ウェブ1丁目図書館

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他人に借りがあることは強力なセーフティネットになる

現代日本人の暮らしは、継続的に仕事と収入を得て成り立っています。一方で、日雇いの仕事をしている人もいますが、そのような働き方は、その日暮らしで不安定なものであり、好ましくないもののように思うところがあります。

でも、仕事と収入が継続する環境にいることは、実はリスクの高い生き方をしているのかもしれません。仕事と収入の継続が途絶えた時、今の暮らしが急変する人は少なくないはずです。

16億人に仕事を提供するインフォーマル経

文化人類学を専門とする小川さやかさんの著書『「その日暮らし」の人類学』では、タンザニアを中心にその日暮らし(Living for Today)をしている人々の実態が紹介されています。

その日暮らしと聞くと、明日生きているかどうかもわからない悲壮感漂うもののように思ってしまいますが、タンザニアの人々の暮らしは、すぐに破綻してしまうようなものではないようです。もちろん、日本ほど豊かではありませんが、その日暮らしが当たり前になっている社会では、明日餓死するかもしれないといった不安はなさそうです。

一国の経済力は、政府の統計によって知ることができますが、世界中には、そういった統計に載らない「インフォーマル経済」や「地下経済」が存在しています。そのようなインフォーマル経済は、世界中で16億人の仕事を提供し、18兆ドルもの経済規模にあるというのですから無視できるものではありません。

日本では公務員やサラリーマンとして働くことが一般的ですが、タンザニアでは、そういった働き方はごく少数で、66%がインフォーマルセクターの仕事に従事しており、残り34%には農業や家事労働に従事する人々が含まれているそうです。

ジェネラリスト的な生き方

日本人の労働観は、長く同じ職場で働き専門能力を磨くことを良しとしますが、タンザニアでは、ジェネラリスト的な働き方をし収入源は複数ある方がリスクが少ないと考えられています。

そのため、短期間で転職を何度も繰り返す人が多いのが特徴的です。定職に就くのが難しいという面もあるでしょうが、フットワーク軽く儲かりそうな仕事をしていく方が収入を得やすいといった考え方が、タンザニアでは根付いているので、このような働き方になるようです。

ジェネラリスト的な働き方は、「経験」と「ネットワーク/社会関係」を得ることができます。日本だと、退職すると、仕事で培ってきた人脈を失うことが多いですが、タンザニアでは、ジェネラリスト的な働き方で複数の仕事をすることで、人脈がより強固になっていきます。

日本だとクビになると身動きが取れなくなりますが、ジェネラリスト的な働き方をするタンザニアでは、行商の経験をしてきているので、商品をすべて盗まれても、翌日から歩き始めることができるのだとか。なんともたくましい精神力です。

偽物を売買することの意義

タンザニアでは、市場に偽物が並んでいるのも当たり前です。

日本では、偽物を販売することは悪いことだとされていますが、インフォーマル経済圏では、偽物の売買は必ずしも悪いことだとは考えられていないようです。

タンザニアでは、本物の日本製品は品質が良く、何年も使うことができるので、偽物よりも価値があることを誰もが認めます。しかし、値段が非常に高く簡単に手に入れることができません。それなら、品質が悪く、すぐに使えなくなっても、自分が望む用途を備えている偽物が安価で売られていれば、それを買う方が良いと考えます。

彼らにとっては、偽物を買っているのではなく、本物よりも品質が劣る商品を安くで買っているということになるようです。もちろん、偽物だとはわかっているのですが、ブランド品を買えない貧しい人が、安い偽物を買うことは当然だと考えているようです。もしも、偽物がなくなると、テレビや扇風機といった生活必需品を手に入れられず、いつまでも電気を使えない生活を強要されます。

この話を聞くと、特許権や商標権を保護する必要性を感じるものの、その権利を強力に保護する必要性があるのかと考えさせられます。

また、偽物の中にも、本物と騙すために作った偽物と明らかに偽物だとわかる偽物とでは、評価が変わるようです。前者は、本物だと思って高いお金を出したのに偽物だったのですから、経済的な打撃を受けます。でも、後者だと、偽物とわかっていて安くで買っているので、値段相応の買い物をしたことになり経済的打撃を受けません。

同じ偽物を売るのでも、貧しい人々を騙して金儲けをするのは許されない行為ですが、貧しい人々が買える価格で偽物を提供することは当たり前のようです。

借りを作る経済

インフォーマル経済圏で暮らす人々は、ある時お金が必要になっても、貯金がないので用意できません。そんな時は、友人や知人から借金をするのが当たり前とのこと。

そして、他の人が困っている時には、お金を貸して助けるのも当たり前になっているそうです。

そのため、何人もの人に貸し借りがあるのですが、具体的にいくらの貸し借りがあるのかを把握しておらず、単に借りがあるということだけを記憶しているようです。誰かに借りがある人が、その人から借金を頼まれた時に持ち合わせがなかった場合には、他の人からお金を借りて渡すこともあります。

日本では、たくさんの人から借金をするのはお金にルーズだとされますが、タンザニアでは事情が違います。困った時に助けてくれる仲間がたくさんいる人がいい友達だと評価されています。多くの借りがあるということは、それだけ多くの仲間から助けられているということです。それは、他人が困っている時には、多くの人脈を使って助けてくれる頼りがいのある存在だということにもなります。

時には、お金を借りっぱなしの人もいるそうですが、それは、日本のオレオレ詐欺と同じ悪事だとはされません。知人にお金を貸している場合は、たまたま今はお金を返せないだけかもしれませんし、いつか何らかの形で取り返しがつく可能性があります。しかし、見ず知らずの他人からお金を騙し取るオレオレ詐欺は、お金を返すつもりはないので、不道徳なことだと非難されるそうです。

借りを作ることを負い目に感じる日本人は多いですが、タンザニアでは、誰もが借りを持っているので負い目に感じることはありません。むしろ、借りの文化は、「その日暮らし」でも生活を破綻させないセーフティネットになっており、国の社会保障に頼る日本人よりも暮らしが安定していると言えそうです。


本書を読むと、先進国の人々が権利を主張しすぎることで、途上国が経済成長する機会を奪っているのではないかと感じます。特許権著作権は、権利者が払ったお金を回収するために必要です。でも、権利の使用に高額の経済的負担を強いると、途上国の人々はその対価を払えず、いつまでも貧しいままです。

また、先進国が物価高競争をすると、途上国はこれまでよりも高い対価を出さないと工業製品を手に入れられなくなります。そういった状況が、偽物の流通を手助けしているのでのでしょう。

果たして先進国に途上国での偽物の流通を非難する権利があるのでしょうか。