言霊(ことだま)。
この言葉には、何やら生命のようなものが言葉に宿っている印象を受けます。霊力とも言えます。万葉の昔から、日本人は言霊を信仰してきました。人が口に出した言葉は、現実になると考えていたわけですね。
現代人なら、そんなことはあるはずがないと思うでしょうが、そう思っている人だって、言霊に支配されていると主張するのが、井沢元彦さんです。
雨が降ると口にしたら本当に雨が降った
もしも、あなたの友人が、天気予報を見ずに適当に明日は雨が降ると言って、本当に雨が降ったらどう思いますか?
おそらく、そんなのは偶然だと思うはずです。では、以下のような条件付きだったらどうでしょうか?
あなたは、明日から1週間海外旅行に出かけます。そして、その話を友人にしたら、その友人が冗談で「明日から1週間、雨が降るわよ」と言ったとしましょう。すると、あなたは、「旅行に行く前に嫌なこと言わないでよ」なんてことを言うのではないでしょうか。
この話をしている時は、天気予報で雨が降るとは言ってなかったし、友人が言っていることは冗談だから科学的な根拠もないと思っているはずです。ところが、偶然にも友人が言った通り、旅行中に雨が降ったとします。すると、あなたは、旅行から帰ってきたら、友人に「あなたが旅行前に縁起でもないこと言うから本当に雨が降ったじゃないのよ」と言って責めるのではないでしょうか。
こういった会話は、いろんなところで行われています。
ゴルフ場で部下が上司に「次のショットは、きっとOBになりますよ」と言って、本当にOBになったら、その上司は「君がくだらんことを言うからOBになったじゃないか」と怒り出すかもしれません。言った部下も何か気まずい気分になりますよね。
健康診断前に職場の同僚から「きっと病気が見つかるよ」なんて言われて、本当に病気が見つかったら「お前が余計なことを言うから本当に病気になっただろう」と同僚を責めだしたりしませんか。
しかし、これらの会話には、結果との因果関係はありません。上司がOBをだしたのは、単に下手だっただけで部下の責任ではありません。健康診断で病気が見つかったのは自分の不摂生が原因であって、決して同僚の発した言葉が病気を招いたのではありません。
でも、こういった会話は日常よく行われていますよね。そう、現代日本人は、万葉の時代の人たちと同じように言霊に支配されているのです。
戦争を起こさないためには「憲法9条」と口にし続けること
今までの話は、単に笑い話で済まされますが、笑い話では済まないことが今の日本では起こっています。それは、「憲法9条」と言葉にすれば、平和がやってくると思っている人たちがたくさんいることです。
他国からの侵略に危機感を持っている人たちが、憲法9条を改正して日本も軍隊を持たなければならないと発言したとしましょう。そうすると、護憲派と呼ばれている人たちは、「何を言ってるんだ!軍隊なんか持つから戦争になるんだ」と言い返してきます。そして、「日本は憲法9条があるから今まで戦争をせずにやってこれたんだ」と続けるわけです。
この言葉が出た後は、「憲法9条」「憲法9条」とひたすら繰り返すだけで、具体的にどうやって平和を維持すべきかという議論は行われなくなります。これがまさに言霊に支配されているということなのです。
井沢さんは、著書の「『言霊の国』解体新書」で以下のように述べています。
ここで言う「具体的」とは、たとえばPKOのように戦争の起こっている地域に実際に行って停戦監視をするとか、地雷を取り除く作業をするとか、そういう「行動」を指すのであって、平和運動の「組織」を作って「平和、平和」と叫ぶことではない。「雨が降る」と口にすれば本当に「雨が降ってくる」と信じている人はいないだろう。そのくせ、こと「平和」になると、たちまち「平和になれ」と叫べば本当に「平和が実現する」と信じている人が多すぎる。(125ページ)
平和というのは、ただ言葉を口にしているだけで手に入るものではありません。時には、情け容赦ない行動が必要になることもあるでしょう。
徳川家康は、豊臣秀吉亡き後、秀吉から子の秀頼の面倒を見て欲しいと懇願されましたが、約束を破って豊臣家を滅ぼしました。でも、その後には300年の太平の世が訪れています。
反対に平治の乱の後、平清盛は敵の源義朝の子の頼朝や義経の命を助けました。それが20年以上経ってあだとなり戦乱となりました。そして、平家は滅亡したわけです。足利尊氏も一度は敵方の後醍醐天皇を捕えましたが、厳しい処分をせずに幽閉していただけだったので、後に逃げられて吉野に朝廷を作られ、南北朝の争乱が起こりました。
平和とは、時に非常な決断をしなければ守ることができないということを歴史が物語っているのです。
でも、なかなか護憲派と呼ばれている人たちは、どうすれば平和を維持できるのかという具体的な案を示そうとはしません。そして、最終的には「憲法9条を守れ」とか「憲法改正反対」と声高に叫びます。これは、言霊を信仰しているから起こる行動なのです。
「飛行機が墜落する」と言って、本当に墜落したら「縁起でもないことを言うから墜落しただろう」と発言者を責めるのと同じです。発言内容と墜落との間には、何の因果関係もありません。後で、ただの整備不良で落ちたということがわかっても、発言者は恨まれて、気まずい思いをします。
日本人にとって最も大事なものは平和です。だから、平和を破壊する戦争を連想させる事物を口に出すとすぐに批判されます。その事物とは具体的には軍隊です。だから、日本人は実質的に軍隊であるにもかかわらず自衛隊という名称を使うことで、日本は軍隊を持たない国だと自分自身に言い聞かし、安心しているわけです。
軍隊を正式なものとして認知しないことによって、日本人は安心する。しかし、それは論理的に考えればむしろ本当の意味での軍国主義復活の第一歩なのだ。(234ページ)
日本人の潜在意識の中に根強く残っている言霊。憲法改正が具体的に議論されないのは、この言霊が原因なのかもしれませんね。

- 作者:元彦, 井沢
- 発売日: 1998/05/09
- メディア: 文庫