ウェブ1丁目図書館

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偽造なくして明治維新なし

江戸幕府の崩壊は、1853年の黒船来航から始まったとされています。

その後、国を開き、200年以上続いた鎖国体制を終わらせた大老井伊直弼が、1860年桜田門外で水戸浪士たちに襲撃され暗殺されると、幕府の権威は一気に衰えていきました。この桜田門外の変は、国内でテロリストたちが大々的に活動する契機となり、やがて、江戸幕府はテロによって崩壊することになります。

理想のためなら殺人も容認した吉田松陰

1853年から明治元年の1868年までの政治の流れは、ややこしく、理解するのが難しいです。

幕末と呼ばれた時代を解説した書籍や小説は、特定の人物を中心に話が進んでいくものが多いです。それらは、幕末の人物を魅力的に描いていて非常におもしろいのですが、歴史の大きな流れを把握しにくい構成になっています。幕末の政治がややこしく感じるのは、それが理由の一つと考えられます。

それらに対して、戊辰戦争研究会を主宰する星亮一さんの著書『偽りの幕末動乱』は、黒船来航以降の政治の大きな流れを把握しやすい構成となっています。なぜ、江戸幕府が崩壊したのか、歴史の流れに沿って、わかりやすく解説されていますから、これまで、特定の人物に焦点を当てた幕末史の書籍を中心に読んできた人はもちろんのこと、幕末史はほとんど知らないといった方でも、すんなりと当時の政治の動きを理解できると思います。

桜田門外の変が、国内でのテロ行為の多発に火をつけましたが、それとは別に吉田松陰の思想も多くのテロリストを育成しました。

吉田松陰は、黒船の来航に衝撃を受け、西洋諸国の文明を自分の目で確かめ、国内に輸入しなければならないと考えます。しかし、彼の行為は、鎖国をしていた日本では法を犯す行為であり許されるものではありませんでした。国の将来を憂い、海外に行くことは立派な志です。でも、彼は、目的を阻む者がいれば、殺人を犯してでも前に進んでいくという考え方を持っており、実際に老中の暗殺を企てたことで死刑となっています。

吉田松陰は、海外渡航が許されず故郷の長州に帰っているとき、松下村塾を開いて若者たちの教育をしていました。この時、吉田松陰の教育を受けた人々が、後にテロリストとなり、やがて江戸幕府を崩壊へと導きます。

目的のためなら公文書も偽造する

吉田松陰の教育を受けた人々は、京都政界で暗躍し始めます。

当時の孝明天皇は、武力によって開国を迫った西洋諸国を嫌っていました。だから、開国した後も、外国人を日本から追い出すよう幕府に指示をします。しかし、日本と西洋諸国では武器に差がありすぎ、外国人を追い出すために戦争になれば勝てる見込みがありません。

孝明天皇も、幕府から、そのような説明を受けていたので、今は力をつけるときであり、外国人を追い出すのは、その後にするしかないと考えるようになっていました。

ところが、長州藩は公卿らと結託して、勅書を偽造し、孝明天皇が「すぐに外国人を追い出しなさい」とおっしゃっていると世間にデマを広め、外国船を砲撃し始めます。しかし、孝明天皇は、このような長州藩のやり方を認めず、彼らと手を組んでいた公卿たちとともに京都から追放しました。

その1年後。

長州藩は、京都の町に火を放ち、孝明天皇を御所から連れ出す計画をします。しかし、この計画は京都の治安維持にあたっていた新選組に知られ、長州藩の過激派たちは池田屋で捕縛されることになります。

テロ計画が失敗した長州藩は、池田屋事件の報復のため、軍勢を率いて上洛し、御所を攻撃しました。しかし、会津藩薩摩藩を中心とした幕府軍によって迎撃された長州藩は、這う這うの体で逃げ帰ることになりました。この時の戦いで、京都の町は焼失してしまいましたが、金回りの良かった長州藩士たちは、京都の人々の同情を買い、結局、会津藩が悪者とされました。

公文書の偽造はさらに続く

長州藩は、その後、幕府によって征伐されましたが、薩摩藩の反対もあり、藩はつぶされませんでした。

この時、薩摩藩は、いずれ長州藩と手を組んで幕府を倒すつもりでいました。その薩摩藩の思惑は、後に現実となり薩長同盟が締結されます。

幕府との戦いに勝つためには、世論を味方につけるため、まず天皇を何が何でも自分たちの味方にしなければなりません。しかし、孝明天皇は、外国人と長州藩を嫌っていたので、長州藩天皇を味方につけることは不可能な状況でした。

ところが、長州藩にとって、思いがけない幸運が舞い込んできます。孝明天皇が、天然痘崩御したのです。タイミングが長州藩にあまりに都合が良かったため、暗殺されたのではないかとの噂も立ちました。

孝明天皇の後に践祚したのは、まだ幼い明治天皇でした。政治を取り仕切るには若すぎるのは誰の目にも明らかです。それにもかかわらず、討幕の密勅が出たのですから、これは明らかに偽造されたものです。誰が偽造したのかというと、薩摩藩岩倉具視です。長州藩の十八番を使って、彼らは幕府を討つ口実を手に入れたのです。

しかし、この密勅は、徳川慶喜大政奉還したことで意味をなさなくなりました。

それでも、薩長の偽造工作はまだまだ続き、密かに偽物の錦の御旗まで用意して、小御所会議で幕府に味方する土佐藩山内容堂を刃物で脅し、武力討幕を実現しました。

この錦の御旗は、その後の日本の歴史にも大きな影響を与えます。天皇陛下を味方につければ何でもできるという考え方は、太平洋戦争まで続き、日本は数百万人の犠牲者を出して、その呪縛から解放されました。


『偽りの幕末動乱』は、会津寄りの視点が見られるので、長州藩を悪く書いていますが、幕末史全体を理解するには良書です。

幕末は、天皇の取り合いであり、天皇を味方につけた方が勝つ時代でした。幕府は、天皇の真意に沿おうと政治を行っていましたが、薩長天皇の下の公卿を味方にして公文書を偽造し、自分たちの思い通りに政治を動かそうとしていました。

目的を達成するためには、いかなる手段も使うのが政治。

この考え方は、幕末以降に定着したのかもしれません。

偽りの幕末動乱 (だいわ文庫)

偽りの幕末動乱 (だいわ文庫)

  • 作者:星 亮一
  • 発売日: 2009/05/08
  • メディア: 文庫