人間は、脳が発達した動物です。
他の動物が本能的に行動しているのに対して、人間は考えながら行動できるので、より合理的な判断を下しながら日々活動しているように思えます。
でも、それは錯覚かもしれません。人間の日々の活動も、実は物事を深く考えた後に行動したものではないのです。
人の不幸に幸福を感じるのは当たり前の感情
テレビなどのメディアによく出演されている薬学博士の池谷裕二さんの著書『脳には妙なクセがある』を読むと、人間は、脳が発達しているとは言っても、それほど高度な思考をしながら生活していないことがわかります。
例えば、不安という感情。
高校入試に失敗したらどうしよう。
就職試験に落ちたらどうしよう。
会社の業績が悪化してリストラされたらどうしよう。
このような気持ちになった時、前帯状皮質や扁桃体といった脳部位が強く活動するのですが、これらの部位は劣等感を感じた時にも強く活動するとのこと。つまり、不安を感じることも、劣等感を感じることも、脳は同じように捉えているのです。両者は違う感情のように思えますが、脳は区別できていないのでしょう。
興味深いのは、前帯状皮質の活動が強い人ほど、他人の不幸を喜ぶということ。快感を生み出す脳部位は側坐核であり、報酬系と呼ばれます。前帯状皮質の活動が強い人は、他人の不幸に対して、側坐核の活動が強くなるそうです。
芸能人がスキャンダルで転落していくのを見て喜ぶのは、実は、人間として自然な感情なんですね。自分と比較して、成功している人、見た目が良い人が、不幸になるほど幸福を感じるのです。まさに劣等感の裏返し。
人の不幸を蜜の味と感じるのは、脳がそのような仕組みになっているのだから仕方ありません。劣等感を克服するためのバネとして上手に付き合っていくしかなさそうです。
行動の理由なんてどれも後付け
現代日本は、自由が認められています。だから、誰もが、自分の意思で行動することができます。もちろん、法律で禁止されていることはできませんが。
ランチにハンバーグを食べるかラーメンを食べるかを選択する権利は本人にあります。他人にとやかく言われる理由はありません。だから、今日のランチはラーメンを食べるのだと決定し、実際にラーメンを食べるのは本人の自由です。
ところで、「あなたは、なぜランチにラーメンを食べたのですか」と問われた時にどう答えるでしょうか。人それぞれ理由は異なるでしょうが、店選びからメニュー選びまで、それなりに考えてラーメンに決めたと答えるでしょう。
しかし、本人は自由に選択した気でいても、行動の80%以上は、おきまりの習慣に従っているだけだというのですから驚きです。あなたが、いろいろと理由をつけてラーメンを食べたと思うでしょうが、それは、おそらく単なる習慣で食べただけです。あなたでさえ自覚できない行動のクセが、あなたをラーメン屋に走らせただけなのです。
自由意志とは本人の錯覚に過ぎず、実際の行動の大部分は環境や刺激によって、あるいは普段の習慣によって決まっている(264ページ)
ということのようです。
すなわち、人間の行動なんて、過去の経験が習慣になっただけに過ぎず、毎度毎度、思考しながら行動しているわけでないのです。ワクチンを打つという選択も打たないという選択も、自由意思によるものではなく、ただ習慣に支配されて下した結論に過ぎません。
なぜ、そのように行動したのかを問われて出した答えは、後付けでしかないんですね。
よい経験がよい癖につながる
池谷さんは、「無意識の自分こそが真の姿」だと述べています。
選択の場面で、どのように行動するかは、潜在意識のなかですでに決まっています。それは、ただの反射でしかありません。
しかし、人は、自分の行動の意味を無意識のうちに偽造する癖があります。その行動に理由などないのに。
とは言え、すべての行動が意味なくなされているということではありません。自動車が走ってきたら、歩くのをやめて横断歩道を渡らないようにするのは無意識のうちに下した決断ですが、それは意味のある決断です。もしも、横断歩道を渡っていたら、自動車にひかれていたかもしれません。
自動的に正しい反射が起こるのは、「本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存」していると池谷さんは語っています。そして、「『よく生きる』ことは『よい経験をする』ことだ」とも。そのよい経験が、よい癖になるのです。
こう考えると、よい人生を送ることは、様々な体験をすることで、よい癖を身につけることと言えそうです。中には、悪い体験が悪い癖につながることもあるでしょう。
でも、人間の行動の80%以上が習慣によるものなら、できるだけ多くの経験をすることで、たくさんの行動パターンが生まれ、無意識のうちに良い選択ができるようになるのではないでしょうか。