ウェブ1丁目図書館

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時代の雰囲気は記録の細部にある

自分が生まれる前の出来事は、誰かに教えてもらわないと知ることはできません。

年上の人が記憶を頼りに語る内容は、部分的に忘れていることがあるので、やや正確性に欠けますが、それでも、まずまず信用できます。しかし、その年上の人も生まれていなかった時代の出来事については、人から人へ語られている間にまちがって伝えられる可能性が高くなります。

大昔に起こった出来事については、その当時に書かれた記録を見ることで、より情報の正確性が増します。

戦国時代の軍勢の数はあやふや

テレビの歴史番組によく出演されている国際日本文化研究センター准教授の磯田道史さんは、子どもの頃から古文書を読んでいたという風変わりな経歴を持っています。その磯田さんの著書『日本史の内幕』では、磯田さんが読んだ古文書から、当時の日本社会の細部が紹介されています。

さて、時代劇、小説、漫画などで、織田軍3000人とか、今川軍2万人とか、戦国時代の合戦時の軍勢の数が紹介されることがあります。この軍勢の数は、合戦中には兵士が偵察して、お殿様に伝えていたことは想像できます。しかし、人数にどれくらい信ぴょう性があったのでしょうか。

磯田さんが古書店で手にした「明石真珠」と書かれた古文書は、戦国時代の武士の戦闘マニュアルで、その中に偵察に行く兵士の心得が記述されていたそうです。偵察が敵の軍勢を5000人と見た場合、大将には、2000人や3000人と少なく報告するのが当時の習いとのこと。敵の数を多く報告すると味方の士気に関わるので、あえて少なく報告する必要があったようです。もちろん、大将は、それをわかった上で偵察の報告を聞く必要がありました。

このような慣習があったのなら、記録に残っている敵の軍勢の数はあてになりそうにないですが、味方の数は実数に近いのかもしれません。

しかし、味方の数でも、不正確な場合があります。

例えば、徳川家康武田信玄に惨敗した三方ヶ原の戦い。家康は、あまりの恐ろしさから浜松城に逃げ帰る時に脱糞したと伝えられています。その三方ヶ原の戦いの両軍の兵力は、武田が2万から3万、徳川が8000、そして徳川の援軍の織田勢が3000とされています。

家康は織田の援軍を加えても、武田の半分程度の兵力しか持っていなかったので負けても仕方がないでしょう。ただ、武田が勢いそのままに浜松城を攻撃しなかったことには謎が残ります。

しかし、徳川方の記録である「前橋酒井家旧蔵聞書」と武田方の記録の「甲陽軍鑑」を突き合わせることで、その謎が解けます。双方の記録には、なんと織田の援軍は2万と記載されています。つまり、徳川と武田は、ほぼ同じくらいの軍勢で戦っていたのです。

徳川の兵力が過少に伝えられていたのは、家康が天下を統一した後、彼が不利な条件で武田と戦ったから負けても仕方がないと思わせるためだったと考えられます。武田方の記録の甲陽軍鑑は、信ぴょう性が怪しい史料だとされていますが、三方ヶ原の戦いの軍勢の数は、徳川方の記録と一致しているので、それなりに信頼できるのではないでしょうか。

政府が約束を破るのは明治維新からの通例

政府は、コロナワクチンの接種は任意と言っておきながら3回以上の接種をしていないと行動に制限を加えたり、マイナンバーカードの取得は任意だと言っておきながら健康保険証を廃止してマイナンバーカードにその役割を持たせると言ったりして、国民との約束を破ります。

でも、政府とは、そんなもので、明治維新にも同じようなことが起こっていました。

磯田さんが入手した「戊申歳分 箱訴 九冊之内 庶務掛」と表紙に記載された古文書は、明治時代の京都府庁の記録で、その内容は目安箱に投函された当時の民衆の要望となっています。その中で多かったのは、政府が朝廷の信用だけで高額紙幣をたくさん発行していることへの不満だったとのこと。

明治政府は、薩摩藩長州藩が中心となって江戸幕府を倒し成立した政府です。まだ、江戸幕府が健在だった時、薩長は、外国人を国内に入れるなと主張していたのですが、倒幕後は、どんどん外国人を国内に入れ貿易を盛んにしていきました。これに対して、目安箱には、外国貿易を制限し外国人があまり来ないようにして欲しいとの要望が投函されていたようです。役人が京都で遊興にふけっているとの苦情もありました。

明治以降、政府が国民に嘘をついたり、約束を破ったりするのは当たり前のことなんですね。野党が政権をとっても、選挙時の公約を守ることも期待できません。だって、野党だった薩長が政権をとっても約束を守らなかった歴史があるのですから。


歴史は、後世に名を残さない人々が、どのような生活をしていたのかを知ると違ったおもしろさを感じられます。テレビや新聞などのメディアが、政治の話題だけだとつまらないのと同じで、歴史の本も政治ばかりを扱ったものは味気なく感じます。

その時代の雰囲気は、名もなき人々の証言を聞かないと知ることはできないでしょう。