社会不安を招いてきたかが明らかであっても、それを思考の外に追いやってしまうのが、この宗教的信念なのです。
平安時代は国家が軍隊を持っていませんでした。それでどうなったのか?
平将門の乱や藤原純友の乱が起こったんですね。当然、軍隊を持たない平安貴族が反乱を鎮めることなんてできません。だから、平安貴族たちは藤原秀郷に頼んで、平将門を討伐させたのです。これは、他国が日本の領土の一部を占領しに来たとき、アメリカに頼んで追い払ってもらうのと全く同じです。
平安時代に藤原秀郷がいなければどうなっていたでしょうか?きっと平将門が勢力を広げていったはずです。それと同じで、軍隊を持たない日本をアメリカが助けてくれなければ他国に侵略されてしまうことは容易に想像できます。
そんなことはすぐにわかるのに軍隊を持つことを拒否するのは、殺生に関わる仕事をケガレた仕事と決めつけているからなんですね。
平安貴族たちが自分たちで軍隊を組織しなかったのは、そんなケガレた仕事を自分たちができるもんかという考え方があったからです。だから、そういったケガレた仕事は身分の低い者たちに任せれば良いとして武士階級が誕生したのです。
ケガレを見て見ぬふりをするのが日本人
殺生を忌み嫌う気持ちは分からなくもないのですが、それをケガレたものとして蔑視するのはいかがなものでしょうか?
僕たちが、牛肉や豚肉を美味しく食べることができるのは、動物たちを殺生する人々がいるからです。でも、そういった仕事をしている人たちを動物の命を奪うケガレた人のように見る風潮は今も残っていますよね。そんなことはないと否定する方もいるでしょうが、それなら、自分が育てた牛や豚を自らの手で殺すことはできますか?屠殺する業者に引渡すのだってためらわれるでしょう。
同じように現代日本人には、軍隊を蔑視する気持ちが心の中に残っています。だから、日本に軍隊は必要ないという人たちがたくさんいるんですね。そういう人たちは、平安貴族たちと全く同じ思考回路なのです。
殺生というケガレた仕事を自分はしたくないし、そういった仕事をしている人が近くにいて欲しくない。
「それなら、アメリカ人にやらせておけ」というのが、護憲派と呼ばれる人たちの本音ではないでしょうか?
平安時代は、長い間処刑が行われてきませんでした。しかし、保元の乱の後、後白河天皇に敗れた源為義はその子の義朝によって斬首されました。なぜ、子に親の処刑をさせたのでしょうか?
それはわれわれの心の中に「軍隊(軍人)」に対する一種の差別的感情があるからだ。差別という非合理なものが根源にあるからこそ、こんな非道なことをしても後白河は平気なのである。
その差別を生み出す、日本人特有の宗教概念がある。
それはケガレと呼ばれる。(299ページ)
国際紛争を武力によって解決しないというのはすばらしいことです。
しかし、軍隊を持つということはまた別の話です。軍隊を持っていたら戦争になるのではありません。持たない国家の方が、むしろ戦争になりやすいのです。
侵略されたらどうするのかといったことを尋ねても護憲派の方々は、そのようなことは起こらないと主張します。もしも他国から攻撃されたら竹やりで戦うという人もいますが、それは負けるとわかっているのに国際紛争を武力で解決しようとしている性質の悪い考え方でしかありません。
そして、それは憲法9条にも反しているのですが、気づいていないのでしょうね。
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