ウェブ1丁目図書館

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現代日本人の体型は江戸時代の日本人とは大きく異なる

現代日本人の体型を欧米人と比較すると、身長は低いものの、さほど体型に差がないように見えます。

「同じ人間なのだから、同じような体型をしていて当たり前」と思うかもしれませんが、現代日本人の体型は、過去の日本人の体形とは異なっていたようです。

現代日本人の体型の特徴は、小顔で顎が細い、脚が長い、足が大きい、そして、身長が異常に高いといったものです。しかし、日本人が、このような体型になったのは、戦後以降ですから、つい最近のことです。

江戸時代の日本人の体型

先史人類学、骨考古学を専門とする片山一道さんは、著書の「骨が語る日本人の歴史」の中で、現代日本人の身体特徴は日本列島人の歴史のなかでは「異形である」と述べています。

日本人の成人男性の平均身長は、弥生時代から古墳時代までは160cmを超えていましたが、鎌倉時代には159cm、江戸時代から明治時代が158cmと低くなり、1940年代に165cm、1990年代に171cmと推移しています。現在では、男性の身長が170cm以上あるのは珍しくありません。でも、170cm以上の男性がゴロゴロいる日本は平成になってからで、それ以前の日本では160cm前後の身長の男性が普通だったのです。

特に背が低かったのは、江戸時代から明治時代です。

江戸時代の男性の平均身長は158cmで、京都町民の9割方は166~149cmに収まっていました。一方、女性の平均身長は144cmで、9割方152~136cmに収まっていたそうです。

現代日本人の体型を縮小したのが、江戸時代の日本人だと考えてはいけません。当時の日本人は、頭骨が顔面部も頭部も現代日本人よりも大きく、大顔、大頭、長頭、寸詰まりの丸顔という特徴を持っていました。また、現代日本人は7頭身くらいありますが、江戸時代の日本人は6頭身くらいでした。江戸時代は、欧米人の背が低くなったのが日本人とは言えない体型をしていたんですね。

女性の平均寿命が短い

江戸時代の日本人の体型の特徴は、当時の食と関係があるはずです。

江戸時代の京都町民の食事事情を調べるために伏見人骨の炭素・窒素安定同位体分析をしたところ、米や菜っ葉物の植物(C3植物)、淡水産か海産かの魚介類が主要なタンパク質源となっており、タンパク質源に占める陸上動物の割合が小さかったことがわかりました。また、粟、ひえ、きびなどの雑穀類を多くは食べていなかったそうです。

意外と魚介類の消費量が多く、特に男性の方が口にする機会が多かったようです。男性優位の社会だったことから、上等の食物であった魚介類を女性が口にすることは少なかったようですね。

そのような食事の特徴からでしょうか、女性は20~40歳を超えるあたりで死亡率が高く、男性は40~50歳代で死亡率が高くなっており、男性の方が女性より長生きする傾向にありました。現代は女性の平均寿命の方が長く、以前からそうだったのだろうと勝手に思っていましたが違っていたんですね。

女性が良質なタンパク質を摂取していなかったことから、食事内容が寿命に影響を与えているのではないかと想像します。特に女性は妊娠出産で多くの栄養素を必要としますから、動物性タンパク質を食べる機会が少なかったことは、妊娠出産で母親の体に大きなダメージを与えていたのではないでしょうか。

平均寿命に関しては、江戸時代は40歳くらいだったようですが、乳幼児の死亡率が今よりも圧倒的に高かったことがその理由だと考えられます。55歳に達した者の平均余命は15年ほどでしたから、ある程度の年齢に達すると70歳くらいまでは生きられたようです。

虫歯が多かった江戸時代人

江戸時代の京都町民は、歯の病気にかかっている人が多かったそうです。

虫歯、歯槽膿漏、歯髄炎などの歯科疾患を示す人骨が多く、歯に歯石が沈着している歯も多く発見されています。現在ほど歯磨きの習慣が根付いていなかったでしょうから、歯石がつくのは仕方ないでしょう。現代人でも、歯石が歯につきますし、一度ついた歯石は歯科で取ってもらう必要がありますから、江戸時代人は歯石がついたら取ることはできなかったと想像します。

片山さんは、虫歯の多さに特に疑問を持っているようです。

約3割の歯が虫歯で、現代人よりも多いのはどういうことか。その理由として考えられるのは、砂糖の消費量が格段に増加したことです。庶民の間でも、砂糖を使った嗜好品は定着しており、虫歯の原因になったのではないかと。また、軟弱な食べ物の普及も虫歯と関係があるのではないかと、片山さんは考えています。

確かに砂糖の消費量が増えたことと虫歯の増加は関係があるでしょう。

しかし、虫歯の増加は、米食の普及と関係があると思います。江戸時代は、国民1人当たり1日に3合弱の米が渡るほど、多くの米が生産されていました。もちろん、米は、酒、調味料、お菓子などの原料となるので、そのまま食べた量は3合もなかったでしょう。

米には、多くの炭水化物(糖質)が含まれています。虫歯は、虫歯菌が糖質を分解して酸を出すことが原因で発生しますから、米の消費量の増加が虫歯の増加と比例していてもおかしくありません。また、江戸時代は精製技術も発達し、白米を食べる機会が増えたでしょうから、なおさら歯にベタベタと米がつきやすくなり、虫歯や歯周病を増やした可能性もあるでしょう。


また、江戸時代の京都町民は、BMIが25以上の肥満体型をしていたとのこと。現代のお医者さんが彼らを見たらメタボの烙印を押し減量を指導するはずです。江戸時代の京都町民の食事は、種々の生活習慣行病を招くものだったようです。ただ、江戸時代人は、頭が大きく、脚が短い体型でしたから、現代日本人のBMI25と比較すると、それほど太っているとは言えないのかもしれません。

男性では梅毒にかかる者も多かったそうです。性病として片づけられる数ではなさそうなので、他に何か原因があったのかもしれません。


現代日本人の体型と明治時代以前の日本人の体型は、全く異なっています。現代日本人を異常と見るか、明治以前の日本人を異常と見るか、見解が分かれそうです。

僕は、現代日本人の体型が本来の日本人の体型だと思います。ワトソンとクリックが1953年にDNAの二重らせん構造を発見し、生物にとってタンパク質が最重要の栄養素だとわかりました。そのタンパク質の摂取量が少なく炭水化物中心の食事が、明治以前の日本人を6頭身のメタボ体型にしたのでしょう。

江戸時代の女性が若くして亡くなっていたことも、タンパク質不足と関係があるでしょう。

和食が健康食と言うのは、科学を冒涜する行為です。江戸の元禄時代の食事を続ければ、大黒さまや恵比須さまのような体型になるに違いない。

福々しくて縁起が良いと思う方は、どうぞ和食中心の食事を続けてください。

骨が語る日本人の歴史 (ちくま新書)

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