ウェブ1丁目図書館

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孤独な時間が人生を豊かにする

本を読んでいると眠気が襲ってきた経験を持つ人は多いと思います。だいたい難しい本を読んでいる時に眠たくなるものです。

そんな本の代表とも言えるのが、ショーペンハウアーの「孤独と人生」です。

書いてあることは説教くさく思えますし、改行がほとんどないので、10ページも読むと苦しくなってきます。でも、この本を読んで感じている状態こそ、ショーペンハウアーが言わんとしていることなのかもしれません。

人間の敵は2つ

人が幸福であるとは、どういうことか。

健康であること、経済的に豊かであること、賑やかな家庭を持つこと、多くの友人を持つこと、旅行を楽しむこと、仕事で成果を上げること、志望校に合格すること。

具体例を挙げればキリがありません。

では、幸福にとっての敵とは何でしょうか。これは、上で挙げたことの逆と考えられがちです。病気がちなこと、貧乏であること、友人がいないことなど。

ショーペンハウアーは、人間の幸福にとっての敵は、苦しみと退屈の2つだと述べています。しかし、苦しみと退屈の両方を同時に取り去ることは難しく、一方から遠ざかることに成功しても、もう一方が近づいてきます。例えば、仕事が忙しくて苦しいと感じている人は退屈を感じません。

苦しみと退屈の2つの敵は、一方が外的あるいは客観的ならば、もう一方は内的あるいは主観的であり、二重の対立抗争が絡み合っています。外的に災いと欠乏が苦しみとなり、安全と豊かさは退屈をもたらします。

貧しい人々は外的な苦痛を取り除くために闘い、裕福な人々は退屈に対して闘いを挑みます。

貧しさから解放されれば退屈が襲ってきます。でも、退屈を取り除こうとすると、忙しく働くことになり、今度は苦しみが押し寄せます。

苦しみという敵を追い払ったのに退屈に耐え切れず、再び、時間を潰すために何か行動を起こして苦しみを求めてしまう。

この悪循環が幸福を遠ざけてしまうのです。

退屈な時間をどう過ごすか

現代日本では、男性は外で働き、定年退職で仕事を終えるのが一般的です。

ずっと仕事に追われる生活から解放されたいと願い、定年を迎える人もいるでしょう。しかし、明日から出社しなくて良いとなった途端、今度は退屈が襲いかかってきます。約40年間、ずっと働き続けてきた人にとって、定年後、死を迎えるまで退屈でいることは空しく感じるでしょう。その空しさに耐えきれず、酒浸りの日々となっては、さらに空しくなるだけです。

ショーペンハウアーは、「もっとも高尚かつ多様、しかも長続きがするのは精神的な楽しみ」だと述べています。

そして、精神的な楽しみは、孤独な時にこそ充実するものであり、老年に達した時により深く味わうことができます。若い時は、時間が余っているのが苦痛に感じられますし、交友関係が広く、いつも誰かといる時間に幸福を感じやすいです。

マズローは、欲求を5段階に分け、最も下の生きていくために最低限必要な欲求を生理的欲求、その上に安全に生活したいという安全欲求、さらにその上に友人を求める社会的欲求があると述べています。これらの欲求は下から段階的に満たされていきます。

社会的欲求が満たされると、今度は周囲から尊敬されたいという尊厳の欲求が芽生えます。最近では、承認欲求とも呼ばれていますね。尊厳の欲求まで満たされると、幸福なように思えます。しかし、尊厳の欲求は、人々から尊敬されることですから、何らかの行動を周囲から認められなければなりません。つまり、苦しみとの闘いから勝ち得たものなのです。

苦しみの果てに勝ち得た尊厳。その先には、いったい何があるのか。

それを考えた時、人は自己実現に向かいます。これが、マズローの5段階の欲求の最上位にある自己実現欲求です。

ここまで到達すると、もはや周囲の評価は気にならなくなります。ただ自分がやりたいことを追求するだけです。

しかし、定年まで仕事一筋で生きていると、自分が何をやりたいのかがわからなくなりますし、それを見つける手段も思い浮かびません。

他人の意識に縛られていないか

幸福の敵の一つである苦しみは、自分が他人の目にどう映っているかを意識することで現れるのかもしれません。

世間体を気にすると言えるでしょうか。

ショーペンハウアーは、「自分自身のなかに、自分自身にとってあるものの価値を正しく評価することが、われわれの幸福に大きく寄与する」と述べています。

では、自分自身の中にある価値を正しく評価するには、どうすれば良いでしょうか。

大多数の人びとの頭のなかには表面的で無価値な思想、かぎられた概念、見苦しい根性、でたらめな意見、無数の誤算で満ちていることについて十分な知識を獲得した場合には、われわれはますます他人の意識のなかの動きには無関心になってゆくであろう。(59ページ)

他人の意識の中に自分自身を置いていると、自分自身の価値がわからなくなります。

老年に達すると孤独になっていきます。しかし、それは退屈とは違います。

退屈に襲われるのは、感覚や、社交以外の楽しみを知らないからです。自分の精神を豊かにし、自分の力を発展させれば、退屈に襲われることはないでしょう。


交友関係が広い人は、幸福そうに見えるものです。

でも、本当に幸福なのは、一人の時間を楽しめる人です。

退屈からくる空しさを避けるために忙しく行動していると、苦しみが襲ってきます。

一人でできる趣味を持つことは、人生を楽しむために意外と重要なことなんですね。