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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

名前や肩書が人の考え方や行動を縛ることに陰陽師を読んで気付いた

陰陽師(おんみょうじ)。

それは、平安時代に実在した占い師のような人のこと。夢枕獏さんの小説「陰陽師」では、以下のように定義しています。

陰陽師は、星の相を観、人の相を観る。
方位も観れば、占いもし、呪詛によって人を呪い殺すこともでき、幻術を使ったりもする。
目に見えない力-運命とか、霊魂とか、鬼とか、そういうもののことに深く通じており、そのようなあやかしを支配する技術を持っていた。(10ページ)

当時の人々は、鬼や怨霊を信じていたこともあり、陰陽師は政治上も重要な役割を果たしていました。陰陽師早良親王(さわらしんのう)の祟りから逃れるためには、長岡京を捨てなければならないことを桓武天皇に進言したことから、平安遷都が決まったことは有名な話ですね。

陰陽師は、式神(しきがみ、しきじん、しきしん、職神)と呼ばれる精霊を操ることと呪(しゅ)を唱えることを特技とします。

最近、何気に陰陽師を読み返してみると、呪について、興味深いことに気づきました。

呪は呪文と似ている

小説の「陰陽師」の主役は安倍晴明(あべのせいめい)です。もちろん彼も陰陽師です。五芒星と呼ばれる五角形の祈祷呪符は、彼が創作したものと伝えられています。

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陰陽師が唱える呪は、簡単にいうと呪文ということになるのでしょうか。

ある時、安倍晴明が寛朝僧正の住まいを訪れました。すると、公卿や僧たちが話しかけてきて、呪法を使ってカエルを殺せるかと問いかけます。晴明は無益な殺生はしたくないと断りますが、公卿たちがしつこくせがむので、仕方なく葉っぱを空中に投げて呪を唱えると、カエルがペシャンコにつぶれました。

これが呪の具体例ですね。ロールプレイングゲームに出てくる呪文とよく似ています。

呪は人や物を縛る

陰陽師には、源博雅(みなもとのひろまさ)という武士が登場します。安倍晴明の友人です。

ある時、源博雅が晴明の屋敷を訪れました。その時に呪の話しとなったのですが、これがとても興味深い会話なんですよね。晴明が呪とは「名」だと言うと、源博雅は「?」となります。

「うむ。この世で一番短い呪とは、名だ」
「名?」
「うん」
晴明がうなずいた。
「おまえの晴明とか、おれの博雅とかの名か」
「そうだ。山とか、海とか、樹とか、草とか、虫とか、そういう名も呪のひとつだな」
「わからぬ」
「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」(30ページ)

この会話だけでは、まだわかりにくいですが、要は、呪とはものを縛ること、そして、名はその人を縛るものということですね。

「たとえば、博雅というおぬしの名だ。おぬしもおれも同じ人だが、おぬしは博雅という呪を、おれは晴明という呪をかけられている人ということになる-」
しかし、まだ博雅は納得のいかぬ顔をしている。
「おれに名がなければ、おれという人はこの世にいないということになるのか-」
「いや、おまえはいるさ。博雅がいなくなるのだ」
「博雅はおれだ。博雅がいなくなれば、おれもいなくなるのではないのか」
肯定するでも否定するでもなく、晴明は小さく首を振った。
「眼に見えぬものがある。その眼に見えぬものさえ、名という呪で縛ることができる」
「ほう」
「男が女を愛しいと思う。女が男を愛しいと想う。その気持ちに名をつけて呪れば恋-」(31ページ)

ちょっとわかってきたような気がしますね。

源博雅から博雅という名を取ってしまうと、源博雅という人の個性がこの世から消えてなくなってしまうということを言いたいのではないでしょうか?

「いやいや、博雅という名がなくなったとしても、その人の性格が変わるなんてことはない」という人もいるとは思います。では、もう少し違う例えをしましょう。


現在のあなたの職業が、仮に警察官だったとしましょう。

あなたは、警察官ですから、日々、窃盗犯や強盗犯といった犯罪者を捕まえる仕事をしています。交通事故の処理やパトロールなんかも勤務内容に含まれますね。そして、警察官として勤務している間は、町の治安を守る立場にあるんだということを自分に言い聞かせて、仕事をしていることでしょう。

これは、あなたを警察官という呪で縛った状態ということができます。もしも、あなたが、警察官でなければ、犯罪者を捕まえたり、パトロールしたりしないでしょう。銀行強盗の現場に遭遇しても、犯人を捕まえるのではなく、110番に電話をかけるはずです。

仕事が終われば呪がとける

あたなが、警察官でなかったとしても、仕事をしている時は、呪に縛られています。

会社勤めをしていれば、その会社の従業員という呪に縛られます。あなたが、その会社の課長であれば、課長という呪に縛れています。そして、従業員の集団は、まとめて会社という呪に縛られています。

課長として部下に指示を出しているあなたは、課長という呪に縛られているから指示できているわけで、指示を受けている従業員は課長の部下という呪に縛られているから、課長の指示に従っているのです。

もしも、あなたが仕事でミスをして課長から平社員に降格されたら、あなたは課長という呪をとかれたことになります。すると、あなたは、今まで指示していた従業員に指示を出すことができなくなります。同時に従業員も、あなたの部下であるという呪がとけるので、あなたの指示には従わなくなります。

会社が解散すれば、その集団から会社という呪がとけます。明日からは、協力し合って仕事をすることはありません。


考えてみるとおもしろくありませんか?

呪という言葉を使うから、何やら怪しい響きに聞こえますが、自己暗示だとかマインドコントロールといった言葉に置き換えれば、理解しやすいのではないでしょうか?


要するに人間社会というのは、自己暗示やマインドコントロールによって成り立っているということです。

朝9時に出社すると、自分自身に会社員という呪をかけて仕事をし、夕方6時になれば一般人という呪をかけて仕事を終えます。

警察官が悪いことをして捕まることがたまにありますが、これは警察官という呪がとけた状態で犯罪を犯しているのかもしれません。休日になると、無意識のうちに警察官という呪をといているのでしょう。勤務中に悪いことをして捕まった警察官は、ある時から、まったく警察官という呪で自分を縛らなくなっていたのかもしれません。

1万円札に価値があると思うのは、それがお金という呪で縛られているからです。お金という呪がとけてしまえば、1万円札はただの紙切れです。

誰だって自己暗示やマインドコントロールにかかっている

ここまで、わかりにくいことを書いてきましたが、僕が陰陽師を読んでいて、ふと気づいたのは、自己暗示やマインドコントロールにかかっていない人なんて、現代社会では、ほとんどいないということです。

そして、自己暗示やマインドコントロールは、必ずしも悪いものではないということです。集団がひとつの目標に向かって行動している状態を会社といい、それが、世の中に価値を生み出す活動をしているのなら、良いマインドコントロールです。

人が倒れているのを見て救急車を呼ぶのも、良いマインドコントロールです。お金に価値があると思っていることだって、商取引を円滑にするために大切なことです。


また、社長という肩書を持っている人なら従業員の生活を守らなければならないと自己暗示をかけていることでしょう。医師という肩書を持っている人なら、患者の病気を治し元気にしなければならないと自己暗示をかけているはずです。

肩書を持たない人だって、生きているうちに他人からいろいろな評価を受け、個性を見出されていきます。その個性を知った時、人は自分自身に呪を唱えて、自分はこうあるべきだと思うようになり、それが、行動に表れていくのではないでしょうか?

もしも、人が名前を失えば、呪をとかれたことになり、今まで積み上げてきた人格が消えてなくなるような気がします。

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

陰陽師(おんみょうじ) (文春文庫)

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