資本主義は、経済を加速的に発展させてきました。
特に株式会社制度は、個人から少額の資金を集め大きな資本とすることで大規模な事業を行え、個人が信用力だけで銀行からお金を借りて事業を始めるよりも、成功へのスピードも成功した時の見返りも圧倒的に大きなものとなります。
このような株式会社を代表とする資本主義の仕組みは、西洋で発達し、世界に広がっていきました。しかし、西洋で生まれた資本主義が、日本ではそのまま定着したわけではありません。
資本主義に影響を与える宗教観
株式会社が大規模化できるのは、零細資本を集積して大きな資本とし、事業を展開できるからです。
この零細資本を集積するというのが、株式会社制度の特徴であり、アメリカでは、情報をできるだけ公開することで支援を受けようという考え方が根付いています。一方、日本では、情報を広く公開するという経験が乏しく、身近な人と情報を共有してきた文化があります。そのため、資金を集める時は、関係依存的に融資を受けてきた歴史があります。
つまり、アメリカでは、株式を発行して市場で不特定多数の投資家から資金を集める直接金融が盛んなのに対して、日本では、一部の銀行に企業情報を提供して融資を受ける間接金融が盛んに行われてきたのです。
経済学博士の寺西重郎さんの著書「日本型資本主義」によれば、資本主義は宗教とのかかわりで発展してきたとのこと。そして、宗教由来の行動様式が宗教が力を失った世界でも、資本主義制度自体の運動法則が社会に埋め込まれた結果、宗教由来の行動が強制されていると述べています。
おおざっぱに言うと、西洋ではキリスト教、日本では仏教を古来から信仰しており、キリスト教と仏教の違いが、西洋と日本の資本主義を異なるものとしてきました。
西洋では、万物の創造主であり至高の力を持つ絶対神が救済にかかわるあらゆる力を持っていると考えられていました。そして、神に選ばれた者とそうでない者があらかじめ定められているとする予定説が、救いを求めての競争の意識を人々に駆り立てました。
一方、日本の仏教では、救いは信者の悟りによって達成される個人主体的な自己努力の結果だと考えられていました。特に大乗仏教では、すべての人が成仏する資格を持っていることが強調されます。
このような西洋と日本の宗教観の違いが、資本主義の発展に大きく影響を与えたと、寺西さんは考えています。
道を究める日本人
仏教での悟りを開くは、道を究めることとも考えられます。
たとえ出家しなくても、日々の仕事を長年続けることでその道に精通すれば、それは悟りに近い境地と言えそうです。江戸時代の商人たちの勤勉さや職業別の道徳規制の背景には、大乗仏教の廻向の思想があり、人々は悟りの獲得を基本的な動機づけとし、道徳律に従って生きていたと考えられます。
これが、職業行動における献身的で求道的な努力の普及につながり、江戸時代の経済発展に貢献したのでしょう。
仏教的な宗教観を前提にすると、分業は行われにくいと考えられます。例えば、自動車を生産することを考えると、道を究めることは、自動車を自分の力で最後まで造れる技術を習得することと言えます。タイヤだけを造れるようになる、ハンドルだけを造れるようになるというのでは、自動車生産の道を究めたことになりません。
だから、日本の江戸時代には、西洋的な産業革命は起こりませんでした。大量生産は分業を前提として成り立つものであり、それは、仏教的な宗教観とは異なります。そして、このことが、日本では公共の福祉という観念が育たなかった原因とも考えられます。
また、仏教的な宗教観では、労働力と労働者の人格は一体であり、労働力は人格から切り離して売買できないと解釈されます。
これに対して、キリスト教的な宗教観では、人は「神の手」となって神の栄光に寄与することが求められるため、労働者の人格とは切り離された禁欲的な労働行動が意味を持つと解釈されます。それゆえ、神の被造物である人間が、労働力を企業に提供して、人としての生存を図るという行動が当然のこととされます。
戦後日本の資本主義
仏教的な宗教観が支配する日本の資本主義では、明治になって士農工商が廃止されてからも、個人事業主や小規模事業者が多く、西洋のように大企業主体で産業が発達していく状況ではありませんでした。
全行程を一人でこなすような労働が非効率であることは現代では当たり前となっていますが、西洋の資本主義が輸入されたばかりの時期には、なかなか働き方を変えることができなかったのでしょう。
小規模事業者を中心とした日本の資本主義社会は戦前まで続きました。
しかし、戦後の焼け野原から復興するためには、道を究めるなどと悠長なことは言ってられません。西洋的な資本主義を取り入れて、大量生産しなければ復興に時間がかかってしまいます。
ただ、日本企業は、何もかも西洋的な資本主義を取りいれたわけではありません。
終身雇用、年功序列型賃金、企業内労働組合は、日本的経営の三種の神器と呼ばれており、文字通り、日本企業に特有のものでした。
道を究めるという仏教的な宗教観では、一つのことを長く続けることが重要となってくるので、終身雇用は日本人の宗教観に合いやすかったでしょう。そして、長く同じ仕事をしていると、その仕事に精通してくるので、年功序列型賃金も理にかなっています。また、職業別労働組合ではなく、企業内労働組合が発達したのも、労働者は神の手となって働くことではなく、職業的求道によって人間の労働が人的資本の形成を伴うとの観念が強かったからなのかもしれません。
キリスト教的な宗教観から発達した西洋の資本主義でしたが、日本では、仏教的な宗教観によって違った形の資本主義が形成されました。
さらに東アジアの経済発展により、儒教的な宗教観を背景とした資本主義も誕生しています。
同じ資本主義と言っても、その背景には、各国の宗教観が大きく影響を与えています。すべて同質の資本主義と扱うのではなく、違いを認め合うことが、さらなる世界経済の発展につながるのではないでしょうか。