ウェブ1丁目図書館

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経済や政治に大きな影響を与えてきた帳簿

貨幣は、人類の進歩に大きく貢献してきました。

取引は、物々交換の時代よりも、モノと貨幣の交換が行われるようになって手間を省けました。また、貨幣は、モノの価値を測る尺度としても使え、異なるモノの価値の比較を可能にしました。さらに貨幣は蓄えることもできるので、蓄財が容易となりました。

貨幣経済の発展は、帳簿の発展、すなわち会計学の発展にも大きく貢献しました。金の動きを記録する帳簿は、貨幣経済の発展と共に進化を遂げ、複式簿記の開発につながります。

しかし、帳簿の発展はゆっくりとしたもので、数百年間変化がありませんでした。ところが、世の中に鉄道が登場したことで、帳簿は瞬く間に進化を遂げていきます。

鉄道が財務会計を複雑化させた

19世紀から20世紀初頭にかけての鉄鋼の時代は、「悪徳資本家、貧困、金融危機、植民地での大量虐殺、多数の犠牲者を伴う戦争によって特徴づけられる」と語るのは、南カリフォルニア大学教授で歴史学会計学を専門とするジェイコブ・ソールさんです。

産業革命は、生活水準を向上させ、輸送手段である鉄道の発展にも貢献したのですが、ジェイコブ・ソールさんは著書の「帳簿の世界史」で、鉄道は財務会計を急速に複雑化させたとも述べています。

想像すればわかると思いますが、鉄道は、長い長い線路を敷き、沿線には駅を配置し、貨物や人を輸送するための列車を作らなければならないので、莫大な資本を必要とします。19世紀にアメリカに大陸横断鉄道を開通させるため、ニューヨーク市場には鉄道会社38社、資本金総額3億5千万ドルが上場されました。

鉄道のような大規模プロジェクトについては、投資家が、事業の成果の報告を鉄道会社に求めるようになります。また、潜在投資家を呼び込むためにも、財務資料の整備と開示を鉄道会社は迫られるようになります。

このような市場からの要求に対して、鉄道会社は、会計業務の効率化が必要になります。賃金や貨物の管理は、線路の区間ごとに会計チームを編成して帳簿を本社に送るようにし、運賃の計算方法も1人キロ当たりのコストを勘案し、管理費、債務の利払いなどを加味して適正運賃を算出するようにもしました。

特に重要となったのが減価償却でした。

減価償却は、複数年に渡って使用する固定資産の取得原価を各年度に配分する費用処理の方法です。例えば、車両を1,000万円で取得し、10年間使う予定であれば、毎年の減価償却費は100万円となり、10年間で減価償却費の総額は取得原価と同額の1,000万円になります。

もしも、線路や車両のような固定資産の取得原価を取得時に全額費用計上すると、耐用期間に渡って当該固定資産を使用しているにもかかわらず費用が計上されないので、株主や一般投資家は、真のコストを知ることができず、ひいては真の利益を把握することもできなくなります。

だからこそ、鉄道会社のように固定資産を大量に保有する企業では、減価償却が期間損益計算に重要な影響を与えるようになったのです。

粉飾決算の横行と公認会計士の誕生

鉄道は、当時の社会を劇的に変化させました。これまで、何日もかかっていた移動が、わずか1日で往復できるようになったのですから。

鉄道の発展は、さらに投資家に莫大な利益ももたらしました。そして、圧倒的な力を持つ資本家は、企業の会計報告にも政府の財政運営にも好ましくない影響を与えるようになります。

当時のアメリカでは、政府は鉄道会社の監督を行っていない。このため鉄道会社の中には、財務資料が不透明どころか公表しないところも出てきた。そうなると政府は課税すらできなくなってしまう。鉄道に限らないが、当時の経営者は不透明な財務報告を行って株価を操作した。そのうえ投資家には、鉄道会社の経営や収益構造がよくわかっていなかった。(中略)鉄道会社はいわば野放し状態だったうえ、グールド、ドリュー、フィスクといった連中は、ニューヨークやカリフォルニアの議員が用地買収で不当な利益を上げたり、インサイダー取引ができるように計らったりして、鉄道の独占体制を強化した。
(306ページ)

巨額資本を調達する鉄道経営では、会計不正の余地も影響も大きいことから、政府も規制強化を行います。

そこで、登場したのが公認会計士でした。

企業の帳簿を監査し証明する公認会計士は、職業倫理を備え、社会的信頼を確保しなければなりません。そのためには、大規模資本に屈することのないよう、公認会計士がプロフェッショナルとして権威を持つこと、組織的に監査業務を遂行することが必要となります。

しかし、粉飾決算が横行し、法令遵守の精神も根付いていないアメリカ市場は無法地帯と化し、公認会計士にとって厄介なものでした。

この頃、金融アナリストのジョン・ムーディーは、政府公債から一般企業の株式の情報まで幅広く情報を提供するサービスを開始します。彼は、今日の格付け機関ムーディーズ」の生みの親で、「鉄道会社の財務分析の分析方法」を発表し、これが鉄道事業のスタンダードな評価方法となりました。

ムーディーは、鉄道事業のように長期にわたって固定資産を事業に供する企業について、固定資産の費用化とその適正価値を評価する減価償却を適切に行うことが重要だと指摘しました。そして、19世紀末には、減価償却は会計理論でも重要な要素として位置づけられるようになったのです。

精神的独立性と外観的独立性

公認会計士のアーサー・E・アンダーセンは、「誠実に考え、誠実に行動すること」というシンプルな原則に基づいて、会計の理想を実現しようと試み、アーサー・アンダーセンという会計事務所を設立しました。

公認会計士は、独立の立場から企業の財務諸表を監査しなければなりません。ここで独立性とは、いかなる圧力にも屈しない公正不偏の態度を保持する精神的独立性だけでなく、外観的にも被監査会社や利害関係者から中立であることを意味する外観的独立性も含まれます。

精神的独立性が保持されていれば、被監査会社が粉飾決算をしても、公認会計士は不適正意見を表明することができます。例え、外観的独立性が保持されていなくても。

しかし、被監査会社から賄賂をもらっている公認会計士が、どんなに精神的独立性を保ち監査を行ったと主張しても世間は信用しません。賄賂をもらってるのなら、被監査会社に有利な監査報告をしたに違いないと思うからです。そうなると、公認会計士の監査は社会に受け入れられなくなります。

だから、公認会計士には、精神的独立性だけでなく、経済的にも被監査会社から独立していること、すなわち外観的独立性の保持が要求されるのです。


20世紀後半になると、大規模化した会計事務所は、監査業務から得た財務的ノウハウをもとにコンサルティング業務を行い始めました。同じ会社の監査を行うと同時にコンサルティングサービスも提供するようになった会計事務所は、次第に外観的独立性を疑われるようになります。やがて、コンサルティング報酬は監査報酬を上回り、公認会計士の精神的独立性も揺らぎ始めました。

2000年代初頭に起こったエンロン事件は、まさに公認会計士の外観的独立性が害された結果、精神的独立性も保持できなくなった典型例です。

エンロンは大規模な不正取引を行い、債務を隠していましたが、その事実が明るみになり倒産しました。そして、エンロンの監査を行っていたアーサー・アンダーセンも解散に追い込まれます。

エンロンの一件で皮肉なのは、アーサー・アンダーセンが行った監査の一部は十分にまもとだったことである。優秀な中堅クラスの監査担当者は、二〇〇一年に、エンロンの疑わしい取引と不正経理を明白な証拠とともに上司に告発した。ところが年間一億ドルのコンサルティング・フィーを失うことを恐れた幹部は、この告発を無視したのである。
(353ページ)

どんなに精神的に独立であっても、経済的独立性(外観的独立性)が害されれば不正監査につながってしまうのです。設立から1世紀が経過しようかという頃、「誠実に考え、誠実に行動すること」という原則は、アーサー・アンダーセンから失われていたのでしょう。


帳簿の歴史は、隠ぺいと粉飾の歴史であったとも言えます。

フランス革命の発端となったのは、宮廷に予算の大部分が流れていたことが明るみになったことであり、その事実を公にしたのが帳簿でした。

なんともドラマチックな話ですが、王様の財布の中身を見ることは命がけだったことを忘れてはいけません。財布の中に入っている札束に見える物が、実は数えきれないほどの借用書だった場合、それを世間に公表することが、どれだけ恐ろしいことか想像すれば容易にわかるでしょう。

監査は、社会に大きな影響を与える組織から優先に行われます。現在の公認会計士監査が大企業に限定されているのも、それが理由です。

監査の目的からすると、最も監査が必要なのは大企業ではなく国です。ところが、国の監査を実施することは、とても難しいことです。

その理由をここで述べる必要はないでしょう。

帳簿の世界史 (文春文庫 S 22-1)

帳簿の世界史 (文春文庫 S 22-1)