ウェブ1丁目図書館

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戦争がもたらすパンデミック

ペスト、マラリアチフスコレラ天然痘、インフルエンザ、エイズ

これらの伝染病は、人類を悩まし、時に世界史に大きな影響を与えてきました。ひとたび流行すると、一度に数万人単位で死亡するのですから、社会に劇的な変化を強いるのは当然です。ひとつの民族が絶滅寸前に追い込まれるほどの猛威を振るう病原体もあり、通常では考えられない速度で人口減少をもたらすことだってありました。

それでも、人類は、その時その時で何らかの対策をとり、絶滅することなく今日にいたっています。

人の大移動で起こるパンデミック

感染症の世界的な大流行をパンデミックといいます。2019年の終わりころから流行し始めた新型コロナウイルスで、パンデミックという言葉が有名になり、今では知らない人の方が少ないのではないでしょうか。

人類に多大な影響を与えるパンデミックは、いつの時代でも人の大移動で起こっています。

神経内科学を専門とする小長谷正明さんの著書『世界史を変えたパンデミック』では、冒頭で述べた伝染病の発生とそれらによって世界がどう動いたのかが、端的にまとめられています。ざっくりと伝染病の歴史を知るのに最適な1冊です。

黒死病と呼ばれ恐れられてきたペストは、13世紀にモンゴル軍によってユーラシア大陸の広い地域に流行がもたらされました。14世紀前半のヨーロッパでは、ペストの到来で4、5年の間に人口の4分の1から3分の1が死亡したと言われています。死亡者数は2,500万人から4,000万人というのですから、恐怖の感染症です。

ペストは、その後も14世紀中葉にエジプトの人口の3分の1が死亡するなど、19世紀末まで人類を苦しめてきました。しかし、1984年にエルサンと北里柴三郎ペスト菌を発見し、その2年後に緒方正規がノミによる媒介を発見したことから、予防できるようになりました。

また、紀元前323年にアレクサンドロス大王が感染して死亡したとされるマラリアも、長きにわたって人類を苦しめてきました。日本でも、平清盛マラリアにかかり高熱を出して死亡したといわれています。マラリアも、ペストと同じように戦争による人の移動で大流行しました。第2次大戦中に連合軍が殺虫剤を使ってマラリアをコントロールして感染する人が減りましたが、現在でもマラリアに感染する人がいます。

コレラ天然痘が江戸時代を終わらせた

島国の日本は、世界と比較すると伝染病による被害は、それほど大きなものではありませんでした。

しかし、江戸時代末期にアメリカから黒船が来航したことで、日本も世界の国々と同じように伝染病に悩まされることになります。

1853年にペリーがミシシッピ号に乗って浦賀に来航しました。これにより、日本は開国へと向かっていきます。ミシシッピ号は、1858年にも、上海から長崎を経由し、下田に再び現れました。この時、ミシシッピ号は、コレラを長崎に持ち込み、一気に流行し始めます。

ミシシッピ号が長崎に入港したのは、旧暦5月21日。そこから、8月中旬までの3ヶ月間に人口6万人の長崎で1,583人が発症し、767人が死亡しました。現在の日本の人口1億2千万人で計算すると、たった3ヶ月で、150万人以上が死亡したくらいの影響を与えたことになります。

コレラは、長崎にとどまらず、その後、大坂や江戸でも流行し、大きな被害を出しました。

いったん収束したコレラは、1862年にも流行し、数万人が死亡したと伝えられています。日本人は、すでに外国人によってコレラが持ち込まれたことを知っており、それが外国人を排斥する運動を盛んにしていきました。尊王攘夷運動です。この尊王攘夷運動は、政治的な視点で語られることが多いですが、伝染病をもたらした外国人に対する庶民の嫌悪が爆発したものだったのでしょう。

一方、幕末の政界に大きな影響を与えたのが天然痘でした。幕府と協力し、国難を乗り切ろうと考えていた孝明天皇天然痘にかかり崩御すると、一気に倒幕への動きが加速し、日本は明治を迎えました。

コレラ天然痘の2つの伝染病が明治維新を実現したと言っても過言ではないでしょう。

戦争が近代化しても伝染病はなくならなかった

医学が未熟で、衛生状態も悪かった近世以前に伝染病が流行したのは理解できますが、近代以降も感染症の流行により、多くの命が失われています。約100年前に流行したスペイン風邪は、世界中で流行し、犠牲者も非常に多かった伝染病です。

スペイン風邪は、H1N1と呼ばれるインフルエンザのウイルスが原因で起こる感染症です。その症状は、現在のインフルエンザと同じように風邪と似ていました。

スペイン風邪は、1918年5月にロンドンのロイターがスペインで軽い症状の伝染病が発生したことが報じられたことから名づけられました。スペインから流行したように思えますが、その発端は、アメリカからヨーロッパに援軍が送られたことにあります。

第1次大戦中、ドイツと交戦していた米英仏の連合軍にアメリカから援軍が送られたのですが、その援軍の中にスペイン風邪にかかっていた兵士がいて、ヨーロッパ戦線に飛び火したのです。

39隻の輸送船に12万9千人の陸軍兵士が乗ったところ、1万2千人が罹患し、洋上で700人が死亡、到着後の死亡者と併せると2千人がスペイン風邪で死亡したそうです。感染力が強いスペイン風邪は、日本にも上陸し、当時の人口5,600万人のうち2,380万人が罹患し、38万人が死亡しました。もともと三日風邪と呼ばれていたスペイン風邪でしたが、後に悪性化し、これだけ多くの犠牲者を出すにいたったのです。

スペイン風邪は、2009年に大騒ぎとなった新型インフルエンザと同じH1N1でした。新型インフルエンザは世界中で2億人以上が罹り、15万人以上が死亡したとされています。日本でも、約2,000万人が患者として受診しましたが、死亡者は200人と世界的に見れば被害はとても小さなものでした。


人類の歴史の中で起こったパンデミックは、戦争が引き金となることがよくありました。不衛生な戦場では、多くの兵士が感染します。そして、戦場に近い街にも病原体が入り込み、次々に感染が広がっていきます。貧しい地域であれば、もともと衛生面に課題を抱えているでしょうから、病原体の侵入は地域全体の崩壊にもつながりかねません。

医学の発展は伝染病の予防に貢献しました。しかし、それよりも、戦争を起こさないことが最大の防疫になるのではないでしょうか。そして、貧しい国々が豊かになることもパンデミックを防ぐために必要なことです。