歴史書というのですから、そこには事実か事実と考えられる内容が書かれているはずです。しかし、古事記の最初の方は、神代の時代のことが書かれているので、この部分は事実とは異なっているはずです。さすがに古事記に収録されている須佐之男命(すさのおのみこと)が八俣の大蛇を退治したという話は伝説でしょう。
高天原から出雲へ
スサノオは、イザナギとイザナミの二神から生まれた3人の神の末っ子です。ちなみに1番目に生まれた神は天照大神、2番目に生まれた神は月読命(つきよみのみこと)です。
古事記を原文で読むのは骨が折れる作業です。なので、古事記は現代語訳されている書籍で読むと良いでしょう。さらに子供でも読めるものなら、大正8年に発表された鈴木三重吉の歴史童話「古事記物語」がおすすめです。
さて、イザナギとイザナミから生まれたスサノオですが、これが荒くれ者でして、姉のアマテラスが治める天界の高天原(たかまのはら/たかまがはら)にやってきて乱暴狼藉に及びます。最初は、スサノオの行動をとがめなかったアマテラスでしたが、スサノオがあまりに乱暴な振る舞いを繰り返すので、天の岩戸の中に隠れてしまいます。
そして、高天原も下界も長い闇の世界に入ってしまいました。
後にアマテラスが高天原の神々によって天の岩戸から出され、再び明るい世界が戻ってきましたが、スサノオはまだ暴れ、大気都比売命(おおけつひめのみこと)を切り殺します。このオオケツヒメの死骸が、日本中の穀物の種になったのでした。
やがて、乱暴の限りを尽くしたスサノオは、下界の出雲の国へ降りていきます。
ヤマタノオロチ退治
出雲の国で、スサノオは、アシナズチとテナズチという夫婦に出会います。夫婦には、8人の娘がいましたが、ヤマタノオロチに食べられ、残っている娘はクシナダヒメだけになっていました。そのクシナダヒメも、ヤマタノオロチに食べられる時が迫っています。
夫婦から話を聞いたスサノオは、自分はアマテラスの弟だと告げクシナダヒメを嫁にもらうと言いだし、夫婦もこれに承諾しました。
そして、ヤマタノオロチ退治の準備にかかります。
「おまえたちは、これからこめをかんで、よい酒をどっさり作れ。それから、ここへぐるりとかきをこしらえて、そのかきへ、八ところに門をあけよ。そしてその門のうちへ、一つずつさじきをこしらえて、そのさじきの上に、大おけを一つずつおいて、その中へ、二人でこしらえたよい酒を一ぱい入れて待っておれ」とお言いつけになりました。
(28ページ)
準備を整えたスサノオは、ヤマタノオロチがやって来るのを待ち構えます。
すると、ヤマタノオロチが大きな真っ赤な目をギラギラさせて、ゆっくりと出てきました。
ヤマタノオロチは、8つの頭を酒おけの中に入れて、酒をがぶがぶと飲み始めます。やがて、酒に酔ったヤマタノオロチは、ぐうぐうと寝入ってしまいました。
スサノオは、そっと寝息をうかがい、今がチャンスとばかりに十拳(とつか)の剣をさっと抜き、ヤマタノオロチを切り刻んで、あっけなく退治しました。この時、ヤマタノオロチの尾の中から、刃の鋭い立派な剣が出てきたので、後にアマテラスに献上しました。
ヤマタノオロチ退治に成功したスサノオは、クシナダヒメとともに出雲の国に御殿を建てて住むことにします。2人の間には子供ができ、さらに孫ができ、8代目の孫にはオオクニヌシが現れて、豊芦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)を統治するのでした。
オオクニヌシの国譲り
高天原にいたアマテラスは、下界の豊芦原水穂国を見て、あそこは自分たちの子孫が治める国なのに悪強い神たちが荒れ廻っているからおとなしくさせなければならないと言いだします。
そこで、数人の神を下界に遣わしたのですが、誰も帰ってきませんでした。
アマテラスは、さらに腕っ節の強いタケミカズチを下界に派遣します。タケミカズチはオオクニヌシに国を譲れと要求。しかし、オオクニヌシは自分だけでは決めれないので、我が子のコトシロヌシに話をして欲しいと言います。これを聞いたタケミカズチは、コトシロヌシに会って国を譲ることの承諾を得ました。
ところが、オオクニヌシは、他にもタケミナカタという子供がいるので、そっちからも話を伺ってほしいと言いだします。タケミナカタはケンカ腰にタケミカズチと話をします。しかし、タケミカズチの剛腕に恐れおののいたタケミナカタは、信濃の国へと逃げ、ここから一歩も外に出ないので命ばかりは助けてくださいと哀願しました。
出雲に戻ってきたタケミカズチは、顛末をオオクニヌシに話します。すると、オオクニヌシは口を譲ることを約束し、その場で死んでしまいました。
戦前は神話も歴史として教えられた
スサノオのヤマタノオロチ退治やオオクニヌシの国譲りは神話なのですが、戦前は歴史として子供たちに教えられていました。
現代日本人なら、これはフィクションだ、あるいは何らかの事実を脚色して作った物語だとわかります。戦前の子供たちもフィクションだと心の中では思っていたのかもしれません。しかし、このような教育が続けられているうちに神話を歴史だと思い込むこともあるでしょう。
事実をありのままに見ることは簡単そうで実は難しいことです。
社会が子供に教える事柄が、その子供の価値観を作り出します。そして、物事を見る時は、その価値観という色眼鏡を通して見ることになるので、どうしても事実をありのまま見れなくなることがあります。日本では当たり前の価値観が、他国では非常識ということはよくありますが、これも社会が作り出した価値観を通して事実を見ようとするから起こるズレなのかもしれませんね。
- 作者:鈴木 三重吉
- 発売日: 2003/01/23
- メディア: 文庫