ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

事実と伝説はどこで交わるのか

事実を変えることはできません。

でも、ある事実に対する解釈は様々です。正義か悪かで事実を評価する人もいれば、利益をもたらしたかどうかで事実を評価する人もいます。

事実は一つであるにもかかわらず、人の感情が移入されると、事実でなくなったり、虚構を事実と信じるようになることがあります。そして、ある出来事が起こってから時が経つほど、資料が失われたり、多くの人々の解釈が加わったりして、真相がますますわかりにくくなる場合があります。

千姫はどうやって大坂城を脱出したか

作家の永井路子さんは、著書の「異議あり日本史」の中で、興味深いことを述べています。

歴史に伝説はつきものである。伝説のおかげで歴史の貌がくっきり浮かびあがってくる場合はよくあるし、なかなか無視できないと思うのは、その中に正史に伝わらない民衆の社会批判の声がこめられていたりするからだ。(11ページ)

伝説には、当時の人々の心情が含まれていることがあります。それは、哀れみだったり願望だったりします。

大坂夏の陣で、豊臣家は、徳川家康によって滅ぼされました。豊臣秀頼の妻は、徳川家康の孫の千姫でしたが、彼女は、落城寸前の燃え盛る大坂城から脱出し、その後再婚しています。

豊臣秀頼や彼の母の淀殿は、大坂城とともに自害して果てたのに千姫だけは、なぜ脱出できたのでしょうか。

これについては下のような話が伝わっています。


淀殿は、敵である徳川家康の孫の千姫も道連れにして大坂城で死のうと決めていました。そして、千姫が逃げられないように彼女の袖を膝に敷いて身動きできないようにします。

それを見た刑部卿局(ぎょうぶきょうのつぼね)という女性が、千姫を助けようと「秀吉さまがぁ・・・」と叫び、淀殿が何事かと思って豊臣秀頼の居間に向かった時、千姫の手を取り逃げ出しました。

一方、徳川家康は、「千姫を助けた者には、妻として与えよう」と家臣たちに言い、坂崎出羽守が、火炎に包まれた大坂城に飛び込み、自らの顔にヤケドを負いながら千姫を助け出します。

しかし、ヤケドをして醜くなった坂崎出羽守を千姫は嫌い、美男の本多忠刻に嫁ごうとしました。そこで、坂崎出羽守は彼女を奪い取る計画を企てましたが、失敗し憤死しました。


永井さんは、この話は、どうも怪しいと思い検討することに。

千姫は豊臣家の切り札

義演准后日記という当時の合戦の模様を記録した史料には、上のような話は載っていません。

千姫を脱出させたのは、大坂城で采配を振るっていた大野治長で、彼は、豊臣秀頼淀殿を助けるための切り札として千姫徳川家康のもとに返したというのです。これは、徳川方の史料である駿府記にも書かれているので、まちがいがなさそうです。

大坂城から出る際も、火の粉を振り払って駆けに駆けたというものではなく、武士たちの護衛の下、徳川家康の陣に届けられたので、千姫が危険を冒して大坂城を脱出したわけでもありません。

千姫大坂城から脱出させたのは、大野治長の家臣の米村権右衛門らの武将で、この米村が坂崎と知り合いだったようです。坂崎は、千姫徳川家康のもとに届けてほしいと頼まれただけなので、火の中に飛び込んではいません。

千姫が無事に徳川家康のもとに届けられたものの、豊臣秀頼淀殿の助命は聞き届けられることはなく、豊臣家は大坂城とともに滅亡しました。

坂崎出羽守の憤死は事実

坂崎出羽守が、千姫を助け出したのは事実ではないのであれば、千姫本多忠刻に嫁ぐのを邪魔して憤死したというのも嘘なのでしょうか。

実は、これは本当の話です。

当時、日本に滞在していたリチャード・コックスの日記にその内容が書かれています。坂崎は、徳川家康から千姫を与えると約束されたのに徳川秀忠に許されず、かえって切腹を命じられたというのです。

どうやら、家康が坂崎に千姫を与えると言ったのは本当のようです。でも、新井白石の藩幹譜という書物には、坂崎は家康から千姫の再婚相手を見つけるように命じられただけだと記されています。

この新井白石の説を採ると、坂崎が、千姫の再婚相手を探している最中に本多忠刻千姫の縁談が進められていたことに腹を立て、千姫を奪う計画を立てたのではないかと。

その計画は幕府に知られ、幕閣たちは坂崎の家臣に出羽守を自害させれば、坂崎家の存続を認めてやると言われ、家臣たちは自殺と見せかけて出羽守を暗殺したというのです。しかし、この話を聞いた徳川秀忠は、主君を斬るとは何ごとかと激怒し、坂崎家を断絶にしてしまいました。


事件が起こった時、その真相を知りたがるのは人の性なのかもしれません。

しかし、真相を知るために探偵のように事件現場に足を運び、聞き込みをし、証拠を見つける作業をする人はほとんどいません。自分とはかかわりのない事件ですから、そんな手間暇をかけることに大した利益はありませんからね。

手っ取り早く頭の中で考えて「真相はこうに違いない」と結論を出して終わり。

ところが、その妄想を言葉にしたり文字にしたりするから、噂話が広がり、やがて伝説として後世に伝えられるのかもしれません。


「坂崎出羽守が死んだってよ」
「落城寸前の大坂城から千姫さまを助け出したあの坂崎かい」
「そうよ。なんでも、千姫さまを助けた者には妻に与えると大御所(家康)さまから言われてたみたいだけど叶わなかったことが、関係してるらしいぜ」
「そりゃ、美男の本多さまと顔にヤケドした坂崎だったら、姫さまも本多さまを選ぶだろうに」
「そこなんだよ。坂崎は体を張って姫さまを助けたのに約束が違うと腹を立て、嫁入りの行列を襲う計画をしてたと言うじゃないか」
「坂崎も哀れなもんだね。おいらだったら、姫さまの前で腹をかっきってやるよ」


伝説は、当時の人々の願望などの心の声が、表に出たものなのでしょうね。