1868年の正月の鳥羽伏見の戦いから翌年5月の箱館戦争までの新政府軍と旧幕府軍との戦いは、1868年が戊辰年だったことから戊辰戦争と呼ばれています。
それから60年後の戊辰年にあたる昭和3年(1928年)。東京日日新聞社が、正月の読み物として前年の暮れから戊辰物語を連載しました。この戊辰物語は、明治維新を経験した人たちの談話が掲載されており、当時の民衆の心情や生活がどうだったのかがわかる興味深い史料です。
作られた長時間労働のイメージ
戊辰物語は、岩波文庫から出版されており、今でも読むことができます。
戊辰物語は、当時の人々の体験談が数多く掲載されていますが、これを読むと、現代人が持つ江戸時代の印象とは随分と異なっていることがわかります。同書のあとがきは、佐藤忠男さんが書いているのですが、まずはその中の一部を紹介しておきます。
現代のように文明が発達し機械化が進んでいる時代でも、1日の3分の1を労働時間に割いています。機械がなかった江戸時代以前なら、今以上に長時間労働を強いられていたに違いないと思うでしょうが、実は長時間労働は産業革命以後に生じた労働形態なのです。
それ以前の農業社会などがべつにそれほどの長時間労働を必要としたわけではないことは、今日でも資本主義以前、産業革命以前の農業生活をしている開発途上国の農村などに行ってみれば分る。しかし、学校で教える歴史には、そんな重大な問題はまず、書かれていない。書かれていることは、政権にどういう変化があったか、といった下らないことである。
(284ページ)
江戸時代は、農民が作った米は年貢として武士に取り立てられていました。四公六民や五公五民と言われているように収穫の半分を農民は武士に納めなければなりませんでした。
だから、当時の農民は滅多に米を口にすることができなかったと思い込んでいる現代人が非常に多いです。しかし、江戸時代の人口の8割が農民です。残り2割の武士や町人が全収穫量の半分を食べきることはできません。江戸時代の農民は貧しかったというのは、単なる先入観であって事実ではないのです。
その先入観には根拠はないわけではないが、そこにはひとつのイデオロギーが作用している。それは、少年時代の私が、江戸時代やそれ以前の人々の生活はどんなにひどいものだったろうと思い、そのひどさから脱出するために産業を発展させなければならないと思い込んでいた幼稚な誤解と同質のものである。昔は悪く、その悪を克服するために近代的な産業の発達が必要だったというイデオロギーである。
(285ページ)
戦争に負けても江戸の町民はのんきだった
江戸時代は長時間労働だったに違いないという先入観は、戊辰物語の以下の談話から違っていると気付きます。佐藤さんもこの記述が印象的だったと述べています。
しかし戊辰の正月は将軍様が江戸にいないというので自然門松なども小さ加減で淋しい。この自分の職人気質で、押し詰まってこつこつやっている者はしみったれだといっていやがったから、仕事師のような出職ものは書入だけれども、一般居職の者は二十五日頃にはさっぱりと切り上げて、早めに月代を剃ってきれいになって正月の来るのを待っている。
(24ページ)
江戸時代の人は、クリスマスが来たら冬休みに入っていたんですね。機械化やIT化が進んだ現代の方が、年末ぎりぎりまで働いているのですから、労働環境は江戸時代の方がずっと良かったとわかります。
戊辰の正月は、旧幕府軍が鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗れた歴史的大事件が起こった頃です。15代将軍徳川慶喜は軍艦に乗って江戸に逃げ帰り、ついに江戸幕府も終わりか、江戸で戦争が始まるんじゃないかと町民の間で悲壮感漂う会話がなされていたかに思われています。
ところが、江戸町民は案外のんきでした。暮れには米100俵が420両まで高騰していたのが、将軍が江戸に戻ったことで70両に大下落。
町人などは喜んで、八文の湯銭で朝風呂のざくろ口をくぐると、世間話に花を咲かせ、のうのうして暮らしていた。さすがは将軍様、米がどかりと落ちたなどは、御威勢はえらいものだと感心した。
(32ページ)
江戸町民が、戦争に大した関心を示していなかったことがよくわかります。
とは言え、町民が戦争に巻き込まれなかったわけではなく、帝国ホテルを設立した大倉喜八郎も、旧幕府の彰義隊から、ただで鉄砲を持って行かれる被害に遭っています。彰義隊は、さらに官軍には鉄砲を売っているのに彰義隊にはないと言って売らない大倉喜八郎を脅しますが、「官軍は金をくれるが、あなた方は品物をとって金をくれないから断った」ときっぱりと答えました。
新政府も旧幕府も、自分たちが正義だとか言って戦争をしていますが、商人にとってはそんなことはどうでもよく、お金を払って商品を買うならすべてお客さんとして対応していたのでしょうね。いつ戦争が始まってもおかしくない江戸でこうだったのですから、戦場とならなかった地域ではほとんどの人が戊辰戦争に無関心だったのかもしれません。
歴史の教科書には、為政者の視点からの記述が多いですが、それだけでは当時の社会を知ることは難しそうです。国会の議事録よりも、週刊誌の方が後の世の人が21世紀の社会を知るのに役立つ史料として重宝されるのではないでしょうか。