ウェブ1丁目図書館

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決断サイクルの短縮化は物事を単純化する

人類は、ますますスピードを追い求めています。

江戸時代なら、東京から大阪まで移動するのに何日もかかっていましたが、現代では、3時間ほどで移動が可能となっています。速いスピードは、確実に人類の生活を便利なものとしてくれています。これからも、スピードの追求が我々の生活を豊かにしてくれるでしょう。

スピードの追求は効率化の追求とも言い換えることができます。それは、物理的なスピードだけでなく、決断のスピードも要求するものです。果たして、決断までスピード重視になることが、社会を豊かにするのでしょうか。

決断サイクルの短縮化

評論家の長山靖生さんは、著書の『若者はなぜ「決めつける」のか』で、個人から政府まで、決断のサイクルが短くなっていることを危惧していると述べています。

早く決断することは、その時、手元にある資料だけで先を見通すことになります。決断に必要な資料がすべて揃っているのなら、早期に決断する方が好ましいでしょう。しかし、何かの決断を迫られた時、それに必要な資料をすべて用意できていることなんて、ほとんどありません。

それにもかかわらず、早期に決断をした結果、不都合なことが起こった場合、「想定外」という言葉が口から出てきます。どんなに熟考しても、想定とは違う結果になることはよくありますが、決断サイクルの短縮化により、想定外の結果に直面する機会はより増加しているように思えます。

決断サイクルの短縮化は、「決めつける」風潮を増大させるでしょう。そして、若者は、その決めつけにより苦しむことになります。若者を苦しめる決めつけには、2種類あります。ひとつは世間からの決めつけ、もうひとつは自分自身の決めつけです。「最近の若い者は努力が足りない」というのは世間からの決めつけであり、「がんばっても何も変わらない」と考えるのは若者自身による決めつけです。

決断サイクルを短くするには、問題を単純化することです。AかBか、YESかNOか、二者択一にすれば、決断までの時間は大幅に短縮されます。しかし、人間社会は、様々な利害が絡み合いながら成り立っているので、何かひとつのことをすれば、うまくいくなんてことは滅多にありません。あらゆる問題を単純化すること、それが、「決めつけ」につながっていくのでしょう。

どちらを選んでも損する

問題を二者択一になるまで単純化することは、非常に危ういことです。

特か損かの二者択一なら良いものの、どちらを選んでも損する二者択一は、選択した者を不幸にするだけです。そんなことは誰もがわかっていることです。しかし、現実には、このような二者択一を迫られる場面がいくらでもあるのです。効率化が追及される社会では、結果よりも決断が優先され、今ある不十分な情報だけで決断を迫られます。

もう少し待てば、第三の選択肢が現れるかもしれません。ところが、スピード重視の社会では、第三の選択肢の出現を待つことは、決断できない無能な人間との評価につながっていきます。だから、どちらを選んでも損するクジをひかされ、本当に損してしまうのです。そして、口から出るのは「想定外」の言葉です。

就職も決断を迫られた結果

多くの人が、高校や大学を卒業すると同時に就職します。

就職先を決めるのは、日本の場合、在学中であり、高校や大学を卒業した後ではありません。日本では、新卒一括採用を行う企業ばかりなので、在学中に就職先を決められなければ、正社員として働くのが難しくなります。

現在の日本の就職のあり方は、若者に早期の決断をさせるものとなっています。とにかく在学中に就職先を見つけなければ、正社員として働けないとの強迫観念から、就職先は、ブラック企業か、またはブラック企業かという二者択一ならぬ一択に追い込まれることもあります。

大卒の内定率が60%という時代には、ブラック企業だから就職しないなんて言ってられません。例え、ブラック企業でも内定をもらえばそこに就職するのが当たり前。そんな目に見えない鎖に縛られた状態で決断させられるのですから、これはもう、自分の意思ではなく、クジ引きで就職先を決めたのと同じです。

ブラック企業を就職先に決めたのは自分だから仕方ない、「これは自己責任」なんだと言い聞かせるのは違っています。自己責任とは、決断に必要なすべての情報が提供されている状況で行動した結果、損した場合には自分の責任だというものです。情報が不足する中、決断を迫られて不本意な結果になった場合、それは自己責任ではありません。

この誤解された自己責任論は、大卒内定率が低かった時代に就職できなかった人たちにも押し付けられる傾向にあります。パイが十分に用意されていない状況では、必ず、あぶれる人がでてきます。そういう人に「就職できなかったのはあなたの努力不足だ」と言うのは、酷な話です。


スピードを重視することで、人類の生活が豊かになったのは事実でしょう。

しかし、決断サイクルの短縮化によって、より多くの人が幸せになったとは言えません。不十分な情報しかない中で決断を迫れた人が不利益を被ったのは、自己責任でしょうか。限られたパイの奪い合いに負けた人は努力不足だったのでしょうか。