インターネット、ことにSNSの登場で、個人が不特定多数の人々に情報を発信するのが容易になりました。それ以前の世界では、政府やある程度の資本力を持った組織にしか、不特定多数の人々に情報を届けることができなかったわけですから、インターネットやSNSは、人類社会を大きく変えた道具といえます。
個人の情報発信は尊重されるべきものですが、個人の情報発信が活発になることで、まちがった情報が、これまでにないほど多量に流布される時代となっています。意図的にまちがった情報を流す人もいるため、現代では情報の真偽を確かめる能力が以前よりも求められています。では、情報の真偽を確かめる能力は、どのようにして養えば良いのでしょうか。
専門知が視界を狭める
21世紀に入る頃から、日本では、専門能力の習得がこれからの時代には重要なことだと言われ始めました。これこそが、現代人をネット空間で飛び交うフェイクニュースに騙されやすい体質にしたのではないでしょうか。
得意分野に注力し、不得意分野には見切りをつける。それが、ナンバーワンやオンリーワンとなり新たな価値を生み出すのだとの風潮が、異分野に対する興味を失わせ、幅広い知識の習得を無意味なことだと一蹴する個人を増加させる一因になった可能性があります。
このような風潮に一石を投じるのが日本大学文理学部編『知のスクランブルー文理的思考の挑戦』です。本書は、以下の3部構成となっており、日本大学文理学部が幅広い教養を身につけた人材を輩出することに力を入れていることがうかがえます。
- 言葉と文化-人文学の思考
- 交差と共有-社会科学の思考
- 世界を動かす力-理学の思考
現代社会は多様化しており、また、日本にも海外から多くの人がやってくるようになっています。異文化の人々との交流が活発になった社会では、特定の分野にだけ精通していれば良いというわけにはいかなくなっています。ところが、21世紀に入ってから専門知の足し算的思考が幅を利かせるようになり、人々の価値観が多様化する社会と逆行しています。ネット上で、揉め事が多発するのは当たり前でしょう。
価値観が多様化する社会では、ひとつの専門について基礎的な知識を積み、それを展開させる能力が求められます。専門外のことは何もわからないという状況を作らないことが、お互いの価値観を認め合う下地を形成するのです。特定の専門知識の習得だけでは視界が狭くなってしまい異分野の情報の真偽も確かめられなくなります。
評価する力
物事の評価は、他との比較によって行われます。同じ事柄でも、時代が違えば評価が変わるのは、他との比較が行われているからです。
科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学のSTEM科目は、世の中に新たな価値を生み出すために必要な知識の習得につながります。だから、STEM科目を学ぶことは大切なのですが、同時に物事を理解し評価する能力を身につける人文科学も軽視してはいけません。ナチスによるアウシュヴィッツ強制収容所での大量虐殺は、工場生産のように遂行されました。これは、近代文明の最先端で「理性的」に行われたから恐ろしいのです。多くの人が、物事を理解し評価する能力を持つ社会であれば防げた事件だったかもしれません。
当たり前は、比較対象が自分の周囲に限定されている状況で起こる感覚です。日本社会が国際化する中では、この当たり前の感覚に疑問を持つことも必要となります。時には、長年培われてきた価値観を捨てなければならないこともあるでしょう。
答えはすぐに見つからない
情報技術の進歩により、答えをすぐに見つけられるようになりました。しかし、その答えが事実かはわかりません。
価値観が多様化する人間社会では、答えが一つとは限らなくなっています。いろんな考え方を持つ人で構成された社会は複雑です。複雑だからこそ、答えを手っ取り早く見つけたくなり、AIに質問して、すぐに解決しようとする気持ちはわかります。近年、統計的に出された結論が真実だと考える人が増えているように思いますが、これも、簡単に答えを知りたいという欲求からくるものでしょう。
複雑化する社会で、多くの人が、手っ取り早く答えにたどり着こうとするとどうなったか。それは、不寛容な社会の形成です。個々の事情をくみ取ろうとする思考力が衰え、単純な言葉でレッテルを貼ろうとする人ばかりになっています。物事は白か黒、0か1でしか判断できなくなった社会は、自由な思考を失わせます。
本書では、教育についても述べられており、世の中は、シロウト教育論が席巻しているとのこと。誰にでも効果的な教育法があるはずだとの思い込みを持つ学生がいるようですが、ある子どもにうまくいった教育的な働きかけの仕方が、別の子どもではかえって有害な結果を生み出すこともあり、これさえやればすべて解決といった単純なものではありません。社会の価値観が多様化する以前に人間も多様なのです。
スペシャリストを目指すことは良いことです。誰もできないことをすることで、社会に新たな価値を生み出せるのですから。でも、細分化された専門知を積み上げてばかりいると、視野が狭くなり、多様な価値観を受け入れられなくなります。自分がどんなに良いと思ったモノを作っても社会に受け入れられなければ、地球の片隅に埋もれてしまうだけです。
自分の仕事を認められたいなら、異分野に興味を持つことが大切です。価値観が多様化する社会では、スペシャリストにだって、ゼネラリストのような幅広い知識が求められているのです。