ウェブ1丁目図書館

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世界史の深さがコーヒーを苦くする

仕事終わりや休憩時間の1杯のコーヒー。

なんとも美味しいじゃないですか。香りをかげば気持ちもリフレッシュし、事務作業などで頭や目を使った後は不思議と疲れが消えていくように感じます。

最近では、安価にいただけるようになったので、毎日の生活の中で誰もがちょっとした楽しみとしてコーヒーを嗜むことができます。日々の幸せとは、このようなちょっとした幸福感の積み重ねで成り立っているのでしょうね。

それにしても、あんな真っ黒な物をいったい誰が飲み始めたのでしょうか。

眠ってはいけない

コーヒーの起源がいつかは、明確ではないものの17世紀のイタリアでは飲まれていたようです。

東京大学名誉教授の臼井隆一郎さんの著書「コーヒーが廻り世界史が廻る」によると、カルディが、ある時、山羊を新しい牧草地に連れていくと、山羊が興奮して、夜になっても寝つこうとしなかったことが、人類とコーヒーとの出会いであるとの伝承が残っているとのこと。

修道院長のスキアドリが調べると、山羊はある灌木の実を食べているのがわかり、その実をゆでて飲んでみると、夜に眠ることができなくなりました。そこで、スキアドリは、修道院の夜の礼拝で修道僧が居眠りをするのを防ぐために彼らにそれを飲ませたところ、効果絶大だったそうです。

これがコーヒーの起源なのかはわかりませんが、現代人が眠気をどこかにやる目的でコーヒーを飲むのと同じように昔の人もコーヒーを飲んでいたようです。

イスラーム世界では、コーヒーの普及に困難がありましたが、イスラーム神秘主義の修道僧スーフィーたちによって、コーヒー文化が広められます。

「寝覚めてあれ」「眠るな」「まどろみを追い払え」と歌う彼らにとってコーヒーは歓迎されるべき飲み物だったのです。

眠気を追い払いたいのはスーフィーだけではありません。兵士もまた眠ることを許されませんでした。飲むとなんとなく元気が出るコーヒーを軍隊の食事に採用したのはナポレオンだと言われています。

植民地でのコーヒー栽培

17世紀のヨーロッパでは、コーヒーハウスが見られるようになります。

コーヒーハウスでは、様々な情報交換が行われていました。コーヒーハウスではコーヒーを飲むことよりも、コーヒー代を負担して情報交換をすることの方が主だったようです。夫が仕事もせずコーヒーハウスに入り浸ることは妻にとっては悩みの種でした。

ヨーロッパ人が歓談を楽しむためのお供とされたコーヒーは、ヨーロッパ諸国が持つ植民地で栽培されていました、西インド諸島のコーヒー・プランテーションは、アフリカから連れて来られた奴隷たちにとって特に過酷な職場であり、コーヒーは「ニグロの汗」と呼ばれていました。

また、アフリカからアメリカに連れて行かれた黒人奴隷の数は1,500万人でしたが、18世紀末に現存する黒人奴隷は300万人しかいませんでした。

植民地の人々は自分たちが食べるための食料生産を放棄させられ、ヨーロッパ人たちが嗜好品として楽しむコーヒーの栽培を強制されます。現代でも、飢えを強いられている人々がいますが、これは、当時のコーヒー栽培の影響が今も続いている証と言えます。

ドイツ東アフリカ植民地では、賃金を支払って現地の人々にコーヒー栽培をさせます。しかし、現地の人々にとっては、狩猟や荷物の運搬で生活できるので、わざわざプランテーションで働く動機はありません。労働の対価として受け取る貨幣で買い物をする習慣のなかった彼らにとって、近代資本主義の良さは理解できなかったのです。

やがて、ドイツ人たちは彼らにムチを振るうようになり、過酷な労働を強いるようになっていきます。

近代戦争の背後にコーヒーあり

20世紀に入ると、コーヒーはドイツ人にとって不可欠の国民的飲み物となっていました。

その頃に勃発した第1次世界大戦は、ドイツ人のコーヒー文化に大きな打撃を与えます。戦争の前年には1億6千万キログラム以上のコーヒーが消費されていましたが、戦争によりコーヒーがドイツ国内に入って来なくなりました。イギリスはドイツの戦意をくじくためにオランダへの圧力を強め、コーヒーがドイツに入らないようにします。

第1次世界大戦では、ブラジルも影響を受けました。

当時のブラジル経済は、コーヒーに依存しており、国民の90%がコーヒー産業に関わり、外貨収入もコーヒーに90%頼っていました。ブラジル政府は、コーヒー価格の安定化のため、豊作の時には政府がコーヒー豆を買い上げて価格の下落を抑えました。そして、コーヒーの不作時に吐き出すことで、コーヒー価格を大きく変動させないようにします。

ところが、第1次世界大戦が始まり、ブラジルはヨーロッパへのコーヒーの輸出が困難となりました。

戦争が終わった後もドイツがハイパーインフレに襲われ、コーヒー消費が増えず、ブラジルの危機は続いていたのですが、幸運なことに霜害による不作やアメリカでのコーヒーブームの到来により大量のコーヒー在庫を一気に吐き出すことに成功します。

しかし、1929年の世界恐慌でブラジルのコーヒーの価値は一気に下落します。

そして、有り余ったコーヒーは、蒸気機関車の燃料として燃やされました。


「コーヒーが廻り世界史が廻る」を読むと、富裕層の欲が世界をかき乱してきたことがよくわかります。コーヒーや砂糖は嗜好品であり、生活必需品ではありません。その嗜好品を貧しい人々に作らせ富裕層が優雅な生活を営み、揚句は戦争へと発展しました。

資本主義とは何なのか、労働とは何なのか。燃やされるコーヒーを見て空しさを覚えた人は多かったはずです。ナチズムや社会主義国の誕生は、必然だったのでしょう。

われわれは「世界市場革命」以来、世界的商品交換の進捗度を黒く染め上げるカラー・ペンのような商品としてコーヒーの歴史を追ってきたのであるが、われわれの到達したこのむやみに忙しい、人を疲れさせる資本主義商品社会は、そこでの代表的商品がまた同時に人の疲れを癒し、元気を回復させる商品であるという、循環性のメカニズムを完備している。(228ページ)

嗜好品の生産のために強制的に働かされた人がいたこと、そして、忙しく働かなければならない資本主義社会で眠ることを許されない現代人が口にするコーヒーが疲労を回復させ再び労働に向かわせる「黒いお神酒」であることを知ると、休憩時間に飲む1杯のコーヒーが、これまでより苦く感じます。