自国の歴史を学ぶ際、教える側は自国民であることが多いです。日本史であれば、日本人教師が、児童や生徒に教科書を使いながら教えます。どの国でも、自国の歴史は自国民から学ぶのが当たり前です。
だから、他国から自国の歴史を見るとどのように映るのかは、あまり意識されず、国内から見た自国の歴史こそが正しい歴史だと思いがちです。しかし、どの国も、海外と関わってきていますから、自国の歴史をより深く理解するためには、国内の視点だけでなく海外の視点も取り入れる必要があります。
続きを読む自国の歴史を学ぶ際、教える側は自国民であることが多いです。日本史であれば、日本人教師が、児童や生徒に教科書を使いながら教えます。どの国でも、自国の歴史は自国民から学ぶのが当たり前です。
だから、他国から自国の歴史を見るとどのように映るのかは、あまり意識されず、国内から見た自国の歴史こそが正しい歴史だと思いがちです。しかし、どの国も、海外と関わってきていますから、自国の歴史をより深く理解するためには、国内の視点だけでなく海外の視点も取り入れる必要があります。
続きを読む「歴史に、もしもはない」
よく聞く言葉です。過ぎ去った出来事について、後から何を言ったところで変えようがありません。だから、歴史を見て、あの時、あのようになっていれば、その後の歴史は変わっていただろうと言っても仕方ありません。
でも、過去のことを何度も振り返って、「もしも」を考えるのは、誰にでもあることです。果たして、それは、本当に無意味なことなのでしょうか。
続きを読む過去に起こった事実は絶対に変わりません。
だから、歴史の教科書に書かれている内容も変わらないはずなのですが、日本史の教科書は、数十年前から内容が変わっています。時代によって、何を教えるべきかという価値観は変わりますから、それに応じて教科書の記述内容が変わることは考えられます。
しかし、事実とされていた内容についても、記述が変わることがあります。新たな発見により、書き換える必要が生じたことが理由です。だから、過去の事実は変わらないといっても、事実だと思い込んでいたことが違っていた場合には知識を更新する必要があります。
また、昔の人が流したデマを事実だと思い込むこともありますから、今、事実と思っていることは、将来、書き換わるかもしれません。その逆もあり得ます。
続きを読む自分が生まれる前の出来事は、誰かに教えてもらわないと知ることはできません。
年上の人が記憶を頼りに語る内容は、部分的に忘れていることがあるので、やや正確性に欠けますが、それでも、まずまず信用できます。しかし、その年上の人も生まれていなかった時代の出来事については、人から人へ語られている間にまちがって伝えられる可能性が高くなります。
大昔に起こった出来事については、その当時に書かれた記録を見ることで、より情報の正確性が増します。
続きを読む