ウェブ1丁目図書館

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戦後の好景気は設備投資がけん引した

消費が拡大すると景気が良くなる。

よく言われることです。これは、反対に言うと景気が悪い原因は消費が少ないからだとなります。この考え方から、昨今の景気対策では、いかに消費を増やすかに焦点を当てることが多いですね。

でも、本当に消費拡大が好景気につながるのでしょうか?

神武景気の背景には民間設備投資ブームがあった

戦後の日本経済は、朝鮮戦争の特需、神武景気岩戸景気いざなぎ景気などによって回復していきました。戦後経済の変遷については、経済安定本部、経済審議庁、経済企業庁内国調査課長、同経済研究所長、同審議官を歴任した内野達郎さんの著書「戦後日本経済史」で詳しく解説されています。

国民の消費が伸びている状態を好景気と言いますが、消費が景気をけん引していると考えることには疑問があります。同書の昭和30年代前半の神武景気を解説している部分を読むと、国民の消費ではなく設備投資が好景気をもたらしたことがわかります。

神武景気の正体は、何といっても民間設備投資ブームであった。それに景気のさきゆき強気感と、スエズ動乱にともなう思惑による在庫投資増大が加わることによって、景気上昇の波がいっそう増幅された。(中略)民間設備投資が長期的に上昇トレンドをもつと同時に、短期循環的なうねりを大きく画いていることも明らかであった。先述したように華々しく展開した近代化投資も、その額は設備投資全体からするとせいぜい三~四割程度の比率であったろう。それ以外に、設備稼働率があがり利潤が増大するなかで、景気上昇に誘発されて設備投資が総じて加速的に膨張した。
(136~137ページ)

神武景気は有史いらいの好景気という意味で、そう呼ばれたのですが、それを物語っているのが各所で起こったボトルネックです。

あまりに企業の設備投資が活発だったため、物資の輸送量に鉄道も道路も着いていけない状態となります。また、電力と鉄鋼も不足する事態となり、社会資本の立ち遅れが顕在化しました。

この近代化の波は、国民生活様式にも影響を与えます。

近代化の波は、すでに企業の設備投資だけではなく、国民の消費生活の面にも広がった。そして三〇年代の前半には「消費革命」というキャッチ・フレーズまで誕生した。技術革新の流れは、単に生産様式を変える原動力だったばかりでなく、国民生活様式をもダイナミックに変えていった。
(145ページ)

この文章を読むと、企業の設備投資が先で国民の消費が後だとわかるでしょう。

岩戸景気を押し上げたのも設備投資

昭和35年の夏ごろから神武景気を上回る好景気が訪れました。この景気は、神武景気以上ということで、天の岩戸伝説に名を借り岩戸景気と呼ばれます。

岩戸景気を一層盛り上げた要因には、所得倍増計画の発表、輸入自由化政策の促進に感応した近代化投資の高揚、東京オリンピック決定にともなう大量工事需要期待の高まりがありました。また、この頃から実質個人消費が大きく伸びます。昭和34年度から37年度にかけて、実質個人消費は年に約9%も増大しました。大型好況下の生産性上昇、労働力需要の変化を背景とした所得の上昇加速が消費拡大の大きな要因となったのです。

しかし、岩戸景気も、消費の拡大が景気に良い影響を与えたと言うより、神武景気と同じく民間設備投資が大きな影響を与えていました。

大衆消費の基調は総じて強かったが、岩戸景気をおしあげたものはすば抜けて設備投資であった。四半期ベースの民間企業設備投資は、三四年一~三月から三六年一〇~一二月にかけて、実に約二・五倍もの急増となった。おなじ期間の国民総支出に対する民間企業設備投資比率は、一四・八パーセントから二一・二パーセントときわだった高まりを示した。この岩戸景気のピーク時における設備投資比率は、神武景気の時のそれを四ポイントも上回る、戦後市場での最高値を記録した。
(173ページ)

岩戸景気前後の近代化投資には、新しい立地を求めた新しい工場建設、輸入自由化促進、企業集団間の投資競争とシェア争い、中小企業における近代化投資の進行、新しいタイプの企業の勃興などがありました。好景気をけん引していたのは、消費者ではなく企業の設備投資だったのです。

人口増加が景気に与える影響

消費の拡大の他に人口増加も景気を良くするために大切だと言われます。しかし、この理屈も戦後のわが国の経済史を見ていくと疑問に思います。

戦後の第1次ベビー・ブーム世代が大人になる頃、深刻な雇用問題が発生しました。

戦後のベビー・ブームで急増した人口が就業戦線にでてくることからも、昭和三〇年代前半における雇用問題は深刻視され、年に新規雇用八〇万人の職場を見出しつつ、しかも前進的に二重構造を縮小するために、できるだけ高い経済成長の実現が望ましく、そうでないと否応なしに戦前型の二重構造が定着していくだろうとみられた。
(124ページ)

少子化対策で人口を増やしても、子供たちが就業年齢に達した時に働き口がなければなりません。神武景気岩戸景気のような大型の好景気が起これば人口増加分の仕事を確保しやすいでしょう。しかし、産業が成熟化している現代では人口増加は失業率を高める危険があります。

また、昭和30年頃の二重構造とは、簡単にいうとお金持ちと貧乏な人との格差なのですが、当時は人口増加に見合う職場を確保できないと格差が定着することが懸念されていたのです。現代でも格差が問題となっていますが、果たして人口増加が格差の解消に結びつくのでしょうか。


戦後の日本経済を見ていくと、企業の設備投資が景気を良くしていったことがわかります。そして、景気が良くなるにしたがって大衆消費も増大してきました。当時の国民総生産(GNP)と消費の拡大をグラフにすればきれいに相関するでしょう。しかし、それを見て、消費の拡大が景気を良くしたと考えるのは短絡的です。

「景気回復のために消費しろ」と言われても、無い袖は振れないのです。