ウェブ1丁目図書館

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自然科学の発達の背景にはキリスト教があった

現在の我々の生活の中には、洗濯機、冷蔵庫、自動車、テレビ、インターネットといった便利な道具があふれかえっています。

このような工業製品を利用できるようになったのは、ヨーロッパで産業革命が起こり、人々の生活が近代化していったからです。それは、言葉を変えると科学技術の進歩となるでしょう。

しかし、科学技術の進歩という言葉もまた、産業革命が起こった理由を説明するのに不完全と言えます。なぜなら、科学技術の進歩の背後には、キリスト教があったからです。

一神教多神教

キリスト教は、唯一絶対の存在であるGODを信仰する宗教です。そのような宗教を一神教といいます。一方、日本の神道のように海の神や山の神など、複数の様々な神の存在を認める信仰を多神教といいます。

近代化とは、西洋化のことです。そして、西洋諸国では、GODを信仰する一神教が人々の生活の中に浸透しており、その精神が近代化へとつながりました。

社会学者の橋爪大三郎さんと社会学博士の大澤真幸さんの対談を収録した『ふしぎなキリスト教』では、多くの日本人にとってわかりにくいキリスト教について、その背後にある考え方を中心に説明されています。

キリスト教は、イエスの死後に広まった宗教ですが、その原型はユダヤ教です。イエスは、ユダヤ教を壊して新しい宗教を作ったのではなく、ユダヤ教を改革した人物と言えます。聖書には、旧約聖書新約聖書がありますが、前者はユダヤ教聖典であり、後者はイエスの後に付け加えられた聖典です。これは、つまり、キリスト教ユダヤ教を内包した宗教であり、ユダヤ教を廃したことを意味するものではありません。

キリスト教のような一神教にとって、GODは創造主であり、万物はGODによって創られたと考えます。

一方、多神教における神々は、創造主とは異なり、そこに宿っているものと考えられています。山には山の神が宿り、川には川の神が宿り、植物には植物の神が宿っていると。そして、多神教では、神は人間のようなものと考え、多くの神と仲良くなることで、豊かな生活を送ることができるとします。多くの人と仲良くし、揉め事を起こさないようにしようと努める日本人が多いのは、この多神教の考え方が根底にあるのでしょう。

GODは善人を助けるか

悪人には、天罰が下ると考えるのも、多神教を信仰する日本人の特徴かもしれません。善い行いは、きっと誰かが評価してくれるはずだと考えている日本人は多いことでしょう。

一神教ではどうでしょうか。

例えば地震が起こった時、それはGODの仕業と考えるのでしょうか。日本では、天変地異は怨霊の仕業と考える御霊信仰がありましたが、これは多神教の特徴と言えそうです。早良親王菅原道真が怨霊となって、天変地異を起こしたと考えていた古代の日本人は、彼らを神として祀り、天変地異を鎮めようとしました。

一方、一神教には、そのような考え方はありません。現象の背後には何かの法則があるとは考えません。人間の間の紛争を政治家が解決するとも考えません。すべては、罪深い不完全な人間の営みではあるものの、その背後には、完全な能力と意思と知識を持ったGODがおり、その導きによって生きていると考えるだけです。

善人が、地震や台風など、不慮の事故で亡くなった場合、多神教を信じる社会では、なぜ、あんなに善い人がこんな目に遭わないといけないのか、神さまは、なぜ救ってくれなかったのかと考えます。でも、一神教では、万物の創造主であるGODは、善人とか悪人とか区別しません。GODに愛される人もいれば、愛されない人もいます。そう考えなければ、一神教は成立しないのです。

キリスト教が自然科学を発達させた

この世のあらゆるものは、GODが創造したと考えるのが一神教の特徴だということは、先に述べました。

キリスト教では、GODが世界を創造したと固く信じられています。そして、これこそが、西洋を近代化させた理由と考えられます。

GODは、あらゆるものを創り出しましたが、もはや、そこにはいません。ただ、GODが創ったという痕跡だけが残っている状態です。山も川も海も、あらゆるものをGODが創ったけども、その後に出て行ってしまったと考えられています。だから、世界中を探しても、もはやGODはいません。

では、GODが創り出したこの世界はいったい誰が管理するのでしょうか。それは、GODから主権をゆだねられた人間です。

そう、地球上のあらゆるものを管理監督する権利を人間は手にしたのです。GODが創ったと言っても、それはただのモノでしかありません。だから、石炭でも石油でも好きに使えばいいし、動物たちも好きに利用すれば良いのだと。

このような認識を西洋人が持ったからこそ、自然科学が西洋を中心に発達したのです。

では、多神教の世界ではどうでしょうか。

日本の場合だと、ありとあらゆるものに神が宿ると考えることから、ものを単なる物質だとする発想は生まれにくいわけです。山を切り拓いて宅地にするような発想は、山に神が宿ると考える多神教の世界では、なかなか出てきません。そんなことをすると、山の神の祟りにあうと考えるからです。

あらゆる神と仲良くしようとする多神教の発想では、神との衝突は避けなければなりません。まさに「触らぬ神に祟りなし」なのです。


万物をGODが創造したとの発想が、自然科学を発達させたという考えには、なるほどと頷ける部分があります。でも、万物をGODが創造したとの考え方が、植民地支配を肯定させ、悲劇を生み出したのかもしれません。あらゆるものは、人間に主権があるとの考えは、あらゆる生命の生殺与奪の権利も人間が持っていると考えてしまうのではないでしょうか。


『ふしぎなキリスト教』では、日本人が持つキリスト教に対する疑問についても、答えてくれています。イエスを神の子とするのなら、父なるGODとその子のイエスの2つの神が存在することになり、一神教ではなくなってしまいます。

また、なぜ、神の子であるイエスは処刑されなければならなかったのか、それにも答えてくれています。

キリスト教が不思議だと、前々から思っていた方は、本書を読むことで、その疑問が解決することでしょう。