話が嚙み合わない経験をしたことは誰にでもあると思います。
自分が言葉の意味をまちがって覚えていたり、相手が別の言葉と勘違いしていると、話が噛み合わなくなりますが、それだけが理由ではありません。例えば、テレビやネットで議論が行われている場合にお互いの主張がすれ違っている場合があります。この場合は、そもそも何が問題になっているのか、お互いがその問題を共有できていないことに原因があります。
なぜ、問題を共有できないのか。それは、問いの立て方という根本的なことをできていないからでしょう。
チュートリアル
社会学、現代日本社会論を専門とする苅谷剛彦さんとフリーで記事の翻訳、執筆を中心に活動する石澤麻子さんの共著『教え学ぶ技術』は、問いの立て方について、オックスフォード大学で行われているチュートリアルの具体例を用いながら解説されています。
チュートリアルは、週1回、学生1人を相手に教員1人がついて行われる個別指導です。学生の人数は2人か3人の場合もあります。毎週、小論文を書くための問い(エッセイ・クエスチョン)と、それに解答するために読むべき10冊ほどの課題文献のリストが渡され、それらを読んだ上で小論文(エッセイ)を執筆します。そして、学生たちが提出したエッセイをもとに、教員との間で質疑応答や議論が行われ、これが1学期8週間続き、「批判的な思考」が育っていきます。
本書では、苅谷さんが先生、石澤さんが学生となって、チュートリアルが展開されており、読者はその具体的手法をイメージしやすくなっています。
思考は一直線上に展開されない
苅谷さんは、議論が噛み合わなかったり、極端な意見や主張がぶつかり合ったりするのは、同じテーマを論じているように見えて、それぞれが答えようとしている問いにすれ違いがあることが原因の一つだと語っています。
本書では、前半で「日本の教育は社会の平等・不平等にどのような貢献をしたのか」というエッセイ・クエスチョンについて、チュートリアルの具体的内容が紹介されています。このエッセイ・クエスチョンに対して議論してくださいと言っても、人によって問いの立て方に違いが出るので、議論が噛み合わなくなります。
このような大きな問いに答えるためには、最初にその大きな問題自体の意味を理解することが必要とのこと。SNSで誰かがつぶやいた内容について議論に発展する場合、そのつぶやきの意味を理解することに時間が割かれていないため、議論が噛み合わないのでしょう。
チュートリアルでは、エッセイを読んだ先生が、学生に質問をします。そして、学生がそれに答えていくことで、ぼんやりとしていた視界が、徐々にくっきりと見えるようになっていきます。
最初、議論の前提をある程度抽象的に捉え、大きな問いにたいして答えていく。そして、議論が進むにしたがって、具体的な証拠や事実を使いながら、論理としてつなげていく。
でも、ものを考える時は、一直線上の時間軸に沿った考え方が展開しているのではなく、行ったり来たりを繰り返しながら思考しています。より深く考えようとすると、戻ることが必要となり、抽象的な内容から具体的な内容に展開した後でも、再び抽象的な内容に戻ることで論理がつながっていきます。
このような思考法を確立するのは、一人では難しいでしょう。自分の発言内容に誰かが質問して、はじめて思考が飛躍していたり、矛盾していたりといったことに気づくのだと思います。日本の試験では、質問に対して答えることが主流ですから、思考が論理的に展開されているかどうかを自己分析する能力が身につきにくいのではないでしょうか。
禁止語禁止のすすめ
専門用語はとても便利で、簡単に表現できないことでも、専門用語を使えば容易に相手に内容を伝えることができます。
しかし、専門用語を使いすぎることで、思考が停止することがあります。専門用語を使うと、途端にわかったような気になりますが、実際にはあまり理解していないということもあります。本書では、「グローバル化」が例に挙げられています。「グローバル化」と言った時点で理解できているように思えますが、「グローバル化」という言葉を使わずにグローバル化がどういったものなのかを説明するのは難しかったりします。
「グローバル化」のような難しい概念を禁止語と見立てて、それを使わずに表現することを「禁止語禁止のすすめ」というそうです。禁止語を使わないことで、その言葉と同じ概念を別の方法で表現しなければならなくなります。これにより、違う概念やキーワードを使う必要がでてき、バリエーションを作ることで俯瞰できるようになるそうです。
ただし、チュートリアルのような読む訓練をしていないと、俯瞰する方法をやっても薄っぺらくなり、有効ではないようです。また、優れた論文や本とそうでない論文や本を読み比べることも、考える力を育てるために重要とのこと。
チュートリアルは、対面でリアルタイムに行われ、口頭でやりとりされるので、面と向かって議論する技術が重視されるように思われます。しかし、石澤さんは、チュートリアルで重視され、鍛えられるのは、「読む」「書く」「考える」ことだと述べています。
書くことも考えることもAIに任せられる時代となってきていますが、そもそもAIに問いを投げることができなければ、求めていた答えにたどり着けません。優れた問いを立てるためには、「読む」「書く」「考える」技術を磨く必要があり、AI時代にこそ、これらの技術が必要となります。
人類が抱える課題を解決するためには、人が問いを立てる以外にないでしょう。