ウェブ1丁目図書館

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会津戦争に見る正義

1868年の戊辰戦争で、最大の激戦地となったのは会津でした。

会津藩は幕末に藩主の松平容保京都守護職を勤めており、不逞浪士の取り締まりを行っていました。取り締まりを受けた多くは長州藩士や土佐藩士。

戊辰戦争初戦の鳥羽伏見の戦いで薩摩と長州を中心とした新政府軍が会津藩を中心とする旧幕府軍勝利します。この勝利長州藩は朝敵から官軍となり、敗れた会津藩は賊軍に転落しました。

松平容保の恭順

鳥羽伏見の敗戦後、江戸に戻った松平容保は、会津に帰国する際に朝廷に恭順の嘆願書を提出します。

朝廷のために京都の治安維持にあたっていた会津藩ですから、明治天皇を担ぐ新政府と戦う意思はないことを示したのですが、会津藩に恨みを持つ長州藩松平容保の嘆願書を受け入れることはありませんでした。そして、長州藩は、松平容保の斬首、会津鶴ヶ城の開城、領地の没収という過酷な条件を突き付けます。

しかし、薩摩藩がこれに若干の異議を唱え、最終的に首謀者の首を出し、武装解除して城を明け渡せば松平容保の死一等を減ずるという処分内容になりました。

この処分内容にも納得のいかない会津藩は、何度も嘆願書を朝廷に提出します。でも、会津藩の嘆願は聞き入れられません。このような理不尽に憤慨した東北諸藩は、会津藩を助けるために協力することを誓い、奥羽越列藩同盟を結んで新政府軍と戦うことを決断しました。

鶴ヶ城に籠城

新政府軍と戦うことを決意した奥羽越列藩同盟でしたが、度重なる敗戦で瓦解し、会津藩鶴ヶ城若松城)に籠城して新政府軍を迎え撃つことになります。

幕末の会津藩について多くの著書を持つ作家の星亮一さんの「会津落城」を読むと、籠城の凄惨さが伝わってきます。

会津藩は、事前の準備が不十分なまま籠城します。新政府軍を会津城下に近づけないために十六橋を破壊する計画だったのですが、一足先に新政府軍が十六橋を渡って城下に侵入してきたため、藩士の家族たちは、慌てて鶴ヶ城に入城し始めます。しかし、敵が城下に侵入した後に警鐘を鳴らしても時すでに遅し。城門を閉めて籠城態勢に入った鶴ヶ城に入城できなかった多くの家族が命を落としました。

城下の人々は、軍事局を信じ、砲声を耳にしながらも多くは避難せずに城下にとどまっていた。一部の人は近在に避難していたので、避難計画がまったくなかったとはいえないが、敵が侵入してから慌てて警鐘を乱打することになり、犠牲者を増大させてしまった。
半鐘が鳴ったとき、藩士とその家族は城に避難することになっていた。しかし、大混乱のため、入城できない人が続出した。このため、独自の判断で行動するしかなかった。
(118ページ)

会津戦争では、婦女子の殉難が非常に多く、自害して果てる者、長刀を振るって戦い戦死する者、逃げ遅れて銃撃される者など、凄惨を極めます。

そのような中でも、会津の重臣手代木直右衛門の家族は、夫の「死んではならん」という言葉を守り、城下から逃げ出し明治を迎えました。会津戦争では、多くの女性が新政府軍と戦いましたが、全ての女性が戦争に参加したわけではありません。

1日に2,700発の砲撃を受け降伏

新政府軍に囲まれ、援軍も来ない中で会津藩は籠城し続けます。

しかし、新政府軍の攻撃はすさまじく、1日に2,700発もの砲撃を受ける日もありました。城内に飛んできた砲弾はいたるところで破裂し、多くの人々の命を一瞬で奪っていきます。中には着弾してすぐに破裂しない砲弾があり、それにぬれ雑巾をかぶせて爆発を防ぐこともありました。しかし、中には爆発を防げずに吹き飛ばされる女性もいました。

籠城から約1ヶ月。

会津藩は、米沢藩を介して新政府軍に降伏します。

重臣萱野権兵衛切腹で、松平容保の死は免れました。しかし、会津戦争での死者は数千人に上り、新政府は遺体の埋葬を認めませんでした。

籠城した会津藩兵が見た城外の光景は、惨憺たるものだった。
川には死骸が流れていた。首が落ちていた。水ぶくれとなった死体があちらに三人、こちらに五人と浮いていた。場外には安否を求める家族が殺到していた。城から運びだされた病人は濠の辺りにおかれた台の上に何百と並べられ、家族や親戚、知人で混雑していた。
死んだと聞いて泣き崩れる者、生きていて抱きあう者、悲喜こもごもの光景が見られた。
(181ページ)

星さんは、会津戦争で多くの犠牲者が出たのは人災だと述べています。会津藩の首脳は、常に情報収集が遅れ、対策が後手に回ることが多く、それが犠牲者を増やす原因だったと。


正義はどちらにあったのかを問えば、多くの人は会津藩だと答えるでしょう。会津藩は、京都でテロ行為を行っていた長州藩士を取り締まっていただけですから。

しかし、薩摩藩長州藩と手を組み、政権をひっくり返したことで立場が逆転します。このような状況でも正義を貫くことは、果たして正しいのでしょうか。正義を貫いて多くの犠牲者を出した会津戦争をみると、本当の正義は何なのかわからなくなります。

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)

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