ウェブ1丁目図書館

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科学的であるためには予測力を持つ体系が必要

物事の正当性を確かめる時、しばしば、科学的に正しいかどうかで判断されます。

「科学的」と言われると、その主張は正しいように思えます。しかし、発言者が「科学的」とはどういうことかを知って発言していなければ、その主張が正しいのかどうか怪しくなります。

科学の定義

筑波大学システム情報系准教授の掛谷英紀さんの著書『学者の暴走』は、学者の無責任な発言が社会に負の影響を与えていることを一般向けに紹介した書籍です。

本書には、科学の定義が解説されている箇所があり、「科学的」とはどういうことなのかを知ることができます。

カール・ポパーは、科学における命題は反証可能であること、すなわち、実験や観察によって仮説が正しいか否かが検証されることが必要であり、これを科学と定義しました。この定義に従えば、仮説を立てても検証されなければ科学ではないことになります。

しかし、掛谷さんは、カール・ポパーの科学の定義は、必要条件ではあるものの十分条件ではないと述べています。

科学として正しいことの十分条件を与える定義として、掛谷さんは、大辞林第三版の「理論」を引用しています。理論は、「科学研究において、個々の現象や事実を統一的に説明し、予測する力をもつ体系的知識」となります。

この「予測する力」が、科学には必要となります。例えば、東京から北に向かって、自動車で時速60kgで走ればどこまで行けるか予測可能です。

予測できることは理論的に正しいからであり、それが科学的に正しいかどうかを判断する材料になります。

条件が同じなら結果も同じになる

ガリレオニュートンなどは、徹底した観察と実験を繰り返すことで天文学や物理学に成功をもたらしました。

観察によって得られた膨大な結果から、さらに統一的に説明する理論が模索され、我々現代人が知る万有引力の法則などが誕生します。

現代人は、万有引力の法則を当たり前に受け入れていますが、科学的な理論の背後には、「まったく同一の条件のもとでは、同じ現象が再現されるという仮定」があります。この仮定があるからこそ、予測力を持つ体系的知識という概念が成り立つのです。

「科学的」という言葉に絶対の信頼を寄せるのは、何度も観察や実験を行った結果を統一的に記述し、同じ条件なら同じ結果が得られること、現象のもととなる法則に数理的連続性があることが確かめられたからです。これが、自然科学が予測力を持つ体系的知識として成功した理由だと、掛谷さんは主張します。

容易に確かめられない状況ではウソが科学らしさを持つことがある

科学は、予測力を持ちます。

だから、自然科学の分野で様々なことが解明されていけば、予測できる未来が増えていきます。

しかし、ある分野について、科学での解明が未成熟な状況だと、その知識は予測力を持ちません。ここに科学らしさを装ったウソが出現する可能性があります。特に気候変動のような地球規模の現象になると、温暖化の原因は何かについて、多くのウソが含まれてきます。

地球のような大規模システムを対象とした科学においては、結果が得られるまで長い年月を要します。だから、間違ったことを言っても、責任をとらない学者が現れ、その中には、自分の利益のために意図的に誤った予測をする者が出てきても不思議ではないと、掛谷さんは指摘します。

学者がウソを言う時、そこには、イデオロギー、金銭、同調圧力といった動機があるとのこと。これらの動機は、真理を探究するという科学者の目的を忘れさせ、価値中立的な態度を危うくします。社会的地位が高い学者が、科学を絡めながら政治的発言をすると、人々はそれを信じやすくなります。だから、学者は、その地位を利用して、自らの利益を大きくできる可能性を有しています。

業界内での倫理教育が重要になる

新型コロナウイルスが、中国の武漢で見つかり、そこから世界中に広がり、多大な損害が発生しました。

自然に発生したウイルスは仕方がないですが、新型コロナウイルスの場合、武漢の研究所から漏れた可能性を否定できません。

生命科学の世界では、機能獲得研究が行われています。わかりやすいのは、生物兵器の開発です。この機能獲得研究は、生命科学者たちから厳しい声が上がったため、米国では、2014年より禁止されています。一方、武漢では、米国とフランスの金銭的支援によりBSL-4のウイルス研究所が誕生し、機能獲得研究を続けたい欧米のウイルス学者たちが彼の地に向かったとのこと。

このような経緯から、一部の科学者の間で、新型コロナウイルス武漢の研究所から漏れたのだと指摘されたわけです。新型コロナウイルス武漢の研究所から漏れたとするには状況証拠しかありませんが、自然発生したことを裏付ける証拠も見つかっていません。

過去にも、機能獲得研究の過程で、スヴェルドロフスク炭疽菌が漏れる事故が起こっていることを考えると、新型コロナウイルス武漢の研究所から漏れたとしても不思議ではありません。

専門職集団では、倫理規則や自主規制を設け、社会に不利益な活動をすることを防止するのが当たり前です。機能獲得研究が今も行われている生命科学の世界では、学者の倫理に関する教育や制度が、他の業界団体よりも充実していないのかもしれません。

真理の探究という科学の目的を忘れた学者が、生命科学の世界に存在し続けると、再び新型コロナウイルスのような騒動が起こることでしょう。