ウェブ1丁目図書館

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アクティブ・ラーニングに期待されるのは利害調整能力の育成

学び方のもっとも一般的な形は、学校に通うことです。

小学校や中学校に通い、先生が前に立って黒板やホワイトボードに板書しながら児童や生徒が勉強するのが典型例です。最近は、インターネットの進歩もあり、タブレットやパソコンの画面を見ながらリモートで授業を受けられるようにもなっていますが、先生が児童や生徒に教えるといった形は同じです。

このような学び方には、近年、批判的な意見が見られ、アクティブ・ラーニングの重要性が説かれることが多くなっています。

知識注入型授業の利点と欠点

アクティブ・ラーニングは、英語を聞き流すだけでしゃべれるようになるあれではありません。教育実践研究やドラマ教育を専門とする渡部淳さんの著書『アクティブ・ラーニングとは何か』では、アクティブ・ラーニングは、プレゼンテーションやディスカッションのようなさまざまなアクティビティ(学習技法)を介して、学習者が能動的に学びに取り組んでいくことと定義されています。

本書は、従来型の知識注入型授業から、アクティブ・ラーニングに変えていくことが、これからの教育には必要であることが述べられており、アクティブ・ラーニングの実践例も紹介されています。アクティブ・ラーニングは、子どもたちだけでなく大人も身につけておく必要がありそうです。

学校で、これまで行われてきた知識注入型授業は、効率的に多くの人に知識を身につけさせることができます。先生が、大人数の前で授業をするので、精選された系統的な知識を限られた時間でたくさんの生徒に一斉に伝えることが可能です。これこそが、知識注入型授業の最大の利点です。一方で、先生が、熱心に教え込むほど、生徒は与えられた知識の咀嚼に追われ受動的な姿勢になってしまう欠点も持っています。

アクティブ・ラーニングは、知識注入型授業の欠点である生徒の受動的な態度を能動的に学びに取り組む姿勢に変えることが期待されます。

ディベートの利点

アクティブ・ラーニングの例として挙げられるものにディベート(討論)があります。

ディベートでは、リサーチ能力の育成、論理的能力の育成、言葉による表現能力の育成、演劇的表現力の育成が、学校現場で特に重要な意義を持ちます。

討論を行う前に基本的な内容を調べなければなりません。そして、調べた情報は論理的にまとめられ、言葉によって表現される必要があります。また、議題について賛成か反対かどちらかの立場で討論をすることは、他者の気持ちを理解する能力を養えます。内心では賛成でも、反対の立場から議論しなければならない場合、自分と異なる意見を持つ人が、なぜそのように考えているのかを洞察できるようになります。SNS上で嚙み合っていない議論が見られるのは、リサーチ能力、論理的能力、言葉による表現能力、演劇的表現力が養われていない者同士で討論が行われているからでしょう。

ディベートの経験がない場合、「意見」と「意見を発する人の人格」を分けて考えるのも難しくします。自分に反対の意見に対して、人格を否定されたと考えてしまうと合理的結論を求めるための意見のすり合わせが困難となります。発言内容の合理性や論理性ではなく、誰がその意見を言ったかが重視されると実りある議論ができなくなります。

「意見」と「意見を発する人の人格」を分けて考えられないのは日本の討論文化に見られる特徴ではあるものの、「誰がその意見を言ったか」を重視するのは日本に限ったことではないでしょう。検索エンジンのグーグルは、情報の論理性や合理性より情報発信者が誰かを重視していますから、他国でも同じようなものと思います。権威を鵜呑みにせず、どのような情報にも懐疑心を持つ態度を身につけるのは難しいことなのかもしれません。

リモートでは難しい

アクティブ・ラーニングの目的は、学習者がの動的に学ぶ姿勢を身につけることにあります。知識はもちろん豊かな学びの経験をもち、学びの作法をも身につけた学習者を自立的学習者というそうです。

自立的学習者になるためには、リモートでの学習では難しいでしょう。リモートが得意とするのは、知識注入型授業です。もちろん、自主的に学習用の動画を見ることはできますが、それで身につくのは知識であり、言葉による表現能力や演劇的表現力は、社会参加の経験がなければ養われません。

これからAIがますます進歩していくと、知識を身につけることの価値が低下していきます。それよりも重要となってくるのは対面型のコミュニケーションであり、アクティブ・ラーニングの経験は社会参加の経験にもつながっていきます。

渡部さんは、学びの場としての学校に残される最後の機能は、人と人がおこなう直接的コミュニケーションであり、そこで展開される互恵的な学びが、自立的学習者=自律的市民の育成だと考えています。

社会が複雑になり、たくさんの利害が絡み合う現代で、多くの人が納得する結論を導くのは容易ではありません。だから、いろいろと揉め事が起こっているのでしょう。これからの教育現場で求められるのは、様々な利害を調整できる能力を持った人を育てることであり、それは、アクティブ・ラーニングを通した自律的市民の育成によって達成できるのではないでしょうか。