ウェブ1丁目図書館

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院政は江戸時代まで続いた

天皇が存命中に譲位すると、太上天皇となります。省略して上皇と呼ぶのが一般的です。

上皇が、権力を握り政治を行うことを院政といい、平安時代末期の白河上皇鳥羽上皇後白河上皇院政を行った上皇として特に有名です。上皇は、現代の会社でいうと会長のような存在です。本来、社長が会社のリーダーなのですが、会長の言うことに逆らえず、会長の意見が会社を動かす場合があります。

院政もこれと同じで、社長である天皇よりも、会長である上皇の意思が政治に反映される状況にありました。

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会津藩が京都守護職にならなかったら同志社大学は京都に開校していなかった?

京都御苑の北に同志社大学今出川キャンパスがあります。

かつて、この地は薩摩藩の藩邸があった場所でしたが、数奇な運命を経て同志社大学の前身である同志社英学校を開いた新島襄の所有となりました。

新島襄が、今出川キャンパスの地を手にする遠因となったのは、幕末に会津藩京都守護職となり上洛したことにあります。もしも、会津藩京都守護職にならなければ、同志社大学は別の場所に設立されていたかもしれませんし、場合によっては設立されなかったかもしれません。

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現在の京都は豊臣秀吉が造った

京都の鴨川に架かる橋はいくつかありますが、その中で有名なのは、牛若丸と弁慶が出会った場所と伝わる五条大橋東海道五十三次の終着点である三条大橋でしょう。

どちらも、古くから鴨川に存在しているように思われがちですが、三条大橋を架けたのは豊臣秀吉なので、その歴史は意外と浅いです。ところで、豊臣秀吉はなぜ三条大橋を鴨川に架けたのでしょうか。

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足利義満の急死で守られた万世一系

朝廷が、南朝北朝に別れて約100年争った南北朝の争乱は、室町幕府3代将軍の足利義満によって終わりを迎えました。

2つの朝廷が存在すること自体あり得ないことですが、それが100年も続いた南北朝時代は、異常な時代です。その異常な時代を終わらせた足利義満は、日本史の中で最も優れた政治家の一人と言っても良いでしょう。

その足利義満。ある日、突然亡くなりました。なぜ亡くなったのか、今も謎ですが、暗殺されたのではないかとする説があります。

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関ケ原の戦いの通説はどこまでが史実なのだろうか

日本史上もっとも有名な人物は徳川家康でしょう。戦国時代を終わらせ泰平の世を築いた功績も、他の歴史上の人物と比較して偉大なものだったと言えます。

だから、徳川家康については、その生涯が詳しくわかっているように思われている面がありますが、意外と誤解されている部分もあります。また、有名な逸話も多数ありますが、その信憑性が怪しいものもいくつかあります。例えば、三方ヶ原の戦い武田信玄に敗れた徳川家康が、逃げる途中で脱糞したという話は創作とされています。

その後の関ケ原の戦い大坂の陣についても、誤解されて伝わっている話があります。

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