ウェブ1丁目図書館

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京都市よりも古都らしさを感じられる宇治市

1994年に「古都京都の文化財」が世界遺産に登録されました。千年以上にわたり日本の首都として栄えた日本文化の中心地であったことが、世界遺産登録の理由です。

この時に登録された文化財の多くは京都市内にあるのですが、平等院宇治上神社だけは宇治市にあります。京都は洛中と呼ばれていましたが、現在の京都市全部が洛中だったのではありません。京都市内でも、中心部の狭い区域だけが洛中と呼ばれ、そこを外れると洛外とされていました。

宇治市は、洛外も洛外、京都市の南隣にあります。しかしながら、宇治市は、京都市よりも古都の雰囲気を今によく伝えています。

宇治茶の生業と文化

小林丈広さん、高木博志さん、三枝暁子さんの共著「京都の歴史を歩く」では、「京都の歴史は、それぞれの時代で変容し、今日の観光言説や京都イメージも近代につくられた部分が多い」と述べられています。

京都文化は、朝廷や貴族によって作られた面もありますが、民衆によって支えられてきたものも多いです。しかし、今日の京都は、特権階級が作り出した文化にばかり焦点が当てられており、それに違和感を持った御三方が、京都の「道」と「場」にこだわって著したのが本書です。京都市を紹介している個所では、差別、飢饉、災害なども多く取り上げられ、雅な貴族文化だけが京都ではないことがよくわかります。

多くの人が京都に対して持つ雅なイメージは、京都市よりもむしろ宇治市に残っています。

宇治市は、2009年に「宇治の文化的景観」が、文化財保護法重要文化的景観に指定されています。

宇治の文化的景観は、「宇治川の流れを骨格として、その両岸に古来より人々が住み、心の救を求めて平安貴族が社寺を造営し、特色ある宇治茶に関する生業と文化を育ててきた」ことが、その保護する理由として語られる(『宇治の文化的景観 保存計画書』)。すなわち平等院鳳凰堂に象徴される平安貴族の国風文化と、宇治茶の生業と文化が、宇治の文化的景観の二大要素となっている。
(285~286ページ)

宇治市が現在のようなイメージを持つようになったのは、20世紀以降です。それまでは、「都の南東で『憂し』ところ」であったのが、平安後期の国風文化を象徴して王朝文化の華やかさへと、その景観の意味が変わって行きました。また、世界遺産と文化的景観の2つの指定により、洛外の宇治市が最も京都らしさを残す日本文化を代表する「意味の景観」となります。

そして、王朝文化を代表する建造物が、10円玉に描かれている鳳凰堂で有名な平等院と言えるでしょう。

交通の発達により観光が盛んになる

現在、鉄道で宇治市に行くには、JRか京阪電車に乗車することになります。

JR宇治駅は、1895年に京都の岡崎で開催される第4回内国勧業博覧会に間に合わせる計画で、京都と奈良を結ぶ路線の駅として作られました。一方の京阪宇治駅は、1913年に京阪本線中書島駅から20分で宇治に行ける宇治線の開通に合わせて作られています。

このような交通の発達が、宇治市の観光を盛んにし、現在も国内外から多くの旅行者がJRか京阪電車に乗車して宇治観光に向かいます。

宇治を歩いてみる

実際に宇治に行ってみると、ここが平安貴族のリゾート地であったことがよくわかります。

宇治に行くならJRよりも京阪電車がおすすめです。京阪宇治駅を出て平等院に向かうには、宇治橋を渡る必要があります。この宇治橋の中央から宇治川の流れの激しさを見ると、泳いで対岸に行くのは無理だと思うはずです。

ところが、平安時代末期には、宇治川を騎馬で渡った軍勢がいたのですから驚きです。源義経木曽義仲と戦った宇治川の戦いで、義経軍の佐々木高綱梶原景季が先陣争いを演じたのが、この宇治川なのです。

軍記絵巻の合戦を思い浮かべながら宇治橋を渡ると、そこから平等院へと続く参道が現れます。この参道には、お茶のお店が多く建ち並んでおり、宇治の文化的景観の二大要素のひとつである宇治茶を飲むこともできます。平等院拝観の後に立ち寄ると良いでしょう。

平等院に入ったら、鳳凰堂の正面に立ち、財布から10円玉を取り出して同じ形をしていることを確かめたいですね。

平等院の次は、源氏物語の宇治十帖の史跡めぐりをするのもおすすめ。10ヶ所すべてを見て廻るだけでも、宇治の景観を楽しめます。また、途中には平等院とともに世界遺産に登録された宇治上神社もあるので、こちらにも参拝しておくと良いでしょう。


京都市内にだけ、観光客がイメージする京都文化があるのではありません。

現在、洛中と呼ばれていた地域は繁華街となっています。いや、昔も洛中は民衆によって文化が培われた来たのであり、特権階級の人々が作り出した文化は洛外に多く残っています。宇治市もまた、平安貴族によって築かれた文化が多く残っており、それが洛中よりも、古都らしさを感じさせてくれるのでしょう。