現代の日本に産まれれば、ほとんどの場合、読み書きの技術を習得できます。
でも、読みやすい文章やおもしろくて最後まで一気に読んでしまう文章を書ける人は少数派です。一昔前と異なり、パソコンやスマホを持つ人が大多数の現代では、以前より文章を書く機会が増えており、文章力も上がっているはず。それなのにおもしろい文章に出会うことは少ないです。
作家レベルの文章を要求するのではありません。簡潔に内容が読み手に伝わる文章で良いのですが。
おもしろい文章の書き方を習っていない
語学教師の黒田龍之助さんの著書『大学生からの文章表現』は、退屈な文章から抜け出す方法を解説しています。解説といっても難しい内容ではありません。「大学生からの」となっていますが、中学生でも、すらすら読めますし、大人が読んでも参考になります。むしろ、大人にこそ読んでもらいたい書籍です。
語学教師が文章の書き方を指南するのに違和感を覚えるかもしれません。でも、黒田さんは、「文章を書いて、考えをきちんとまとめられない人に、外国語がうまくなるチャンスはない」と言い放っており、語学を学ぶ下地として、退屈な文章から抜け出しておく必要性を説いています。
そもそも、おもしろい文章を書く授業を受けた人はほとんどいません。だから、退屈な文章しか書けないのは仕方ないのです。習ったのは、テストで良い点を取るための無難な文章だけ。ネット上に退屈な文章が氾濫していても仕方ありません。
文章は、自由に書けば良いのですが、とりあえず、原稿用紙に文章を書く場合は、段落の冒頭の1マスは必ず空けること、読点や句点が次の行の最初のマスに来るときには、前の行のマスに文字と一緒に書くというルールだけは知っておきましょう。このブログは、段落の冒頭の1マスを空けていないのでルール違反ですが。
3つの原則を守る
黒田さんは、文章を書くのが苦手な人が、練習のために守る3原則を紹介しています。
- 「思う」を使わない
- 「わたしは」で文を始めない
- (笑)はなるべく避ける
たったこれだけを守れば、退屈な文章から抜け出せます。「思う」なんて、何度も何度も使ってしまいます。「思う」を多用すると自信のない文章になります。確信が持てないとか、自分の意見だからとか、「思う」を使いたくなる気持ちはわかります。しかし、「思う」を一切使わなくても意味は通じます。断定的な文章になるのが気になるなら「だろう」とか、あいまいさを含む表現を使ってみましょう。
「わたしは」で書き出すと稚拙な感じになると黒田さんは指摘しています。「僕は」でも同じです。また、「君」「彼」「彼女」など、他の人称を示す語も使わない方が読みやすくなります。「個人的には」も同じです。でも、絶対ではなく、文章を読み返した際に「わたしは」を入れた方が良いと判断したら入れて構わないとのこと。一人称で書いているのに「わたしは」とか「個人的には」を入れるのは、表現がくどくなるだけ。読み手は、「わたしは」がなくても、「誰が」を理解できます。
(笑)や(泣)は、メールやSNSで使われがちですが、できるだけ避けましょう。その気持ちを文で表現するのです。思わず笑ってしまった、涙がこぼれた、それら感情をただ(笑)や(泣)で終わらせて良いのか。こんなに笑ったことは今までないのに(笑)で終わらせるのはもったいないでしょう。語彙を探しに探し、選びに選んで、読み手に伝えたいではないか。
最初は、3つの原則を守るだけでも、これまでと違った文章を書けるはずです。どれも簡単なことですから試してみましょう。
オンリーワンでもおもしろくない
オンリーワンとか個性とか、他者と違う文章を書こうと思うほど、つまらなくなることはよくあります。オリジナリティを追求しようとするあまり、オンリーワンだけど他と似たり寄ったりな気がする文章ができあがってしまいます。自分はオンリーワンだと思っていても、傍から見れば、どこにでもある文章にしか映りません。
黒田さんは「人間は誰もがオリジナリティーにあふれるわけではないと考えるところからはじめてはどうか」と提案しています。大勢の人を見て、それぞれの違いを見分けるのは難しくないですか。それは誰もが感じることです。だったら、自分もそんなに他の人と変わらないという認識からスタートした方が、個性的な文章を書けるかもしれません。
また、文章は長くなるほど個性が失わていくのではないでしょうか。長文を読んでいると、途中で退屈になってきます。退屈な感情を何度も経験していると、また同じ文章だなと読み手が錯覚します。この既視感が、個性のない文章だと感じさせるのかもしれません。それなら、文章は無駄に長くならないように工夫すべきです。不要な語句は、ばっさばっさと切っていく。短文でも伝えたいことが書いてあるのなら、それで良し。
書くことは話すことにつながる
本書の最後の方で、「書くという行為は、話すことの前段階と考えられるのではないか」と述べられています。
会話の最中に言葉が出てこなくなる経験をしたことがあると思います。単なる物忘れではなく、今のこの感情をどう伝えたら良いのか、言葉を探し出せないといった状況です。このような経験は、書くことで減らしていけます。文章を書くとき、頭の中で、いろいろと言葉を探す作業が行われます。脳内にない言葉は、辞書を使って探し出すこともできます。しかし、普段の会話中に辞書を携帯していなければ、このような作業はできません。辞書があっても、いちいち言葉を調べていたら会話のテンポが悪くなり、つまらないものになります。
また、話が長いと相手を退屈にさせます。短くまとめた言葉の方がおもしろく感じますし、記憶にも残ります。それなのに文章を書くと、個性を出すためといって長文にする人がいます。
人と話をするように書く。それも、退屈な文章から抜け出す工夫です。なかなか難しいですが。