ウェブ1丁目図書館

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足利義満の急死で守られた万世一系

朝廷が、南朝北朝に別れて約100年争った南北朝の争乱は、室町幕府3代将軍の足利義満によって終わりを迎えました。

2つの朝廷が存在すること自体あり得ないことですが、それが100年も続いた南北朝時代は、異常な時代です。その異常な時代を終わらせた足利義満は、日本史の中で最も優れた政治家の一人と言っても良いでしょう。

その足利義満。ある日、突然亡くなりました。なぜ亡くなったのか、今も謎ですが、暗殺されたのではないかとする説があります。

権力の象徴だった金閣寺

足利義満は、いつも一休さんにとんちで負けている将軍さまとの印象を持っている人もいるかと思いますが、多くの人は金閣寺を建てた人物だと記憶していることでしょう。

全体に金箔が貼られた建物を作るくらいですから、足利義満は派手好きだったんだなと思ってしまいます。しかし、舎利殿に金箔を貼った通称金閣は、政治的な思惑があって建てられたものなのです。

作家の井沢元彦さんの著書『天皇になろうとした将軍』では、足利義満の急死の謎を太平記金閣などから推理しています。

現代では、あまり脚光を浴びることがない足利義満ですが、もしも、彼が急死しなければ、日本の歴史、特に天皇の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

井沢さんは、本書のタイトル通り、足利義満天皇になろうとしていたと考えています。それを今に伝えているのが、金閣なのだと。

金閣は、3層からなっていますが、全面金箔で覆われてはいません。1層目は白木のままで、2層目と3層目に金箔が貼られています。なぜ、1層目に金箔が貼られていないのかは、3層の意味を考えればわかります。

金閣は、1層目が公家風の寝殿造、2層目が武家造、3層目が中国風の禅宗仏殿造となっています。これは、公家よりも武士の方が上であり、それらの上にさらに足利義満が君臨することを象徴しています。1層目に金箔が貼られていないのは、足利義満が、武士よりも公家が下だと強調したかったと考えられます。

3層目が中国風の禅宗仏殿造なのは、足利義満が、中国皇帝から「日本国王」の称号を受けていたからです。彼は、自分が天皇の下だとは思っておらず、日本を統治する資格を中国皇帝から与えられた王なのだと考えていたのでしょう。その気持ちが具現化された建物が金閣だったのです。

また、金閣の上には鳳凰が乗っていますが、これも朝廷を軽視したものなのだとか。屋根に鳳凰が乗る建物は、金閣以前に平等院もありました。平等院は、藤原家が全盛時に建てたお寺で、この時代は、藤原家が天皇をないがしろにしていた時代です。

鳳凰は、聖天子が現れると世に出る想像上のめでたい鳥。その鳳凰を屋根の上に立てた建物を作ることは、自分が聖天子であることを主張しているのと同じであり、時の天皇を軽視していることになります。足利義満は、天皇より自分が上だということを金閣を建てることで広く知らしめたかったのでしょう。

相国寺足利義満の権力を示すためのもの

足利義満が建てたお寺は金閣寺だけではありません。

現在の京都御所の北にある相国寺足利義満が建立したお寺です。相国寺もまた、足利義満天皇よりも上だと強調するために創建されたと井沢さんは推理しています。

相国寺には、高さ100メートルを超える七重の塔が建てられました。足利義満は、この七重の塔から御所に住まう天皇を背後から見下ろす立場にあったのです。彼に天皇を敬う気持ちがあれば、相国寺は別の場所に創建したでしょうし、七重の塔も建立しなかったのではないでしょうか。

また、相国寺の境内を流れる水は、御所にも流れていました。これも、足利義満が先に使った水を天皇に使わせることになるので、天皇の権威を軽く見ていたと考えられます。

「君子は南面す」といいますが、その君子よりさらに北から南面していたのが足利義満だったんですね。

下手人は南朝の関係者か?

絶対的な権力を手に入れた足利義満は、さらに天皇の位も我がものにしようと企みます。

天皇になると言っても、自らが即位するのではなく、我が子の義嗣を天皇にしようとしていました。自分は天皇にならなくても、天皇の父であることから、やがて太上天皇上皇)になれます。

義嗣を即位させる計画は着々と進み、ついに義嗣の立太子式も終わりました。これで、義嗣が次の天皇になることが約束されたのですが、立太子式の6日後に足利義満は病死します。

彼の死により、足利天皇は幻となりましたが、朝廷は太上天皇の尊号を贈ることを決定します。

なぜ、万世一系の皇統を断絶させようとした足利義満太上天皇の尊号を贈ろうとしたのか。それは、非業の死を遂げた足利義満の怨霊を鎮めるためだったのだと井沢さんは考えます。それ以前も、日本の歴史の中では、非業の死を遂げた人々の霊は鎮魂されてきています。非業の死を遂げた人の霊は怨霊となり災いをもたらすからです。

朝廷が足利義満太上天皇の尊号を贈ったのは、彼が非業の死を遂げたからです。それは、つまり、目的を果たす目前で誰かに暗殺されたことを意味していると考えられます。しかし、時の将軍足利義持は、父義満を嫌っていたことから、これを辞退します。

こうして、足利義満皇位簒奪計画は未然に終わりました。

ところで、足利義満は、誰に暗殺されたのでしょうか。その下手人として、井沢さんは、南朝の忠臣楠木正成と関係がある人物ではないかと推理しています。