日本人らしさ。
それは、年配の人を敬う、忍耐強く努力する、秩序やルールを守る、自分よりも集団の利益を優先するといったものが挙げられるでしょう。近年、こういった日本人らしさが世界的に評価されているようですが、時として、この日本人らしさが欠点となることもあります。
日本では、小学校から道徳教育で、こういったことを学び、大人になっても、その教えを多くの人が守っています。しかし、その教えが、孔子の論語に基づいていることを知っている人は少ないのではないでしょうか。
江戸時代に当たり前となった論語の精神
現代の日本人は、論語の教えを当たり前と思っていますが、それが日本で普及し始めたのは江戸時代のことです。
江戸時代の前の戦国時代は、誰もが平等で、実力によってのし上がることができました。しかし、これでは平和な世の中を作れませんし、維持することもできません。
そこで、江戸幕府は、論語や儒教の教えによって秩序を守ろうとします。世襲を基本とし、上から下まで秩序によって縛り、争いが起こらないようにしたのです。百姓の子に生まれたら一生百姓のまま、商人の子として生まれたら一生商人のまま。このように生まれた時から身分を決めてしまえば、争いは起こりにくくなりますし、実際に江戸時代も250年以上、この体制を維持してきました。
作家の守屋淳さんは、著書の「『論語』がわかれば日本がわかる」の中で、これが「日本人の無意識の価値観」となったと述べています。
- 年齢や年次による上下や秩序のある関係や組織を当たり前だと思う
- 生まれつきの能力に差はない、努力やそれを支える精神力で差はつく
- 性善説で物事を考える
- 秩序やルールは自分たちで作るものというより、上から与えられるもの
- 「らしさ」や「分」を果たすのが何よりいいこと
- ホンネとタテマエ
- 家族主義
- 下の義務偏重
- 人格教育
- 男尊女卑
- 集団指導
- 気持ち主義
などは、無意識のうちに日本人の価値観となっていますが、これはすべて論語の教えによるものです。
年功序列が当たり前の社会
日本の会社では、勤続年数に応じて昇進や昇給する年功序列が一般的です。これは、まさに「年齢や年次による上下や秩序のある関係や組織を当たり前」とする価値観によるものです。
1年でも先に入社すれば先輩であり、逆らうことができない組織。最近の企業は変わりつつありますが、日本の企業の多くがこのような体質です。
また、決められたことをしっかりとやり遂げることも、「ルールは上から与えられるもの」とする価値観が浸透しているからと言えそうです。憲法改正に反対意見が多く出るのも、この価値観と合っています。また、先人が作ったものを自分たちが変えて良いものかどうか迷うのは、年齢や年次で上下関係を作る価値観が根底にあるからと言えます。
成功は努力の結果
何事も努力によって成し遂げられると考えるのも、論語の教えと関係があります。
誰もが平等に生まれてくるのだから、結果に差が出るのは、努力に差があるから。
もっともな意見に思えます。
孔子は、「成功した人間は、それに見合う努力をした人間だ」と述べています。しかし、この言葉は、いつのまにか「うまくいっていない人間は、それに見合う努力をしてこなかった人間だ」と解釈されるようになり、日本人の心にしみついています。
だから、貧困は努力不足が原因と考える人が多く、他国に比べると、政府が貧困に陥っている人を助けるべきだと考える人の割合が、日本では圧倒的に低くなっています。新型コロナウイルスに感染するのは、諸外国では運が悪かったと考える人が多い一方、日本では感染を防ぐ努力をしなかった結果と考える人が多いとのアンケート調査もあります。
結果を出した人が努力をしているのは、その通りでしょう。しかし、すべてが努力によるものだと考えるのはおかしな話です。貧しい国に生まれていたら、同じように努力しても結果が出なかったかもしれません。
論語による人格教育
日本では、欠点の克服に重きが置かれる風潮があります。これも、論語の影響と言えます。
論語は、聖人となることを目指す教えですから、どこかに欠点があってはいけません。だから、得意なことと不得意なことがある状態よりも、不得意なことがない状態が好まれます。一方、欧米諸国では、得意分野を伸ばすことに力を入れます。
すべてを平均的にこなせるゼネラリストが多いのが、日本の特徴ですが、こういったところにも論語の影響が出ているのですね。
日本の人格教育では、他人に迷惑をかけないことが重視されます。自分がされて嫌なことを他人にしないことは、争いを減らす良い教えです。ところが、日本人は、自分がされて嬉しいことを他人にする習慣が根付いていません。妊婦やお年寄りの荷物を積極的に持ってあげる人が少ないのもまた、日本人の特徴と言えそうです。
そして、他人の助けを借りることは、他人に迷惑をかけることだから手伝って欲しいと、なかなか言い出せないのもありがちな話です。この背景には、努力でなんとかなるという考え方もありそうです。
人格教育と似ていることに「らしさ」を重視する教えもあります。
男らしさ、女らしさ、社長らしさ、新入社員らしさなど、日本社会では、「分」に応じた役割分担を強いる風潮があります。
「受験生なんだから、遊んではいけません」と叱るのも、この「らしさ」を相手に求めているからと考えられます。男女で働き方は平等だといっても、男らしさや女らしさという考え方が根底にあっては、女性の職場での待遇は変わりにくいでしょう。
日本人らしさの根底にあるのは、論語や儒教の教えです。それは、昔から日本人に根付いていたものではなく、江戸幕府が政策的に採り入れたものでした。
論語の教えには、良い面も悪い面もあります。
変化の少ない平穏な世の中であれば、秩序を乱さない論語の教えは優れているでしょう。しかし、変化が激しい社会では、論語の教えが足かせとなることもあります。技術革新が激しいと、これまでの経験を生かせなくなることがあり、年功で評価できなくなります。
何より古くなったルールを変えられないのは、社会をより良いものとすることの妨げとなります。