ウェブ1丁目図書館

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戦国時代は女性も活躍した社会

日本の戦国時代は、下の者が上の者にとって代わる下剋上の世の中でした。

織田信長豊臣秀吉も、自分よりも身分が高い者たちにとって代わり大出世しています。

戦国時代の幕開けとなったのは、応仁の乱です。室町幕府8代将軍の足利義政の後継者争いが、他家にも影響を及ぼし、やがて日本中が戦乱に巻き込まれていきました。

戦国時代と言えば、男性中心の社会のように思われています。しかし、戦国時代に活躍したのは、武将だけではありません。女性たちも、活躍しています。

日野富子の才覚

作家の永井路子さんの著書「歴史のヒロインたち」には、歴史上の多くの女性について、各界で活躍する人たちと永井さんとの対談が収録されています。

応仁の乱は、室町幕府の後継者争いが発端ですが、その原因を作ったのは、足利義政の妻の日野富子です。二人の間には、子ができなかったので、義政の弟の義視を次期将軍にすることが決まっていました。

ところが、その後に日野富子が義尚を産んだことで、争いが起こります。我が子義尚を将軍にしたい富子は、義視を排除するため山名宗全を味方につけます。一方の義視側も細川勝元の力を借りて対立します。これが、10年以上に渡る応仁の乱の始まりです。

最終的に9代将軍は義尚となりますが、義政は疲れ果て富子と別居します。

一方の富子は、義尚をもり立てて政治の実権を握るようになります。

彼女には、商才がありました。関所を設けて通行料を徴収したり、落ちぶれた公卿や大名に資金を貸し付け高い利息を取ったり、米を買い占めて値段をつり上げてから売却したりと、その名の通り、富を蓄えていきました。

戦国時代は、強い者が実力でのし上がれる社会でしたが、それは、女性も、自らの才覚で富を得たり、出世できたりする社会だったのです。

一向一揆に参加する女性たち

戦国時代は、武将たちの戦いだけではありませんでした。

宗教団体も戦争に参加し、その中には、女性も含まれていました。特に浄土真宗を信仰する者たちが起こした一向一揆には、多くの女性が参加しています。

浄土真宗の指導者である親鸞蓮如は、権力者と対立することを説いてはいません。しかし、門徒たちは、阿弥陀仏の前では、皆平等とする浄土真宗の教えから、領主が年貢を徴収するのはおかしいと考え、一揆を起こしました。

従来の仏教の教えでは、女性は業が深いから往生できないとされていました。ところが、蓮如が、女性も救われることを説いたので、浄土真宗を信仰する女性が増え、一向一揆に参加するようになっていきます。

戦国時代は、実力によって出世する機会が与えられた時代ですが、それを享受するのは男性だけではなかったようです。

戦国武将の妻たち

戦国武将の妻たちも、もともとは身分の低い家に生まれた女性が多いです。

豊臣秀吉正室のねねは、若き日の秀吉よりも少しばかり身分の高い家に生まれていますが、歴史に名を残すような家柄ではありませんでした。

夫の秀吉が天下人になったから、ねねもマダムになれたように思いますが、ねねがいなければ、秀吉が天下人になれたかどうかはわかりません。秀吉が、戦地に繰り出している間、ねねは、領地で人材募集をして採用した加藤清正福島正則を養育しています。

やがて、彼らは豊臣家を支える武将に育っていきます。秀吉とねねは、豊臣家という株式会社の共同経営者と言っても良く、秀吉が営業に出かけている間、ねねは新入社員教育にあたり、大規模化する組織を支えていたのではないでしょうか。

また、織田と豊臣に仕えた前田利家の妻まつも、後の前田家を発展させた女性でした。

永井さんと司馬遼太郎さんとの対談の中で、まつは、前田利家よりも政治力が上だと批評されています。まつも、ねねと同じようにそれほど身分の高い家には生まれていません。

前田利家は、佐々成政との戦いに備えて人を雇わなければなりませんでした。しかし、利家はケチで、金を出し惜しむものですから、人が全然集まりません。それを見かねたまつが、倉から金銀の袋を持ち出し、利家の体たらくをなじったものですから、利家も発奮し金を使って人を集めます。そして、佐々成政を破って凱旋しました。

さらに利家の死後、まつは、豊臣から徳川の世に変わるだろうと考え、息子たちを徳川になびかせ、前田家を存続させました。


人類は、男女2種類いるのだから、歴史に影響を与えているのも男女半々になるはずです。ところが、どの時代も、男性ばかりに注目が集まるものだから、歴史を動かしてきたのは、男性ばかりのような錯覚に陥りやすくなっています。

特に戦国時代は、戦いに焦点が当たりやすいため、女性が当時の社会に与えた影響がわかりにくくなっているように思われます。

過去の女性や庶民の暮らしがどうだったのかを知ることの方が、現代社会で生きていくために役立つように思うのですが。