ウェブ1丁目図書館

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デジタル化がもたらすのは幸福か不幸か

デジタル社会は、我々の生活を急速に便利にしていきます。

インターネットに接続できる環境があれば、あらゆる手続きを自宅で行うことができますし、お金の支払いもオンラインで簡単にできます。これまでのように書類を手書きで記入する手間もなければ、現金の支払いに行く必要もありません。

このまま、もっとデジタル化が進んでいけば、日本国民は、さらに多くの自由な時間を手に入れられることでしょう。

デジタル化は有事に評価される

と、デジタル化を礼賛する声が増えていますが、デジタル化が本当に国民の暮らしを良くするものかどうかは、有事に評価されるものであり、平時にはその価値も危険性もよく理解できません。

国際ジャーナリストの堤未果さんの著書『デジタル・ファシズム』を読むと、デジタル化で得られるものよりも失うものの方が多いのではないかとの疑問がわいてきます。

コロナ禍で、保健所の機能がパンクしたことは記憶に新しいですが、これをもたらした要因の一つが効率化を重視したデジタル化と言えます。2007年以降、保健所の数は半分に減り、コロナ禍という有事に対応できなくなったのです。

公共部門は、デジタル化によって効率化しやすい分野ではありますが、ここを過度に効率化すると有事に対応できない社会になってしまいます。その例が、アメリカのジョージア州フルトン郡だと本書で紹介されています。同郡のサンディ・スプリング市は、そこに住む富裕層たちが「自分たちが納めた税金が貧困層の支援に使われる」ことに不満を持っていたことから、フルトン郡から独立しました。

富裕層の富裕層による富裕層のためのサンディ・スプリング市は、彼らにとって心地良い街と変わりました。しかし、同市の独立でフルトン郡の税収は落ち込み、事件が起こっても警察が到着するのに2日もかかるような社会になってしまったのです。

効率化があまりに優先される社会は、有事にセーフティ・ネットが機能しなくなる危険性があることを示す良い事例です。

キャッシュレスと国民登録番号の紐づけで40人に1人が多重債務者となった韓国

デジタル化と相性が良いのがキャッシュレス決済です。日本も、近年、政府がキャッシュレス決済の普及に力を入れていることから、その利用が増加しています。

アジアでは、韓国や中国がキャッシュレス先進国であり、日本も両国に追いつこうと国を挙げてキャッシュレスを推進していますね。

キャッシュレスは、確かに便利です。しかし、キャッシュレス決済で短縮される時間に見合わない社会的費用がかかっていることを見落としてはいけません。

韓国は、20世紀末のアジア通貨危機で打撃を受けたことを機に外資金融業界のカモにされてしまいました。クレジットカードと国民登録番号が紐づけされ、国民の消費行動が政府の手に渡りました。また、カード決済の導入を義務化された小売店は脱税をしにくくなりました。

一見すると脱税が減るのは良いことに思えますが、外資に抵抗できなくなった韓国は、キャッシング金額の上限規制を撤廃させられ、多重債務者を増やすことになりました。

消費者の購買履歴は、外資の金融機関にも渡り、その購買履歴に基づいて消費者に購買意欲をそそる広告が送られて来るにようになります。この結果、カードの支払延滞率は、2001年が2%だったのに対し、2003年には11%に急増しました。2020年には、平均金利13%のカードローンを利用する国民が260万人、そのうち56%が3社以上から借りる多重債務者となったのです。実に韓国国民の40人に1人が多重債務者なのです。

多重債務者になるのは、お金にだらしないからだと思っているなら、考えを改めた方が良いでしょう。デジタルとマネーの動きが一体になれば、日々、脳汁(ドーパミン)が出る情報に晒され、自分の力では消費行動を制御できなくなっていくのです。

国民が政府を信用しないことを自覚すればデジタル化は成功する

デジタルは、今後、巨額のお金が動く産業となることから、多くの企業が参入しています。かつて、儲からない産業だったヘルスケアも、それが金のなる木になるとの期待が高まり、今では巨額のマネーが動く業界に変貌しています。

次期のヘルスケア産業になることを期待されているのが教育です。児童や生徒にタブレットを使ったオンラインの授業をさせることで莫大な利益を狙うテック企業により、子供たちの教育が脅かされています。デジタルは、手段であって目的ではないことを教育業界にいる人たちは理解しないと、教育業界が第二のヘルスケア産業になってしまうでしょう。

デジタル化は、一歩間違えれば、国民の生活を危うくしますが、上手に使うことで国民の生活を快適なものにできます。デジタル化が上手くいった国には、エストニアがあります。

エストニアが、デジタル化に成功したのは、国民は政府を信用していないことを政府が理解していたからです。

紙からデジタルに変わったところで、国民は政府を信用しません。それなのにエストニアでデジタル化が成功したのは、透明性を確保するため「強い規制」をしたからです。

何者かが、国民のデータにアクセスする時には、必ずログインが要求され、国民は誰が自分の情報を閲覧したかを知ることができます。それどころか、何の目的があって情報を閲覧したかもわかるようになっています。しかも、閲覧履歴はブロック・チェーンで完璧に記録されるので、改ざんも不可能です。

さらに国民は、自分のデータをいつでも削除することができます。

日本でも、個人番号がデジタルで管理されるようになっていますが、個人情報が漏洩した場合に誰が損害を償うのかよくわかりません。国民が不安に思うのは当たり前です。

日本政府がデジタル化を推進するなら、少なくとも以下の条件が必要になるのではないかと思います。

  • 国民は個人情報を閲覧された場合、誰が何の目的で閲覧したかを知る権利を持つ。
  • マイナンバーポータルやその他の個人番号制度から、個人情報が漏れた場合には、政府は国民にその損害を全額賠償する義務を負う。
  • マイナンバーカードに不正ログインがあった場合、政府は、不正ログインを行った者を探す義務を負う。
  • 国民は、いつでも自分のデータを削除する権利を持つ。
  • 個人情報を閲覧する場合、1回の閲覧につき1,000円を公金受取口座に振り込む。


しかし、このようなことを決めても、国民は政府を信用しないでしょう。

政府は、常に国民に不信感を抱かれているからです。デジタル化だけでなく、あらゆる制度設計において、それを自覚する者だけが国会議員になる必要があるでしょう。