ウェブ1丁目図書館

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低成長時代の心の成熟

自動車で登り坂を走るとき、アクセルを深く踏まなければ前に進みません。坂道を登り切り平たんな道になった時には、そのままアクセルを踏み続けていると、スピードが出すぎてしまいますから、アクセルを緩める必要があります。そして、下り坂になった時は、ブレーキを踏みながら、ゆっくりと下らなければなりません。

上り坂、平坦な道、下り坂と、場面に応じてアクセルを踏んだりブレーキをかけたりするから、上手にハンドルを切ることができ、事故を起こさずに走り続けられます。しかし、道路の構造上の問題で、錯覚を起こし、下り坂なのに平坦な道に思えて、ついアクセルを踏みすぎ、事故を起こすことがあります。

このような錯覚は、自動車の運転に限りません。人生においても、このような錯覚は起こるものです。

低成長に気づく

日本経済が成熟化し、低成長に入って久しいです。多くの人は、それに気づいていますが、反面、以前の高度成長期が再びやって来ると期待しています。

作家の五木寛之さんは、著書の『孤独のすすめ』で、日本が低成長の時代に入ったことを認める勇気が必要だと述べています。低成長時代に入ったことに気づいているものの、それを認めたくない心理が、いつまでもアクセルを踏み続けようとするのだと思います。これまでのようにアクセルを踏み続けていれば、必ず、かつてのような成長が訪れると。

下り坂でアクセルを踏み続ける行為は、スピードが出すぎて危険です。それと同じで、経済が成熟した社会で、アクセル全開で前に進み続けることは、大きな事故につながりかねません。

五木さんは、高度成長の時代は、ただひたすら前を向いて突き進んでいたので、後ろを振り返ったり、あたりを見回す余裕がなかったと述べています。だから、そこには、内面的な成熟もなければ文明の成熟もありませんでした。

現代は、低成長社会に入っているので、あたりを見回す余裕があります。今こそ、精神面での成熟を目指すときなのでしょう。

嫌老社会

経済成長がストップし、人口が減少している日本では、やがて、嫌老社会が到来するのではないかと、五木さんは危惧します。

現役世代は、高齢者の生活を支えるために働いているけども、自分たちの老後はどうなるのか、不安に感じています。それが、いつしか、高齢者を嫌う社会へと移っていくのではないかと。

そのような社会にならないために高齢者が、自分たちを見つめなおすことが必要です。一言でいえば、高齢者も自立する必要があるのです。そのためには、産業意識の転換が必要です。産業の担い手も市場も、高齢者を切り口に発想していくことで、それが可能となるかもしれません。

高齢者の経験や知恵は、社会に生かされる余地があります。しかし、現代の日本社会では、定年後に仕事をする高齢者が少ないため、長年培ってきた技術や知識が社会に還元されにくくなっています。

定年後も、まだまだ社会貢献できる人はたくさんいるはずです。そのような高齢者が仕事をできる環境を作ることで、嫌老社会になっていくことを回避できるのではないでしょうか。定年後は、一律にリタイアし、年金暮らしに入ることが、現役世代の負担を重くするのです。まだ、働ける体力がある高齢者が、何かしらの社会貢献をすることで、低成長時代に精神的に成熟した社会を築くことができるはずです。

自らの能力、経験を武器にして、社会に貢献できる老人で溢れているのが高齢社会ニッポンです。その力を生かさない手はありません。
それは、「心のリタイア」ということでもあります。五十歳になったら、それまでの働きづめの人生を一度振り返り、「よりよい生き方とは何なのか」を考えてみよう、という提案です。(172ページ)

これは、若者にとっても同じではないでしょうか。

ただ、ひたすら目標に向かってアクセル全開で突き進むことは、若いときは大切なことかもしれませんが、時にアクセルから足を離し、あたりを見回す余裕を持つことも必要です。