ウェブ1丁目図書館

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英語よりITより読む能力の方が重要

インターネットの普及は、情報収集に費やす時間を短縮してくれました。そして、人類は、かつてないほど多くの情報に接することができるようになりました。

では、インターネットを利用することで、知識が増えたかと聞かれると、そうでもないように思えます。情報のシャワーを浴びれば、それが知識となって頭の中に定着しそうですが、ウェブ上の情報は、なぜか短時間で脳内から消去されてしまいます。

どうやら、情報に接する機会が増えることと知識が身に付くことは別物のようです。

英語教育もIT教育も不要

子供達には、様々な教育が施されます。

教育がなぜ必要かについては様々な意見があるでしょうが、大人になった時に役に立つ知識を身につけるために教育があることを否定する人は少ないと思います。

では、大人になった時に必要な知識とは何でしょうか。現代の日本だと、世界で活躍できる人材になるための英語の知識、情報社会で生きていくための情報技術(IT)の知識という答えが返って来そうです。

ところが、お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦さんは、著書の『本屋を守れ』で、どちらも、子供たちの教育にとって重要ではないと切り捨てています。

英語は公用語だから身につけておいた方が良いと思う意見が多いでしょう。僕も英語ができた方が何かと便利だと思います。しかし、藤原さんは、英語を話せることが教養と呼べるのなら、英語を母国語としている国の人々は全員教養人になるはずだけど、実際はそうではないと指摘し、小学校での英語教育は不要だと述べています。また、ITについても、小学校にタブレットを配布することに意味はないとも述べています。

藤原さんの考え方には反対だとの意見が多そうですが、藤原さんが述べていることには一理あります。ITの進歩は目覚ましく、これから様々なことがITで実現できるでしょう。だから、ITの知識が必須だとする意見はよくわかります。一方で、ITの進歩は、翻訳ツールの進歩にもつながるので、英語ができなくても翻訳ツールを使えば事足りる時代になるはずです。そうすると、ITが進歩するほど、小学校から英語を教える利点はなくなると言えます。

また、ITの進歩が目覚ましいほど現在のITの知識が時代遅れになるまでの時間は短くなります。タブレットについても、ITの進歩で、子供たちが大人になった時に存在しているかどうかわかりません。小学校で、タブレットの操作を学ぶことにどれほどの意味があるでしょうか。

英語にしても、ITにしても、小学校で学んだことが大人になって役に立たなくなっている可能性があります。そのような使い捨ての知識を小学生に教えるべきなのでしょうか。

読むことが最も重要な技術

藤原さんは、昨今、国家の体質が劣化していると嘆いています。そして、国家の体質は、国民の総和で決まるのだから、国民一人ひとりの体質を改善しなければならないと指摘し、それができるのは唯一教育だけだと強調しています。

そして、学校教育では、国語教育を中核に据えるべきだと訴え、特に「読み」が重要だと述べています。文字が読めることは、多くの人の意見や考え方を知る能力とも言えます。自分だけでは限られた経験しかできません。でも、文字を読める技術を身につけておけば、文字を通して他人の経験を知ることができます。

国際人でありうるためには、家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛が必要になりますが、それらを育てるためには、どうしても他人の経験や考え方を知る必要があります。より多くの人と出会うことで、これら4つの愛を育てることができますが、そこには限界があります。しかし、文字を読める技術があれば、実際に会う以上に多くの人の経験や考え方を知ることができます。その意味で、国際人を育てるために英語教育は重要ではありません。真の国際人を育てるために必要なのは、読む力です。

本屋の減少は国力の衰退

インターネットで得た情報が知識や教養とならないのは、そのほとんどが使い捨ての情報だからです。

情報を知識や教養まで高めるには、本を読むしかありません。知識や教養は、孤立した情報をつなぎ合わせることで出来上がっていきますが、断片化した情報しか入手できないインターネットでは、情報を組織化することが難しいです。

情報を知識や教養に高めるためには、孤独になって考える時間が必要です。読書は、その時間を与えてくれます。常にだれかと繋がっている状態では、考える時間を確保できません。インターネットは、考える時間を奪っているのです。

最近は、インターネットの普及で本屋が減少していますが、これは、国力の衰退につながると藤原さんは危惧しています。本屋の数が減れば、本に触れる機会が奪われます。もちろん、電子書籍で読書はできますが、スマホやパソコンの画面では、どのような本が並んでいるのかを視覚的に捉えることができません。

本屋であれば、棚に並んでいる本が一度に無意識に視界に入って来ます。しかし、画面上では、一度に見える本の数は限られています。本屋は、より多くの本と出会える場です。町のどこにでも本屋があれば、多くの人の経験や考え方に触れることができます。

子供たちを国際人に育てたいのであれば、英語やIT教育の前に読むことに力を入れなければならないのです。