読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

バブル経済時代に織田信長ブームを巻き起こした歴史小説

時代小説

バブル経済花盛りの1980年代後半。

この頃から、織田信長ブームが起こり始めました。織田信長がブームになったのは、その時代の社会背景が彼の生き方とぴったり合っていたのでしょうが、その火付け役となったのが、津本陽さんの歴史小説「下天は夢か」です。

織田信長は、新時代の創造主という印象が強いですね。1980年代後半は、モノ作りから金融などの頭脳労働を重視する社会へと変わりつつあったので、新時代への移行という点で、織田信長が脚光を浴びたのかもしれません。

情報重視の戦略

織田信長が、それまでの武将と違っていたのは、戦前の情報収集を重視したことでしょう。

桶狭間の戦いの勝利後、織田信長が最も多くの褒賞を与えたのは、情報収集に功績があった者だというのは有名な話です。「下天は夢か」の中でも、敵将今川義元が、どこにいて、どのような顔をしているのかを知っているものを重用する場面が描かれています。

織田軍は、わずかな兵で奇襲をかけて今川義元を討ち取るわけですが、それができたのは、今川義元の顔を知っていたから。もしも、顔も知らずに攻撃を仕掛けたとしたら、義元に逃げられていたかもしれません。

この時代、主君に仕える目的は、自分にエサを与えてくれるかどうかにありました。だから、主君が討ち死にしたところで、雑兵たちは、戦場から逃げ去るので、とにかく今川義元の首を上げることだけを考えて作戦をたてればよかったんですね。

そのため、敵将の居場所と顔を知っている者を織田信長は、高く評価したのです。


情報戦を重視したという点で、バブル期のビジネスマンたちは、織田信長を見習ったのかもしれません。NTT株なんかは、翌日になると何万円も値上がりしているなんてことがあったので、次に値が上がる株は何なのかという情報をいち早く入手することが、優秀なビジネスマンの条件だと思っていたのでしょう。

道路工事に力を入れる

織田信長が、室町幕府を滅ぼした頃、力を入れた政策が道路工事です。

戦国時代というと、自国の守りを固めるために、攻めるのが困難な城を築くことに力を入れていた大名が多かったのですが、信長は、それよりも道路工事に力を入れました。

信長が、道路工事に力を入れた理由は、数万の大軍を動かして他国を攻めるためには、物流の確保が重要だと気付いたからです。どんなに敵に数倍する兵力を投入したとしても、他国で戦う場合、それだけで勝つことは難しいです。兵士ひとりひとりが持っていける食料や武器には、限界があるからです。

だから、信長は、まず物資の輸送のための道路を造っておいたんですね。物流が確保されていれば、戦場に次々と兵粮や武器を送ることができます。そうすれば、敵が長期間にわたって籠城をしたとしても、城を取り囲む織田軍は、いくらでも兵粮を輸送することが可能となるので、持久戦にも耐えられたわけです。


これとは反対に物流に力を入れていなかったのが武田信玄です。

武田信玄は、三方ヶ原の戦いで織田と同盟を結ぶ徳川家康をさんざんに打ち負かし、いよいよ上洛かと思われた時にこの世を去ります。これについては、強敵が攻撃してくる直前に死んだのだから、織田信長には運も味方したと言われることがあります。

でも、津本さんの見解はそうではありません。

武田軍は、物流に力を入れておらず、家臣たちも農業をしていたので、自分たちの田んぼや畑のことを心配し、遠くの国まで出兵することができなかったのです。なので、信長は、武田には上洛する力はないと判断し、あわてることはありませんでした。


また、武田信玄は、信長ほど情報を重視していませんでした。武田軍は、他国に攻め入ると必ずそこで略奪をしていました。そうしなければ、兵たちの食料を確保できませんからね。しかし、このような行為を繰り返していくと、農民たちから恨まれ、彼らから重要な情報を入手することができなくなります。

だから、信長は、兵たちが他国で略奪することを認めず、わずかな金品を盗んだだけでも処刑する厳しい軍律をもうけていました。

派手な部分にばかり目が行っていたあの頃

「下天は夢か」は、1986年12月から1989年7月まで日経新聞朝刊で連載され、完了と同時に全4冊の単行本が出版され総計200万部のベストセラーになりました。

バブル絶頂期は、肉体労働重視から頭脳労働重視に働き方が変わりつつありましたので、織田信長の革新的な考え方が、当時のビジネスマンから支持されたのでしょうね。長篠の戦いでの鉄砲の3段撃ち、豪壮な天守閣を持つ安土城の築城、中世の古い権力の否定など、時代の変革という点でバブル期は、安土時代と似ていたのかもしれません。


でも、バブル期のビジネスマンたちは、短期間に効率的にお金を稼ぐことにばかり目が行っており、織田信長の政策の本質を見ていなかったのではないでしょうか?

特に物流を重視した信長の政策は、まったくと言っていいほど無視されていたように思います。バブル期のビジネスマンは、一から道路を造って、敵地に攻め込むための準備をするという泥臭い作業を嫌い、先人が造ったすでにある道路だけを利用して、自分は汗をかかずに利益を得ようとしていたようにしか思えません。

信長は、安土城を築くとき、自ら工事現場に足を運び指揮をしていました。時には、大きな蛇石を安土の山頂に運ぶためにどうしたらよいかを現場で思案したりもしました。蛇石は、最終的に羽柴秀吉の妙案によって山頂に運ぶことができましたが、それを可能としたのは、組織のトップが作業現場に姿を見せていたから、指示される方もやる気を出していたのかもしれません。

信長の心の闇

革新的なことを次々と実行していった信長でしたが、年齢を重ねるごとに彼の心の中の闇は深くなっていきます。

生来、疑い深かった信長。その性格から残忍な行為を数多く行ってきましたが、「下天は夢か」では、自分の兵たちが討ち死にする姿を見て涙を流す場面も描かれています。

しかし、それも若かった頃で、天下統一が近づくにしたがって、彼の残忍な性格が表に現れてきます。人は死ねば、ただの物体になるという考え方をもっていた信長は、何のためらいもなく処刑を行いましたが、拷問にかけるようなことはしませんでした。

でも、40歳頃からは、敵に拷問をかけて処刑するような残酷な面をたびたび見せるようになります。どんなに大きな力を手に入れても、自分の周りには敵しかいないし、自分に近づいてくるものは自分を利用して出世しようと思っている者ばかり。そのような環境が、信長の性格をより残忍にしていったのでしょうね。


そして、信長は、道具として扱ってきた明智光秀に攻められ、本能寺で49歳の生涯を終えます。

燃え盛る建物に自らの意思で入っていく信長。

まるであっけなく弾けたバブル経済のように物語は終わります。

下天は夢か 一 (角川文庫)

下天は夢か 一 (角川文庫)

広告を非表示にする