世の中では、死体遺棄事件がよく起こります。
何らかの理由で殺人を犯した場合、それを隠そうとするのが犯罪者の心理でしょうから、殺人と死体遺棄は、ほぼセットで起こると言ってもいいでしょう。
死体の遺棄の仕方には様々あります。山の中に埋めたり、ごみ処理場に捨てたり、どこに遺棄すればわからず自宅の押し入れの中に入れておくといったこともあります。
素人が、これならばれないだろうと思うのが、海へ死体を遺棄することではないでしょうか?
広い海に捨ててしまえば、見つけることはできないだろうとか、死体を沈めてしまえば二度と浮き上がってこないから完全犯罪だと思うでしょうが、実は、海に死体を捨てた場合、案外、簡単に見つかってしまうんですよね。
死体が浮く理由
海に死体を遺棄しても簡単に見つかってしまうのは、一言で言うと死体が浮くからです。
犯人が、そんなことを知らずに海に死体を捨てたとしても、いつまで経っても死体が沈まなければ、今度は重りをつけて投棄することでしょう。そして、その重りで死体が沈んでしまえば、殺人の証拠は残らないと考えるはずです。
しかし、元東京都監察医務院長の上野正彦さんによると、重りを付けた死体も、やがては浮き上がって来るそうです。
ところで、そもそもなぜ死体は浮くのでしょうか?
上野さんの著書「解剖学はおもしろい」によると、その理由は肺にあるそうです。肺は、人間が呼吸をするために欠かせない臓器です。もしも、陸で死んだ場合、その死体の肺の中には空気が入っています。だから、そのまま海に捨てても、灰の中の空気の影響で死体は沈まないんですね。つまり、肺が浮き袋の役割をしているということです。
ここで勘の良い人は、それなら海で溺れて死ぬ人はいないのではないかと思うでしょう。
確かにその通りなのですが、溺死する場合、他に理由があります。
人間のからだは泳げなくても水に浮くのだが、泳げないと恐怖が先だちパニックになって、水を消化器系に飲み込むと同時に、呼吸器系にも吸引してしまう。すると肺内にあった空気は徐々に追い出され、やがて肺胞は水に占領されて、浮き袋の役目はなくなって沈んでいく。当然呼吸もできないから窒息死する。これが溺死である。このようにして、溺れた人は水底に沈んでしまう。(78ページ)
呼吸をしない死体は沈まない
上記のように死体の肺には空気が入っているので、海に捨てても沈むことはありません。
だから、陸で殺害した死体を溺死したように見せかけようとしても、それは無理なんですね。溺死した死体の肺には必ず水が入っています。まだ生きている時に溺れないようにもがき、空気を吸おうとして水も飲みこんでしまうからです。
すなわち、溺死した死体の肺には水が入っており、陸で死んだ死体の肺には空気が入っているのです。そのため、陸で死んだ死体が海で見つかった場合、その人は殺害されたと推測できるのです。
それでも、死体に大量の重りをつけて沈めてしまえば浮き上がってくることはないはずだと思う方もいるでしょう。しかし、これも素人の浅知恵なんですよね。
死んで間もない時に重りをつけて海に捨てれば、確かに死体は沈みます。しかし、時間が経てば、必ず死体は浮き上がってくるのです。
その理由は、腐敗ガスです。
犯人の多くは、殺して死体を捨てれば水底に沈み、犯行をくらますことができると考えるのだろうが、殺害後に水中に投棄しても死体は沈まない。
そこで犯行を隠すために殺害後、死体にオモリをつけ投棄するケースもある。そのときは沈むが、やがて死体が腐敗すると、からだにガスが充満し、いわゆる土左衛門となって水面に浮上してくる。ちょっとやそっとのオモリでは役はなさず、軽々とオモリをつけたまま浮いてきてしまう。異様としかいいようのない姿である。(186~187ページ)
肺を見れば死産かどうかもすぐにわかる
母親が生まれたばかりの赤ちゃんを遺棄するという嘆かわしい事件が起こることがあります。
逮捕された母親は、生まれた時にはすでに死んでいたとして自分が殺したことを否定しようとする場合がありますが、これも赤ちゃんの肺を調べれば、すぐに嘘だとばれてしまうんですよね。
赤ちゃんは、母親の体外にでてきたとき、「オギャー」と泣きます。この時に肺の中に空気が入ります。一方、死産の場合は、赤ちゃんは泣きませんから、肺は閉じたままで、中に空気が入るということはありません。
だから、生まれてきた後に死んだか死産だったかを見分けるには、その赤ちゃんの死体を水につければいいのです。赤ちゃんが水に浮けば、肺に空気が入っていることがわかるので、生まれた後に死んだことがわかります。反対に赤ちゃんが水に沈めば死産だったことがわかります。
赤ちゃんの死体が浮いた時、その母親には死体遺棄に加えて殺人の容疑もかかります。
このように解剖学の前では、自分の罪を隠すことは非常に難しいです。突発的な衝動で殺人を犯した場合、一生見つからずに過ごすということはそうそうないでしょうね。