ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

キリストは再臨したのか

エスを救世主とするキリスト教は、世界中で多くの人々に信仰されています。

弟子たちに裏切られ、みすぼらしく死んでいったイエスが、なぜ、多くの人々に今なお崇敬されているのか、不思議に思う部分があります。

また、現代の先進国で、イエスと同じ考え方を言葉にして主張しても、それほど多くの人の心を打つことはないようにも思えます。しかし、だからこそ、イエスの教えは多くの国々に浸透しているとも考えられます。

エス処刑後の弟子たち

エスを慕っていた弟子たちは、自らの保身のためにイエスを裏切ります。

そして、イエスは処刑されました。

弟子たちは、その光景を見ていません。ローマに捕えられるのを恐れ、刑場まで見に行くことができなかったのです。

そのような弱き心を持つ弟子たちが、イエスの死後、彼の教えを多くの人に広めようと努めます。そして、イエスと同じようにペトロもポーロもヤコブも、弟子たちは迫害を受け殉教します。

心の弱かった弟子たちが、なぜ、自分たちが裏切ったイエスの教えを世に広めようとしたのでしょうか。作家の遠藤周作さんの著書「キリストの誕生」では、刑場にイエスの死を見に行った女性たちから弟子たちが、イエスが一切の恨みや憎しみの言葉を口に出さなかったこと、それどころか、イエスが弟子たちへの救いの祈りを捧げ処刑されたことを聞かされ、衝撃を受けたことが述べられています。

エスの教えが、伝播していくのは、ここからだったのでしょう。

一神教の否定

エスが生きていた時代、この世に神は唯一とするユダヤ教の教えを守らなければなりませんでした。

しかし、イエスは、ユダヤ教の教えは自力救済の律法重視であり、それがかえって神から遠ざかって行くと考え、神の愛、愛の神を人々に説いて回りました。苦しむ人の同伴者となることの大切さを説くことは、裁きや罰を与える神とは違います。

一神教を信じる宗教では、他に神がいることを許しません。イエスの教えが広まることは、これまで信じてきた唯一の神の否定につながります。だから、イエスは迫害され、処刑されました。

当時の人々は、イエスの教えをなかなか理解できませんでした。弟子たちもです。しかし、イエスの死により、弟子たちは彼の教えについて少しずつ理解していくようになります。

そして、弟子たちはイエスの教えを人々に説き、やがて、イエスと同じように殉教します。その時、人々は、イエスが処刑された時と同じように「あの人はなぜ、かくも、むごたらしい死を神から与えられたのか」と疑問を投げかけます。

キリストの再臨

エスの弟子たちの死は、信徒たちになぜ神は沈黙しているのかという疑問を抱かせました。

この疑問は、イエスが処刑された時に弟子たちが持った疑問と同じです。

さらに後に起こったユダヤ戦争でも、多くの信徒が、神に救われることなく虐殺されました。


神がなぜ沈黙しているのか。キリストはなぜ再臨しないのか。


生き残った信徒たちに新たな謎が2つ突き付けられました。

エスの死、弟子たちの死、ユダヤ戦争。3度の課題を経た原始キリスト教団は、この2つの謎を解くため、さらに信仰のエネルギィを持ち始めます。

遠藤さんは、「不合理ゆえに我信ずというこの信仰の形式が原始キリスト教団を組織的衰弱から防ぎ、その活力を与えた」と考えています。

「キリストはなぜ再臨しないのか」という謎は、イエスが処刑される時に見せた愛が、時を経てもなお弟子たちの心の中に深く刻み込まれたことで理解できるのではないでしょうか。死んだ身体が復活することはなくとも、イエスの愛はいつまでも弟子たちの心にありました。これこそが、キリストの再臨だったのかもしれません。


では、神の沈黙はどうでしょうか。

エスはこの謎を弟子たちに突きつけたまま、世を去った。彼は弟子たちにその解答を教えなかった。彼はその謎に解決をつける自由を弟子に与えたまま死んでしまった。いや弟子にだけではなく、今日もすべての人間にイエスはその謎と解答の自由を与えている。(237ページ)

沈黙ではなく、神そのものが存在しないと考えるのも自由です。神とは、イエスの言う愛の神ではないと主張するのも自由です。

エスは、神をどう解釈するかという問いを投げかけたまま世を去りました。

これこそが、キリスト教が世界中に広まった理由ではないかと、遠藤さんは考えています。

謎は、解き続けている間が最も盛り上がるものです。答えを見つけた時、興味は冷めていきます。

キリストの誕生 (新潮文庫)

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