ウェブ1丁目図書館

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社会人になって読書習慣がないなんてありえない。自己形成に読書力は必須。

最近、本は別に読まなくてもいいものといった風潮があります。

しかし、この風潮に完全に反対しているのが、齋藤孝さんです。齋藤さんによると、本は絶対に読まなければならないもので、読書は習慣化すべき「技」だと考えています。

僕も、斎藤さんの考え方に賛成です。社会人になって読書習慣がないなんてあり得ないと思っています。

娯楽の読書は読書ではない

読書習慣があるとはどういうことでしょうか?

齋藤さんの著書「読書力」の中の言葉を借りれば、「多少とも精神の緊張を伴う読書」を継続的に行っているということになります。つまり、単なる娯楽のためだけに本を読むのではなく、ちょっときついけれども楽しいという感覚がある読書を習慣化することを読書習慣といいます。

なので、この場合、娯楽目的で読む推理小説は、読書とは言いません。漫画や雑誌も基本的に読書とはなりません。斎藤さんの線引きでいうと、ヘッセや夏目漱石のような名作はもちろん問題なく読書となり、司馬遼太郎の小説あたりが境界線になるとのこと。

歴史小説は、様々な人物像と出会うことがあって良いものなのですが、場合によって推理小説のように完全に娯楽としてはまり込んでしまうこともあります。だから、司馬遼太郎あたりが読書のボーダーラインとなるんですね。


このような線引きをした場合、多くの人が読書をしていないことになりそうですよね。

娯楽の読書は息抜きには良いですが、やはり、読書力をつけるためには、精神の緊張を伴う読書が不可欠です。

文庫本を買って読む習慣があるか?

では、読書習慣があるとは具体的にどういう状態なのでしょうか?

齋藤さんによると、文庫本を買って読む習慣を身に着けると、読書習慣が確立されやすいそうです。

文庫本を自分で書店で選んで買い、カバンやポケットに入れておいて、暇を見つけては読む。こうした生活習慣があるかないか。これが決定的な違いだ。現在の高校生でこの習慣を持っている者は、少数である。
読書力が明らかに高いと思われる人たちは、私の聞くところでは、おしなべて「文庫本時代」を経過している。かなりの量の文庫本を読みこなしてきた果てに、様々なハイレベルの読書をしている。(10ページ)

自らの意思で書店に足を運び文庫本を買って読む習慣は、学生時代の間に身に付いているのが当たり前だと思っていましたが、今はそうではないんですね。よくよく考えると、インターネットや携帯電話の普及で、文字は読むけど、本は読まないという人が増えているのは当然のように思えますが、それだけでは断片的な知識しか得ることができません。

やはり、自ら書店に行って本を選び、体系的に知識を得なければ、教養を身に付けることはできないでしょうね。

まずは文庫100冊を読むべし

齋藤さんは、読書力が身に付くために必要となる冊数を文庫100冊、新書50冊の合計150冊としています。

文庫系を100冊読むと読書力が高まる理由として、斎藤さんは、読書が「技」として質的な変化を起こすのが、およそ100冊単位だからだと述べています。

「技」になるポイントというものがある。習慣となり、それをすることが当たり前になるポイントである。あるいは、常にミスすることなく、的確にコンスタントな読み方ができるというレベルでもある。百冊ほどまともな本をこなすと、少なくとも本に対する慣れが出てきて、量的な恐れは少なくなっている。日々の忙しさの中でも、本を読むことはさほど苦にならなくなる。読解力という点から見ても、百冊以上こなしている学生とそうではない学生とでは、明確な差がある。(26ページ)

そして、齋藤さんは、100冊の文庫を読む有効期限を4年としています。完全に忘れてしまう前に、反復練習を重ねていくことが、トレーニングでは必要となります。4年で100冊なら、年間25冊、2週間で1冊を読み切る計算になるので、読書習慣を身に付けるには、ちょうど良い期間と言えそうです。

新書は知的好奇心をくすぐる

読書力を鍛えるためには、文庫とは別に新書を読むことも大切です。

読書力の基準として、文庫とは別に新書を設定したのは、新書が文学系とはまた違った知識情報を獲得する読書力を要求するからだ。新書は文庫と判型が違うだけでなく、従来は内容上の一定の性格を持っていた。岩波新書中公新書が、新書の伝統を日本においてはつくった。学問の大家が一般の人にもわかりやすい形で、しかも内容の質を落とさず書く、というのが二つの新書のスタイルであった。講談社現代新書は、これらより読みやすい文体で気楽に読めるスタイルを取っていた。(11~12ページ)

新書は、簡単にいうと知識を得るために読むものです。経済、科学、医学など、その道の専門家が書いたもので、専門知識を身に着けようと思う場合、そのとっかかりとなるので、重宝しますね。


齋藤さんは、本を読んだと言えるためには、その本の要約を言えなければならないと述べています。

字面をいくら目で追っても、あらすじや要約を言えないようでは、読書をした効果は大して得られません。でも、あらすじや要約以上の内容を言えることを読書の基準とすると、敷居が高くなります。だから、本を読んだという目安は、要約が言えるくらいが、読書の基準としては、ちょうど良いと考えられます。


要約力を鍛えるのに最適なのが新書です。

新書スタイルならば、その本の趣旨が要約されている個所が一般的には、はっきりしている。本の一番の趣旨が書かれているところをしっかりとつかみだし、そこを頭の中にたたき込むことが、内容把握のコツだ。(20ページ)

本には、必ず著者が強調したいポイントがあります。そのポイントをしっかりとつかまえる練習に新書は適しているんですね。最初から程度の高い専門書を読んでも、内容を理解するのが難しいですが、新書なら要約を言える程度に理解することは難しくありません。

50冊も新書を読めば、専門書への移行もすんなりとできるようになっているはずです。

読書の幅を広げれば倫理観を養え自己形成もできる

読書をするにあたっては、同じ作家の本ばかりを読むのは、あまり好ましいこととは言えません。

もちろん、読書を始めたばかりの時は特定の作家に興味を持つことが多く、そのような本の選び方も読書習慣を身に付ける初期段階では良い面があります。しかし、特定の作家の本ばかりを読んでいると、考え方が偏るという問題が起こります。

立派な考え方を持った人の本を集中的に読むことは良いことじゃないかという反論があるでしょうが、立派な考え方を持った人なのかどうかを判断できるようになるのは、複数の作家の本を読んだ後です。読書習慣がなかった人が、本を読み始めたばかりで、そのような判断をすることはできません。

齋藤さんは、オウム真理教に入信したエリートたちを例に挙げています。もしも、幅広く読書をしていれば、オウム真理教の教義を絶対視することはなかったでしょう。なぜなら、複数の作家の本を読むことは、多くの人の考え方を知ることであり、オウム真理教の教義を相対化することができたはずだからです。

彼らが、オウム真理教に入信する前に倉田百三の戯曲「出家とその弟子」なんかを読んで、他宗教の考え方を知っていれば、オウム真理教の教義に疑問を感じることができたかもしれません。

読書の幅が狭いと、一つのものを絶対視するようになる。教養があるということは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことができるということだ。目の前の一つの神秘にすべて心を奪われ、冷静な判断ができなくなる者は、知性や教養があるとは言えない。(54ページ)

最近では、現代人の倫理観の欠如を危惧している人がいます。特にネット上では、他人の創作物を盗用することに何とも思わない人もいますよね。おそらく、そういったことをする人の多くは、読書習慣がないのでしょう。幅広く読書をしていれば、自然と倫理観が身に付いていき、そのような行為に自分自身でブレーキをかけることができるはずです。


そして、自分自身で本を選び読むことを継続していれば、自然と自分の世界観や価値観を形成し始めます。すなわち、自己形成をし始めるわけです。

読書よりも体験の方が大事だという人がいます。

しかし、そういう人は、おそらく、大した体験もしていないでしょう。例えば、観光地に旅行に行ったとき、事前にその観光地の情報を書籍などで調べてから訪れるのと、何も情報を入れずに訪れるのとでは、体験の質が違ってきます。

これは私の経験なのですが、何も情報を入れずに観光名所に行って、帰宅した時に後悔することが何度もありました。その観光名所で絶対に見ておかなければならないものを見逃したことに家についてから気づくんですよね。そういうことがあった時は、いつも、なんで事前に本を読んで情報を入れておかなかったのかと悔やんでしまいます。


「読書よりも体験が大事」ではなく、「読書したら体験もしてみよう」という人が、本当の教養人と言えるでしょう。


齋藤さんの「読書力」は良書です。

読書習慣がない人だけでなく、読書習慣がある人にも一読をおすすめします。

また、巻末には、斎藤さん推薦の100冊の文庫が紹介されています。私がこの中で読んだことがあるのは数冊だけでした。時間をかけてこの100冊を読むことにしましょう。

読書習慣がない人も、斎藤さんがすすめる100冊から読み始めると、読書力がつくのではないでしょうか。

その際は、図書館で借りるのではなく買って読むことが大事です。

読書力で紹介されている100冊の一部