ウェブ1丁目図書館

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一人でいるのが苦痛に感じた時こそオリジナルの知識が身に付く

一般常識や当たり前と言われていることは、多くの場合、学校で習ったり、また聞きした知識です。

「だから何?」

と言われれば、別に何もないのですが、ただ、自分の持っている知識の大部分が、誰かに教えてもらった内容で構成されており、自分で見つけた情報から作り出した知識が意外と少ないことに気づくと、自分の頭の中は、誰かの知識のコピーで埋め尽くされているんだなと思えてきて、個性とは何なのかという疑問がわいてきます。

その情報はどうやって入手したものか

細胞生物学者歌人永田和宏さんの著書『知の体力』を読んでいて、ふとそんなことを考えたわけですが、我々の知識の源泉は、単なる噂で埋め尽くされているだけかもしれません。

ヒトの細胞の数は、60兆個と言われていました。そう、この数は、すでに過去のものなのです。では、なぜ、今まで細胞の数は60兆個と言われていたのかというと、細胞1個の重さでヒトの平均体重を割るとか、細胞1個の体積でヒト全体の体積を割るとかしたら、それくらいの数になったというだけの話なのです。

つまり、誰も、細胞の数なんて数えておらず、誰かがざっくりと計算した数字を覚え、それが一般常識となっただけなのです。

現在では、ヒトの細胞の数は37兆個とされています。この数字は、過去100年以上にわたって報告されてきた論文をもとに身体の各部分ごと、各組織ごとの細胞の数を数えて出したものです。37兆個という数は、60兆個よりも実際の数字に近いでしょうが、それでも、やはり、また聞きでしかないので、将来的には数字が書き換えられる可能性があります。

同じように大腸に棲む細菌は、かつては100兆個とされていましたが、現在では1,000兆個に変わっています。しかし、この数字も、書き換えられる可能性があります。

教えられるということ

日本に住んでいれば、中学校あるいは高校までは、先生から物事を教えてもらって、様々な知識を身に着けていきます。だから、それまでに身に着けた知識は先生のコピーと言えます。他に両親や友達、テレビなどのメディアで教えてもらった情報もありますから、自分の頭の中には、これらのコピーも入っていることになります。

頭の中に誰かに教えてもらった情報を入れることで、知識が形成されていくのは当たり前のことです。知り合いが多ければ多いほど、得られる情報も多くなり知識も豊富になっていきます。だから、友達の数は多い方が、知識の習得に有利です。

こんなことを考えながら友達付き合いをしている人はまずいないでしょう。でも、我々は、誰かから情報を入手することで、無意識に安心を得ているのかもしれません。

大学の食堂で、一人で食事をできない学生がいます。それは、今も昔も変わっていません。一人で食事をしている姿を見られると、「誰も友達がいない寂しいヤツ」と思われているのではないかと不安になるから、とにかく誰かと食事をしたいという気持ちになるのでしょう。

食事だけではありません。若い時は、一人でいることそれ自体が苦痛に感じるものです。暇な時間があると、それだけで自分が嫌になります。

この感情がわき上がって来るのは、もしかすると、一人でいる時間からは、何も知識を得られないという不安があるからなのかもしれません。それは、情報の共有とも言えます。友人が知っている情報は自分も知っておかないといけないとか、友人が体験したことは自分も体験しておかないといけないといった強迫観念が、一人でいる時間を悪と決めつけているのではないでしょうか。そして、周りの人が知っていること、体験していることが常識を形成し、それらを知らない自分を恥ずかしいと思うのかもしれません。

ヒトの細胞の数は60兆個という大雑把な情報も、多くの人が共有することで一般常識となったのでしょう。常識なんて噂レベルのものなのです。

問うこと

『知の体力』は、大学生に向けて書かれた本です。だから、若い人が読むと参考になることが多いです。一方で、社会人となった人が読んでも、これからの人生について考える良いきっかけになります。

人から物事を教わるのは、高校までです。大学に入れば、自分で問うことが要求されます。そして、社会人になれば、問うことがさらに重要になってきます。

教えられることには答えがあります。しかし、世の中には、答えがない事柄が多く存在しています。わかっているようでわかっていないこともたくさんあります。大学は、まだわかっていないことを学生に伝え、そして、学生はわかっていないことの答えを見つけるにはどうすれば良いかを問うことが要求される場です。

問うことは、自分で探すことであり、自分の心の中で対話することです。高校までは、他者との交わりで知識を身に着けてきましたが、大学生や社会人になれば、自分との対話の中で知識を獲得していくことになります。そうやって、問い続ける時間が増えていけば、やがて、誰かと一緒にいない時間が苦痛に感じることはなくなっていきます。

一人でいるのが恥ずかしいと感じ始めたら、それは、教えられる年代から問う年代に成長したことを意味しています。

その時こそが、コピーではなくオリジナルの知識を身に着けていく適齢期なのです。