ウェブ1丁目図書館

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いつまでも、きっと忘れない。彼女のプロ根性を。

2007年5月27日の東京競馬場歓喜の渦に包まれました。牝馬のウオッカがダービーを制覇したからです。

その数十分前。一人の女性が、ひっそりと息を引き取ります。その女性は、坂井泉水さん。ZARDのボーカルです。

言葉を大切に

坂井さんがなくなって3ヶ月後に出版された「きっと忘れない ZARD -OFFICIAL BOOK-」の中で、坂井さんは、言葉を大切にしてきたことが書かれています。その言葉が音楽を通して伝わることを願っていたそうです。

『わりと小さい頃から書くのが好きで、書いていましたね。人が潜在的に持っている「言葉」というのは一生であまり変わらないし、個人差はないと思うんですね。それが外に出るか、自分の中に持っているかで。おしゃべりな人は「話す」という形に向かっているでしょうし、そうじゃない人は自分の内に向かっているんじゃないかなって思うんです。多分、詩人というのは、あまり外に出さない分、作品に言葉をぶつけているんでしょうね』(23ページ)

坂井さんはZARDとしてデビューする以前から詩を書きためていたとのこと。しかし、メロディーに言葉を当てはめる作業は簡単ではなく、デビュー当初は、プロデューサーに何度もやり直しをさせられました。でも、それが功を奏し、坂井さんは、ZARD独特の世界観を壊さずに言葉をメロディーにはめ込むコツを身に付けます。

坂井さんのメロディーへの歌詞のはめ方には特徴があります。その特徴がよく表れている楽曲が、大ヒットしたあの「負けないで」です。「負けないで」の歌詞の中には、「どんなに離れてても」というフレーズがあります。坂井さんは、この部分をメロディーにはめ込む時、「どんなには」と「なれてて」で切る個性的な技を使っています。

この技は、最後のオリジナルアルバムとなった「君とのDistance」の11曲目に収録されている「good-night sweetheart」でも使われており、ZARDの全作品を通してみられる特徴となっています。

言葉を大切にしてきた坂井さんだからこそ、生み出すことができた技なのかもしれませんね。

プロ意識の高さ

坂井さんは、レコーディングの時、納得がいくまで同じ曲を何回も歌い直していたそうです。

坂井さんがこだわっているなと感じたのは、自分の声質です。声の透明感というか、曲の中での歌の抜け具合。もちろん音程も重視はしていましたが、歌の表情やニュアンスを何よりも大切にしていました。(40ページ)

こう語るのは、レコーディング・エンジニアの島田勝弘さんです。

また、坂井さんはできあがった楽曲を聴き直す時、制作者の立場からいち音楽ファンに気持ちを切り替えて、「ここが良くないですね」と第三者的目線で平気で言うことができたそうです。自分がのめりこんで必死で作ったものに対して、客観的に批評をすることは、そうできることではありません。ダメ出しされて、もう1回歌い直すのは自分自身なのですから。


ZARDの楽曲は、坂井さんが作詞を担当し、作曲は坂井さん以外の作曲家の方が担当することが多いという特徴がありました。

「負けないで」や「マイフレンド」など多くのZARDの楽曲の作曲を担当したのが、織田哲郎さんでした。ZARDに限らず「作詞:坂井泉水、作曲:織田哲郎」となっている楽曲は、90年代に大ヒットすることが多く、きっと、頻繁に会って、いろいろと制作のための打ち合わせなんかをしていたのだろうなと思っていたのですが、実は、2人が会ったのは、1991年11月にリリースした3rdシングル「もう探さない」の制作の時と2004年のライブツアーの時だけとのこと。

作家達に会って相手を知ると、作品に対するフラットな感覚を失ってしまうとして、坂井自身は作家達とほとんど顔を合わせる機会を与えられなかった。作曲家やアレンジャーといった作家達と親しくなると、気になったことがあっても言い辛くなるなど、制作の妨げになる事が考慮されたのだ。(54~55ページ)

ZARDの活動全体を通して多数の楽曲制作に参加したアレンジャーの葉山たけしさんも、坂井さんと会ったことがなかったと本書の中で述べています。

仕事での人間関係に対して、ここまで徹底していたとは、坂井さんのプロ意識の高さに驚かされます。

何度も作り直して出来上がった作品たち

ZARDは、テレビ出演することがほとんどありませんでした。

これは、坂井さんが極度のあがり症だったため、テレビでは彼女の魅力が伝わらないということが理由だったそうです。テレビ出演は、1993年のミュージックステーションが最後で、以後、ZARDの活動はスタジオ中心になりました。ちなみに僕がZARDを初めてテレビで見たのは、1992年のことで、「眠れない夜を抱いて」をリリースした時でした。


ZARDの制作現場は、「より良いものを作る」という基本姿勢に妥協がなく、何度も練り直し、さらに良いものを作り出す徹底したものだったそうです。

2ndシングルの「不思議ね・・・」では20数テイクのレコーディングを行っています。また、7thシングルの「君がいない」は、リリースした時はキーの高いC-versionだったのですが、坂井さん自身がハイトーンなボーカルが気になったため、半音下のBのキーで録り直し、アルバム収録時にはこのB-versionが採用されました。サビの部分を聴けば、CとBの違いがよくわかりますね。

他にも24thシングルの「息もできない」は、「ボーカル基本」「ボーカルやや大」「ボーカル大」「ボーカルやや小」「ボーカル小」など様々なバージョンでレコーディングが行われ、合計26作品が出来上がったとのこと。最終的にシングルとして採用されたのは、23回目のレコーディングの時のものです。

25thシングルの「運命のルーレット廻して」は、18タイプのアレンジがあります。


このように何度もレコーディングを行って出来上がったZARDの楽曲は、全てがそうなのかどうか知りませんが、良い部分をつなぎ合わせた作品となっています。

これに対しては、プロの歌手なら、最初から最後まで通しで歌ったものを収録すべきだという意見があるでしょう。

でも、僕は必ずしもそうとは思いません。

確かにレコーディングに精神を集中させて、一発録りしたものを作品として残すというのもプロの仕事だと思います。反対に、使える道具や技術がたくさんあり、その中から楽曲制作に活かせるものを選んで作品を完成させるというのも、またプロの仕事だと思います。むしろ、生で歌うのとは異なり、芸術作品として楽曲を残すのであれば、様々な技術を駆使して、より良いものを作り上げることの方が、真のプロのように思えますね。


自らが制作する作品に妥協を許さず、何度も何度も歌い、作り直すという作業を続けるうち、坂井さんの生活は昼夜逆転したものとなっていました。深夜に仕事をし、午前9時に就寝ということもあったそうです。

きっと、坂井さん自身は、その生活にやりがいを感じていたのでしょうが、もしかしたら、その過酷な仕事が彼女の体を弱らせていったのかもしれません。


今でも、テレビで2007年の日本ダービーの映像が流れることがあります。

それを見ていると、僕の頭の中では、ウオッカの漆黒の馬体が馬群を割って抜け出そうとする時には「負けないで」が、そして、他馬を突き放し、ただ1頭だけでゴール版を駆け抜ける時には、「翼を広げて」が流れます。